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【狩野永徳の生涯】
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「死を賭した」100枚もの障壁画
城内部で100枚もの障壁画――言わば絵筆を介した織田信長との真剣勝負であります。
「死を賭した」とは冗談でもなんでもありません。
万が一、信長が絵画を気に入らなければ、何か別の理由で死を賜ることも大いにありえたからです。

織田信長/wikipediaより引用
そんな事態に備え、永徳は安土移住前に、弟へ家督を譲り、別家を立てさせていました。
パトロンと画家、あるいはライバル――個性の強い人物たちのぶつかり合いは、しばしばその時代を代表する傑作を生み出します。
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記録によると、永徳が3年の歳月をかけ、心血注ぎ込んで制作した安土の作品群100枚は、儒教や仏教などの宗教を主題としたもの、大樹、龍や虎、鳳凰などあらゆるモチーフが、金地の上に濃厚な色彩で描き出されていました。
残っていたら、同時代そして後の世代にどれほどの影響を与えたでしょうか。
しかし、それはまさしく夢幻の如くなり。
1582年、本能寺の変で織田信長が討たれると、程なくして安土城も燃え、永徳の手がけた作品群も焼け落ちてしまいました。まるで信長の後を追うかのように。
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新たなパトロン秀吉のもとでも飛翔
引き立ててくれるパトロン。
そして、我が子とも言うべき作品たち。
これらを失ったことは、永徳をどれほど打ちのめしたでしょう。
100枚にも及ぶ力作を焼失した永徳ですが、しかし、心は折れませんでした。
彼は、信長の後継となった豊臣秀吉に仕えます。そして大坂城、聚楽第など、豪華な建造物のために障壁画を描いていくのです。
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さらには秀吉に倣い、他の大名たちも、永徳に注文を寄せるようになりました。
天下人秀吉を筆頭に、重鎮たちのために絵筆をふるう――まさに「天下一の絵師」となったのです。

『檜図屏風』170.3×460.5㎝/wikipediaより引用
しかし、大量の注文を捌くべく、「昼もなく夜もなく」描き続ける日々は、彼の心身を容赦なく削りました。
さらには「天下一」の地位を狙う存在も、迫ってきます。
その名は長谷川等伯。
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北陸出身の絵師で、一時期は狩野派の門下にもいた事があるとも言われる、当代きっての絵師でした。
天下一の絵師を下克上の牙が襲う
長谷川等伯は、永徳の編み出した「大画様式」を取り入れ、消化。永徳の豪放な画風とは異なる、独自の画風を作り上げます。
それだけではありません。狩野派同様に門人たちを育て、大規模な仕事にも対応できるシステムを整えていたのです。
そんな等伯と、彼が率いる長谷川派が、1590年、ついに牙を剥きました。
秀吉の造営した仙洞御所の対屋を飾る障壁画を、自分たちで請け負おう!と運動したのです。
永徳は驚き、そして焦りました。
かつて義輝を、そして信長を倒した「下剋上」の刃が、自分にも迫ってきたのです。
多忙さから、ただでさえ余裕のなかった永徳は、煩悶に囚われます。もしも相手の台頭を許してしまえば、もしも万が一自分の絵が彼の絵に負ければ……。
等伯たちは、容赦なく狩野派を駆逐にかかるでしょう。「大画様式」も、天下一の地位も、これまでの人生を賭けて築き上げた全てが失われます。
これ以上の悪夢があるでしょうか。
一人の絵師として、何より狩野派の長として、絶対に避けなければなりません。
必死になって等伯らの台頭を抑えるも
永徳は、必死にコネをたどり、何とか割り込みの阻止には成功します。
しかし、それから一ヶ月後――ついに過労から、仕事中に倒れてしまうと、ほどなくして亡くなってしまうのです。
享年48。

『花鳥図』聚光院障壁画/wikipediaより引用
振り向かず、ひたすら前だけを見て進む――。
永徳の人生を概観してみると、そんな言葉が浮かんできます。
絵筆を支えに、道を開くための武器としながら、最後まで彼は必死に生きたのです。
そんな彼の生きた証とも言うべき作品は、ほとんどが建物と共に失われ、現在まで残っているのは10点にも満ちません。
ですが、もしその作品の前に立つ機会があったら、思い起こしてください。
筆一本で乱世を必死に生き抜いた。
一人の絵師の人生を。
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文:verde
【参考】
成澤勝嗣『もっと知りたい狩野永徳と京狩野』(→amazon)
安村敏信『もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派』(→amazon)
並木誠士『絵画の変 日本美術の絢爛たる開花』(→amazon)
狩野永徳/wikipedia







