足利家

身内争いの日々に追われた足利義澄(11代将軍)32年の生涯マトメ

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足利義澄
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足利家の血を引く義忠を殺しておくべし

義澄は、将軍職に戻るためとして2つの条件を挙げました。

1武田元信の相伴衆登用

足利義稙の異母弟・実相院義忠(ぎちゅう)の処刑

です。

武田元信は若狭武田氏の人で、もともとは【承久の乱】の際に功績を挙げて、鎌倉幕府から安芸の守護に任じられた安芸武田氏の嫡流です。

武田信玄のかなり前のご先祖様(甲斐武田氏)から分家した一族ですね。

アタマがこんがらがりそうですが、安芸武田氏も「鎌倉時代以来の名家の一つ」ぐらいに捉えておけばいいかと。

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家としては細川氏とのつながりが深く、元信自身も政元と張り合ったことがあり、義澄としては側に置いて細川家を牽制したかったものと思われます。

もう一つの条件である義忠。

義稙が京都から追放された後も、京にいることを許されており、義澄の病気見舞いに行く程度には関係が良かったのですが……いかんせん、この状況では「足利氏の血を引く男子」というだけで、政敵になり得ます

そこで義澄は、見舞いに訪れた義忠をその場でひっ捕らえ、近くにあった阿弥陀堂で殺してしまったのでした。

義忠にとっては実に迷惑極まりない話ですが、彼がいなくなれば政元が義澄の代わりに担ぎ上げられる候補がいなくなるわけです。

こうして、義澄と政元は馬が合わないながらに、少なくとも職務上は協調していきました。

内心はお互い「ギギギ」な感じだったでしょうけど。

 

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「純潔を保てば空を飛べる! 俺は天狗になるんだ!」

しかし、政元は他にも火種を抱えていました。

彼は修験道に深く傾倒。

「純潔を保てば空を飛べる! 俺は天狗になるんだ!」(超訳)

という、なんだかよくわからない決意を固めていたのです。

そんなに大事な目標なら、いっそ管領を辞めて山にこもればいいと思うのですが……そうもせず三人も養子を迎えているのがワケワカメ。

なんなの?
爆弾の導火線を自ら増やしていくスタイル?(´・ω・`)

しかもそれでいて「俺が死んだら○○が跡を継ぐこと。○○に何かあった場合は■■で、二人ともまずいことになった場合は残りの☆☆な」みたいな優先順位をつけてないから超厄介です。

当然、家臣たちは分裂し、相争うことになります。

応仁の乱も南北朝分裂も同じような経緯で大混乱してるのに、マジ懲りない……。

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しまいに政元は、その状況を収拾しようともせず、「奥州に行って修業に励みたい^^」などといい出してしまいます。

おそらく修業発言でさすがに見切りをつけられたのでしょう。

永正四年(1507年)に政元は、行水をしていたときに養子の一人である細川澄之の側近に暗殺されます。

かくして細川氏(京兆家)の家督をめぐる内紛【永正の錯乱】が勃発。

にしても「錯乱」って凄いです。

歴史上にはさまざまな「乱」がありますが「錯乱」なんてつくのはこの時期ぐらい。本願寺絡みでまだありますが、まあそれはいずれ。

 

京都を脱出で足利義稙が将軍に再任

将軍家や細川家のしょーもないドタバタは、着実に幕府の権威を蝕み、そして全国へと伝播します。

地方の有力者たちが、こう思い始めたのです。

「あれ? これはうまくやれば、俺も京都で一旗挙げられるんじゃね?」

その中には、前将軍・足利義稙を匿っていた山口の大内義興がいました。

大内氏は日明貿易で莫大な富を築き、多くの兵力を動員することができる可能。

しかも京都から遠かったため、応仁の乱の戦火も受けておりません。加えて、穏やかならぬ経緯で保護していた”前将軍”という神輿までありました。

当時としては絶好のチャンス!

これを義稙と義興は見逃しませんでした。直ちに兵を挙げ、京都と将軍位の奪還を目指します。

義澄はこの報を聞いて近江の六角氏を頼り、危険が迫る前に京を脱出します。

結果、将軍位を追われて、足利義稙が将軍に再任するのでした。

むろん義澄も、ただでは引き下がれず八方手を尽くしますが……勝利する前に病死しています。

享年32(満30歳没)。

義澄方だった武将たちも義稙方に敗れ、その後に和睦が成立。義澄の遺児たちは助かります。

が、しかし。

彼らは彼らで、また新たな火種を生み出していくのです。

だから、なんで全ての世代で争いを起こすんだYO!

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
日本史史料研究会/平野明夫『室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)』(→amazon
足利義澄/wikipedia

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