狩野永徳

『唐獅子図屏風』/wikipediaより引用

文化・芸術

信長の御用絵師・狩野永徳が命を懸けた天下一絵師への道 48年の生涯を振り返る

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信長との出会いと新スタイル「大画様式」

狩野永徳織田信長との出会いがいつ、どのようなものだったのかは正確にはわかっていません。

一説には、そのきっかけを作ったのは、先の『洛中洛外図』屏風だったとも言われています。

尾張半国からスタート。今川氏や斎藤氏などの強敵を打ち破り、今や天下を手にせんとする信長との出会いは、永徳にとって、大きな刺激であり、ターニング・ポイントともなりました。

彼は、これまでにない新たなスタイル「大画様式」を生み出すのです。

それが先にも挙げた『唐獅子図屏風』ですね。

唐獅子図屏風/wikipediaより引用

サイズは224.0×453.5cm。「大画様式」とは文字通り、大きな画面の中に樹や動物などのメインモチーフを大きく描き出すもので、画面の残りは余白として残したり、あるいは金で塗りつぶします。

こうする事でメインモチーフの存在感が際立ち、画面から飛び出さんばかりの迫力と力強さが出現!

シンプルで力強く、豪華な画面は見る者を圧倒し、まさに織田信長が作ろうとする新たな時代にふさわしいものでした。

1576年、安土城の築城が始まると、永徳もお抱え絵師として安土に移り住みます。そこで彼を待っていたのは、城の内部を飾る100枚もの障壁画制作でした。

言わば絵筆を介した織田信長との真剣勝負でもあります。

死を賭した――とは冗談でもなんでもありません。

万が一、信長が絵画を気に入らなければ、何か別の理由で死を賜ることも大いにありえたからです。

そんな事態に備え、永徳は安土移住前に、弟へ家督を譲り、別家を立てさせていました。

パトロンと画家、あるいはライバル――個性の強い人物たちのぶつかり合いは、しばしばその時代を代表する傑作を生み出します。

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記録によると、永徳が3年の歳月をかけ、心血注ぎ込んで制作した安土の作品群100枚は、儒教や仏教などの宗教を主題としたもの、大樹、龍や虎、鳳凰などあらゆるモチーフが、金地の上に濃厚な色彩で描き出されていました。

残っていたら、同時代そして後の世代にどれほどの影響を与えたでしょうか。

しかし、それはまさしく夢幻の如くなり。

1582年、本能寺の変で織田信長が討たれると、程なくして安土城も燃え、永徳の手がけた作品群も焼け落ちてしまいました。まるで信長の後を追うかのように。

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新たなパトロン秀吉のもとでも飛翔

引き立ててくれるパトロン。
そして、我が子とも言うべき作品たち。

これらを失ったことは、永徳をどれほど打ちのめしたでしょう。

100枚にも及ぶ力作を焼失した永徳ですが、しかし、心は折れませんでした。

彼は、信長の後継となった豊臣秀吉に仕えます。そして大坂城、聚楽第など、豪華な建造物のために障壁画を描いていくのです。

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さらには秀吉に倣い、他の大名たちも、永徳に注文を寄せるようになりました。

天下人秀吉を筆頭に、重鎮たちのために絵筆をふるう――まさに「天下一の絵師」となったのです。

『檜図屏風』170.3×460.5㎝/wikipediaより引用

しかし、大量の注文を捌くべく、「昼もなく夜もなく」描き続ける日々は、彼の心身を容赦なく削りました。

さらには「天下一」の地位を狙う存在も、迫ってきます。

その名は長谷川等伯

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北陸出身の絵師で、一時期は狩野派の門下にもいた事があるとも言われる、当代きっての絵師でした。

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編集管理人・五十嵐利休。 1998年に大学卒業後、都内の出版社に勤務。 書籍や雑誌の編集者を務め、2013年に新聞記者の友人と武将ジャパンを立ち上げた。 月間の最高アクセス数は960万PV超。 現在は企業のオウンドメディア運用やコンサルティング業務もこなしている。

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