屯田兵

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屯田兵 知られざる北海道の始まり――北の大地は士族や伊達家が耕した!?

明治八年(1875年)1月12日は、屯田兵の募集が開始された日です。

北海道を開拓した人々として有名ですが、どんな暮らしをしていたのかなどは意外に知られていませんよね。

農業も兵役も単独で充分重労働ですが、それを慣れない土地で寒さに耐えながら……というのは、想像を絶する厳しさだったに違いありません。

※文中の記事リンクは文末にもございます

 


警備と開拓を兼ねた有意義な仕事だと!?

元々北海道の扱いについては、江戸時代や幕末にもたびたび話題になっていました。

維新前に坂本龍馬が「大政奉還後の武士の働き先」として考えていて、結果的にはこれがそのまま採用されたような形になります。

明治政府も、北方警備と開拓を兼ねられて有意義な仕事だと思っていたようですしね。

そのため、当初の屯田兵は「士族の出であること」という身分的な制限がありました。

「士族屯田」と呼ばれ、後に平民も含まれるのですが(こちらは平民屯田)、身分制限中もいいところの養子になって条件を満たす人はいたそうです。特に処罰等はなかったとか。

やる気がある人を突っぱねてもいいことないですしね。

北海道開拓村/Wikipediaより引用

まず、札幌の琴似に兵とその家族を合わせた965人が移り住み、そのうち札幌周辺から東へ向けて村を作りながら開拓を進めていきました。

家族で移り住むという特性上、屯田兵の村には兵舎や畑だけでなく寺社や学校、墓地、商店なども作られていきます。

中心部に学校、外側に兵舎という並びになっていたようなので、国防組織としての顔がうかがえますね。

 


日清戦争だけでなく西南戦争にも参加

畑では、国内外の作物を育てる試験なども行われていたそうです。

屯田兵は政府に雇われて行っているので、支度のための資金や農具などの支給はあったものの、農地が内地よりもずっと野生の自然に近く、寒さの他にも害虫や獣害との闘いも一筋縄ではいきませんでした。

ヒグマによる被害もあり、三毛別事件なんか現在もよく知られていますね。

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また、屯田兵は「兵」ですから、農業や開拓以外の仕事に軍事的なシゴトもありました。

西南戦争のときにははるばる九州まで行って参戦し、増援のため予備兵まで作られるほどです。

予備兵のほうは、訓練が終わるまでに戦闘が終わりかけて戦闘はしなかったものの、その後、戦時と年一度の演習にだけ招集されることになったのでムダにはなりませんでした。現在の自衛隊の予備役に近い感じでしょうか。

日清戦争の時は一度東京に移動してから渡海する予定だった……のですが、講和交渉が始まったためそのまま戻ることになってしまっています。

仕方がないとはいえ、何という無駄足。

壁に制服が掛けられた「納内屯田兵屋」の内部/Wikipediaより引用

日露戦争時は、ほとんどの屯田兵が引退した後でした。

屯田兵という制度そのものが廃止されたのも、日露戦争開戦と同じ年(1904年)でしたしね。

それに、北海道と大陸は近すぎます。

もしここから即座に兵を動かしたとしたら、ロシアへ大きな刺激を与えることになったでしょう。

そのため、元屯田兵たちは戦局が進んでから動員され、輸送や連絡のための騎兵が任務。

その後、旅順攻囲戦や奉天会戦など、陸での大きな戦いに参加しています。

 


戊辰戦争に負け、亘理伊達家だけでなく家臣の片倉家も

25年間の屯田兵募集期間で入植した屯田兵村は37ヶ所。

7,337戸の家で総勢39,911人が入りました。

もちろん北海道を開拓した人々は彼らだけではなく、明治維新後、移り住んだ人たちはたくさんいます。

有名なのは、伊達家の家臣だった片倉家や、伊達政宗のいとこの家系である亘理伊達家でしょうか。

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札幌市白石区は片倉家が持っていた城の名前から、伊達市は亘理伊達家からきています。

彼らは戊辰戦争の敗者側だったため、大幅に領地を減らされて家臣を養うことができず、どうにかするために北海道へ移り住みました。

また幕末~明治維新における政治犯(政争の敗者たち)などが網走へ送られるなど、開拓当時の北海道が「希望に満ちた新天地」ではなく、追いやられた人々が数多くいたことも忘れてはならないでしょう。

「試される大地」というスローガンがありますが、色々と考えさせられる言葉でもあります。

開拓のより詳細な苦労や実態については以下の記事も併せてご覧いただければ幸いです。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
屯田兵/Wikipedia

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