厳島の戦い

毛利元就/wikipediaより引用

毛利家

厳島の戦いで毛利軍の奇襲が炸裂! 陶晴賢を破って元就が中国地方の覇者へ

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捕食者がいつのまにか食われる立場に

エサに釣られた大魚・陶軍。

そこが厳島という極めて狭い漁場ということをすっかり忘れてしまったかのように、この状況でもし包囲されたら……なんてこと考えもしません。

だって、毛利には陶軍を囲めるほどの人数がいないのですから。

そこが陶晴賢一生の不覚でした。

一方、そのころ毛利側は着々と準備を進めています。

確かに毛利家だけの兵ではどう考えても数が足りませんが、敵を小さな島に押し込めた上で、出口となる海を包囲してしまえば袋のネズミの完成です。

海で包囲するのなら、陸地で同じことをするよりも兵数は必要ありません。

敵船の間を泳いで通り抜け、対岸までたどり着くなんて芸当は不可能でしょうしね。

時期的にも水が冷たくなる頃ですし、下手に飛び込んでもそうそう長くは泳げません。

そこに目をつけた元就は自分の家の水軍だけでなく、瀬戸内海の有力者・村上水軍に援軍を要請し、「包囲よろしく」と依頼したのです。

これで準備は万全、あとは神様の気分次第……。

 


元就&隆元らと隆景が二手に分かれ

作戦決行の夜――。

予想外の荒天に見舞われながらも、毛利側は二手に分かれて進軍を開始します。

毛利元就毛利隆元という新旧二人の当主が島の裏手。

「三本目の矢」こと小早川隆景が船で島の正面へ向かいました。

もちろん、隆景はそのまま戦ったわけではありません。なんと「陶さんに加勢に来ました!(キリッ」と大嘘をついて無事上陸を果たすのです。

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小気味良いくらいの清々しい嘘ですね。さすが親子。

そしてこっそり宮尾城の味方と合流します。

嵐も収まった翌朝10月1日、ついに毛利の逆襲が始まります。

月岡芳年『大日本名将鑑毛利元就』/wikipediaより引用

前から後ろから容赦なく攻め立て、数で勝る陶軍を見事に大混乱へ叩き落します。

我先に助かろうとして、無事な兵も互いに船を奪い合い、沈没あるいは溺死者が続出。

無事出航した船も村上水軍によって討たれてしまいました。

そんな状態ですから、奥まった本陣にいる晴賢が船に乗ろうとしても当然残っているはずがありません。

ついに諦めた晴賢は、大江浦(別説として高安原)で自刃しました。

毛利氏の本姓が大江氏であることを考えると、なかなか因果なものを感じますね。

大江広元
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ちなみに晴賢を引き止めてくれた弘中隆包(ひろなかたかかね)は、その後も2日間粘り続けましたが、最後の一兵まで戦い全滅しました。

 


戦場となった聖域をきちんとお掃除した元就

こうして後に頼山陽が【日本三大奇襲】の一つとした厳島の戦いは、毛利側の完全勝利となったのです。

陶軍の死者は4,000人を超えたといわれており、毛利方の兵数とほぼ同等。

諸説ありますが、これは全軍から見た割合だと。おおよそ1/4~1/8弱に該当します。

現在の軍事的にいえば「全滅」が直接戦闘する兵の3割死亡であり「壊滅」が5割死亡にあたります。

ちなみにこの上は「殲滅」(全員死亡)しかありませんので、毛利軍のパーフェクト完勝ぐらい凄まじいものでした。元就さんマジパネェ。

そして元就の凄いところは、戦後処理も見事だったことでしょう。

特に厳島の戦いの後は、神域を汚したお詫びとして社殿を洗い清めた上、島表面の土を削り落として徹底的に血の臭いを消したそうです。

その後も社殿の整備や島の保全に勤めるなど、万全なアフターフォローをしています。

そのおかげか、神社側が毛利家を責めたとか、朝廷からお咎めを食らったとかいうことはなかったようです。

さすがに一代で地方領主から8カ国の支配者になった方ですね。

元就さん、その他毛利一族の生涯をご覧いただきたい方は、以下の記事も合わせてご覧ください。


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長月 七紀・記

【参考】
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
歴史群像編集部『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
国史大辞典
厳島の戦い/wikipedia

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