権力者の父から譲り受けられる「長者」の座は、ただ一人のみなのですから、骨肉の奪い合いが起きて当然のことでしょう。
しかし、ときには取り巻きの家臣たちがワーキャーするため、戦に発展することもあり……。
1350年11月26日(観応元年/正平5年10月26日)は【観応の擾乱】という足利兄弟による内紛が勃発した日です。
兄の足利尊氏と、弟の足利直義(ただよし)が揉め、ド派手な兄弟喧嘩をやらかしたんですね。
足利直義は、これまで知名度はあまり高くなかった人です。
しかし少年マンガ『逃げ上手の若君』に登場してからは、俄然、知られるようになったのではないでしょうか。
「逃げ若」では、”クセの強すぎる武士たちを見事に使いこなす超有能政治家”といった感じで描かれていますね。
史実でも大体そんな感じで、直義の経歴を簡単にまとめると
という感じになります。
一体何が起きていたのか?
順を追って詳しくみていきましょう。
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戦闘の兄を政治の弟が支える構図
尊氏と直義は、最初から仲が悪かったわけではありません。
むしろ、歴史上で有名な「源頼朝・源義経兄弟」や「織田信長・織田信勝(信行)兄弟」らと比べると、非常に仲良しなほうでしょう。
同じ母親から生まれて育ちましたし、鎌倉幕府打倒の際には、感情の起伏が激しい尊氏を直義がよく支えて倒幕を成し遂げています。
それがなぜ大ゲンカになったの?
というと、室町幕府の実権を巡る争いがキッカケでした。
足利尊氏は上記の通り感情の起伏が激しい質で、政治的なバランス感覚にもやや不安があったため、直義がそれを補うような形で幕府の舵取りをしていました。
具体的には次のように分担されていたのです。
尊氏=軍事指揮・新たな恩賞の授与・守護の任命など
直義=裁判・行政・従来の領地安堵など
無理やり現代に置き換えるとすればこんな感じでしょうか。
尊氏=総理大臣・防衛大臣
直義=最高裁判所長官+総務大臣
いわば二頭政治で、当時も「両将軍」と称されていたようです。
実務的には直義のほうが多かったため、近年では「両将軍だと権限が均等に見えるし、ちょっと違うのでは?」という見方も出てきていますが、権威的・対外的には大きく離れてはいないと思われます。
尊氏にはさらにサポート役(執事)として高師直(こうの・もろなお)という人もついており、実務面での不安定さは解決されたかに見えました。
性格的にもこの担当は合っており、お互いの得意分野でもう一方の欠点を補うという理想的な状態。
また、尊氏は岩清水八幡宮に「直義が一生幸せに暮らせるようお守りください(超訳)」という願文を出しており、感謝の程と仲の良さがうかがえます。
うまくやれていれば、そのままでも良かったような気がしますよね。
ところが、これで面白くないのは他の重臣達です。
特に前述の高師直とその愉快な仲間達は「二人とも将軍とかナイナイ(超訳)」と言い出し、一触即発状態に陥っていきます。
直義と師直の対立
足利直義と高師直が対立したのは、両者の価値観の違いも影響していました。
直義は、基本的に皇族や公家の権力も正当なものと考えており、また法律や書類を重んじる考えでした。
とても理性的というか実証的というか「忠実なお役人」という感じですね。
一方で師直は?というと、太平記で「帝などハリボテでも立てておけばいい」とまで書かれるほどの超リアリスト。
この発言を実際にしたかどうかはさておき「師直ならそう言ってもおかしくない」と思われていたタイプだったのでしょう。
「土地や役職は実際に功績のあった武士に優先して与えられるべきであり、何もしていない公家どもになんぞやらんでいい」
それが高師直の基本スタンスでした。
足利家の中枢にいる二人がこんなにも異なる意見を持っていたのですから、もちろん配下の武士や与党となった各地の豪族たちも真っ二つに割れます。
おおまかな分類として
◆直義には足利一門や世襲で権限を持っていた武士たち
◆師直には畿内周辺の新興武士といえる人々
がついていました。
さらに違うのが「実戦が得意かどうか」という点です。
漫画『逃げ若』でもいわれていましたが、直義はどうにもこうにも戦が苦手。
比較して師直はいわゆる「戦上手」です。
時系列が前後しますが、なんせ高師直は、北畠顕家や楠木正行など、戦上手な南朝の重臣たちを相手に勝利を重ねています。
正行に勝った後はその勢いで吉野に攻め込み、後醍醐天皇の跡を継いだ後村上天皇を賀名生(あのう)へ追いやるという大戦果を挙げるほど。
となると、荒っぽい武士からすればこうなります。
「戦に強くて気前良く恩賞をくれる師直サン、サイコー!!」
一方で長年子供に恵まれなくても正室を大切にし、さらに尊氏が認知したがらなかった庶子・直冬を養子にして後ろ盾になってやった直義は
「直義様は小難しいこともできて情もあって素晴らしいお方だ!一生ついていきます!!」
と見た人々に支持されました。
戦や政治にあまり関係ないところでいうと、当時の流行だった「婆娑羅(ばさら)」に対して直義は否定的、師直は比較的肯定という違いもありました。
文字通りの真逆というか、凸と凹というか、水と油というか。尊氏が二人をうまくなだめて使いこなせればよかったのですが……。
尊氏は「気前はいいけど前後事情を考えない」という上司としてあるまじき特性を持っていたために、むしろ事態を悪化させてしまうのです。
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