麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第35回 感想あらすじ視聴率「義昭、まよいの中で」

麒麟がくる第35回感想あらすじ~視聴率は12.7%でした

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麒麟がくる全視聴率
麒麟がくる感想あらすじレビュー

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元亀2年(1571年)秋――。

光秀は比叡山の戦い一番手柄として、志賀の地二万石をもらい、琵琶湖のほとり・坂本に新たな城を建てようとしておりました。

そこへ長女の岸が入ってきます。

岸は城から近江の湖(うみ)、琵琶湖が見えるか?を気にしています。

天守に登れば見える。

光秀が答えると、岸はその情景を思い浮かべ、喜んでいます。

そこへ煕子もたまを呼びに入ってきます。投石による頭部負傷を治療するため、駒のところへ通っているのです。

煕子は岸まで光秀の邪魔をしていると言いつつ嬉しそうな表情。光秀はほぼ終わったと返します。

城の図を煕子が見ていると、気が進まない様子の光秀は、住むのはやはり、ここ、京都の屋敷がよいと言うのです。

上洛して3年。それで城持ち大名となるのだから、家中の者は皆喜んでいる。坂本に参る日を楽しみにしている。

煕子はそう言いますが、なんとも困った顔をしている光秀。はて、何があるのでしょう?

するとそこへ伝吾がやってきて、木下藤吉郎の到来を告げます。

光秀は城も湖も美しいだろうと言い、岸も楽しみにしておりますが、何か複雑な事情があるようです。

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本当に怖いのは人たらし

藤吉郎がやってくると、光秀は少し顔が曇ります。

腹の底に不満を飲み込める藤吉郎に対し、隠しきれないものがある光秀。

そういう嫌悪感を乗り越え、【金ヶ崎の退き口】のあとに光秀が秀吉を庇ったことは重要です。

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この二人が心底理解しあって、何かすることはない。相性が決定的に悪い。

藤吉郎はペラペラと、立板に水で、明智の働きを褒めます。

胸のすく思い、織田家臣団でも城持ち大名なんてなかなかいない、いかに信頼されているか! いや、あやかりたい! 私もあやかってみたい!

………人間というのは、褒められたら浮かれるものですけれどもね。光秀にはそれが通じにくい。

この妙な堅苦しさ、謙遜なのか真面目なのか、ズレているところ。以前も指摘しましたが、『鬼滅の刃』だと炭治郎枠ということで。

藤吉郎――のちの秀吉は褒めておだてる“人たらし”。

本作の信長を【サイコパス】とみなす意見がありますが、私はちょっと違います。信長は人心掌握がそこまで長けていません。むしろやらかしが多い。

【サイコパス】というのは、残酷なだけでなく人身掌握と操作を学んでいる。

これまた『鬼滅の刃』ならば童磨です。人の心を喜ばせ、つけいり、操っている。そういうスキルがある。

秀吉がした妹と芋の話……すごく感動的だし、嘘ではないと思う。

けれども、こういうケチのつけようがない悲しい話をして、自分の価値を高めること、同情心をひくことは【人心操作の基本】です。

表面的には魅力的で口が達者なぶん、信長よりも怖いとは思う。

外面は抜群によい、だからこその“人たらし”ではあるだけに、気をつけて見ていきたい。

 


次なる信長ミッションとは

光秀には、そんな秀吉の人心掌握術が通じません。それだけに信長の命令を冷たく事務的に受け取る。

なんでも信長は、光秀と藤吉郎で公家を救えと言い始めたとか。

光秀はそれを知り、ギョッとしています。

帝に仕える公家衆の貧しさをなんとかするめに、洛中洛外で米を作り、寺や富裕層に貸して利息をとり、公家に与える。

帝の妹から幕府とりあげた領地を取り返し、幕府の奉行衆を処罰する。

信長は朝廷を助け、喜んでもらうことで頭がいっぱい。

そう言う藤吉郎に、光秀は困惑します。

気持ちはわかるにせよ、これでは幕府に喧嘩を売るようなもの。波風が立つことを懸念しているのです。

その瞬間のことです。藤吉郎は、愛嬌たっぷりの表情の奥から、突如、狡猾そのものの顔を剥き出しにする。

いやあ、佐々木蔵之介さんでよかった。

秀吉は醜いのに、彼ではイケメンすぎると言われていましたが、【甘ったるいほどの魅力とゾッとするほどの冷たさ】を両方同時に出せるとなれば、やっぱり佐々木蔵之介さんですね。彼以外はもう考えられない。

藤吉郎はここで、明智様だってそうしてきたとぬけぬけと言います。

お前も共犯者だ、逃げられると思うなよ……そう言外にこめられているとなれば、光秀も心が動揺してしまう。そこを見越しているのでしょう。

 


後の関白となる人物のセリフだから

「もはや殿は幕府なんぞはどうでもいい」

そう言い切る藤吉郎。

信長は朝廷と敵を討ち果たし、天下をお支えするのだと言います。これも本作の超絶技巧だとは思えるのですが、幕末にも同じ構図が出てきます。“玉”こと天皇をどうするか? そのことで政局が揉めました。

そのうえで、藤吉郎はそれで結構だと言い切る。光秀は反論します。公方様を頭にした幕府が諸国を束ねてこそ、世を糺せると言い切ります。

しかし藤吉郎は、不敵な笑みで言い返す。

「糺せますか? 幕府はもう、百年以上内輪揉めと戦で明け暮れてきたのです。百年も!」

ここで藤吉郎は、自分の目線で語り始める。

幼き頃より百姓の下働きや物売りをしてきて、公方様や幕府がどれだけありがたいか知らずに育ってきた。

それゆえかえって、世がよく見えることがある。

幕府はそろそろ見切りどきでは?

そう言ってのけるのです。

これも本作の意義が凝縮されたセリフではないでしょうか。

後の天下人・豊臣秀吉だから、誰もが頷ける。

しかし、ただの百姓のままで終わる誰かなら「いいから別の人物出してよ」となるかもしれない。

民衆目線、いろいろな階層の目を通さなければ、歴史は立体感を持って浮き上がってこないことが感じられるシーンです。

そしてここの会話では、三英傑と光秀のビジョンも見えてきます。

秀吉は武士の誇りに無頓着。

白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ、なんて言葉もあります。将軍になんてならずに、関白になればそれはそれでよい。その方向へ向かうと見えてくる。

一方で、光秀は違う。

キャストビジュアル第一弾で「武士の誇りを忘れぬ男」とあった。あくまで幕府あっての武士だという思いがあります。

家康はそんな光秀路線を受け継ぐからこそ、将軍となり、幕府を新たに開く。

しかし、その幕府では……。

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