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【足利義昭】
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京都焼き討ちの噂がたちまち広まり
信長包囲網は、たしかに織田家を窮地に陥れたかのように見えました。
実際、信長自身もかなり肝を冷やしたでしょう。
そこで織田家では冷静に各個撃破を行い、さらに最大の勢力だった武田信玄が1573年に亡くなったことで、包囲網はアッサリ瓦解してしまいます。
足利義昭は慌てて二条城の戦備を進めますが、その間に信長から「娘を人質として差し上げますので、和睦していただけませんか」と、あくまで低姿勢な申し出がありました。
残念なことに、信長に対して不信感を強めていた足利義昭は、これを拒否。
対する信長の返事は「なら京都を焼きますけどいいんですね^^」(※イメージです)というものでした。こええ。
「京都の民は泣きながら家財道具を持って逃げようとしている」(超訳)
と記録しています。
ルイス・フロイスは信長や秀吉にどんな印象を抱いていた?日本に骨を埋めた宣教師
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この時点で、将軍の権威より信長の実力のほうが恐れられていたということですね。
御所は焼かずにお仕置きを
そして天正元年の2月、ついに信長は兵を動かしました。
まずは岐阜から琵琶湖までの道を確保して引き上げます。
そのタイミングで足利義昭が「よろしい、ならば戦争だ!」と、松永久秀たちを率いて兵を挙げました。
松永久秀と言えば、その息子の松永久通が自分の兄(足利義輝)を殺した憎き相手のはず。
いわば敵を頼るなりふり構わない姿勢に本気さが見えますが……。
それから約一ヵ月後。
信長はいよいよ足利義昭を倒すため京へ向かいます。
布陣が済んだ後、真っ先に朝廷へお金と手紙をわたし、「ちょっと騒がしくなりますがご安心くだされ」と告げております。
また、建前としては足利義昭のほうがエライので、一度は頭を下げて和睦を申し出てもいました。
この辺、本当に信長は律儀というか、優しいというか。戦わなくてもよい合戦は、少しでも経費を浮かすために避けたいんだろうか?とも思ってしまいます。
まぁ、軍事費の管理は非常に大切ですよね。
あるいは京都そのものへの配慮もありそうです。
上記の通り京の住民には「信長に焼け出されるぞー!」ということが知れ渡っていたので、信長へ必死に助けを求めました。
信長は「庶民を巻き込むのは俺の趣味じゃない」と考えてか、下京(しもぎょう・京都の南側)については焼き討ちを中止しましたが、北半分である上京(かみぎょう)は許しませんでした。
上京には幕府に味方する商人などがたくさん住んでいたからです。
これについてもフロイスが「最後の審判の日が来たかのようだ」と書き残しています。
当時の御所は上京の北寄りにあったのですが、よくこれで御所が焼けなかったものですね。
この後、ときの皇位にあった正親町天皇が和睦するよう双方に命じていますので、たぶん御所ごと無事だったんでしょう。
余談ですが、信長でさえここまで気を使った御所に鉄砲ぶちこんだ幕末の長州藩ってやっぱりぶっ飛んでますね(禁門の変)。
槇島城で陥落 息子を人質に出して生き永らえる
一旦は和睦した両者。
しかし、根本的な原因は1ミリも解決しておりませんので、京都周辺で再び戦になります。
足利義昭は二条城を家臣に任せ、自分は槙島城(まきしまじょう/現・京都府宇治市)に篭りました。
が、槙島城は、とても織田軍の猛攻に耐えられるような城ではありません。
そして元亀4年(1573年)7月、打って出た兵は討ち取られ、四方を放火され、絶体絶命に陥った足利義昭は、事ここに至ってようやく降伏します。
嫡男の義尋(ぎじん)まで差出してのことでしたから、もはや将軍の権威も何もあったものではありません。
当時わずか1歳だったこともあってか、信長は義尋を斬りはせず、お寺に預けてそのままにしていたようです。
足利義昭そのものの命については、これを奪うようなことはせず、縁戚の三好義継へ行かせました。
信長の事績を記す『信長公記』(著:太田牛一)によれば、
「義昭を切腹させてもよいが、この判断は後世の批判に委ねよう」
だなんておっしゃられています。
なんだか、信長から直接話しかけられているようで、ドキッとしてしまいますね。
なお、京都を出て行く時の義昭は、市中の人々から「貧乏将軍」と嘲笑されたといいます。
庶民たちも、日頃の将軍の情けなさを感じていたのでしょう。
少なくとも尊敬はされておらず、京都に居場所のなくなった義昭。
顕如(本願寺)の助力を得て、三好義継を頼るのでした……と思ったら、その足利義昭を匿ったがゆえに信長の怒りを買った三好義継はアッサリ潰されてしまいます。
信長と義継は、かつては【互いを助け合う】良好な関係を築いていたのですが、【信長包囲網】のときに三好義継が裏切っており、さすがに今度は許せなかったのでしょう。
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