絵・富永商太

織田家 信長公記

信長を長年苦しめた伊勢長島の一揆勢 ついに最終決戦へ! 信長公記116話

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この焼き討ちだけが取り沙汰され「信長はこの上なく残虐だ」と受け取る方も多いのですが、それ以前に深い因縁があったことを考えれば単に残虐と断じることも難しいのではないでしょうか。

逃げ出した信徒の中には、石山本願寺へ駆け込んだ者もおりました。つまり、中江・屋長島の一揆勢のうち、リーダー格だけの首を取っても、生き残った者たちが再び戦う可能性は決して低くありません。

中江・屋長島の者を助ければ、石山本願寺の兵力が増す可能性が高くなるのです。

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見せしめのため焼き討ちを徹底したのでは?

この先は私見ですが……。

おそらく信長が「長島一揆勢を焼き殺す」という判断をしたのは、比叡山焼き討ちの際の人的被害が、現在、語られているほど多くなかったからではないでしょうか。

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既に触れている通り、比叡山焼き討ちの直後こそ、世間は信長を恐れたものの、さほど間を置かずに一向宗徒が浅井方についたり、それこそ長島一揆勢によって織田家臣の複数名が討死しています。

「都の鎮守」として重要なイメージを持っていた比叡山という「箱」を焼いただけでは、イメージ戦略には足りない。ならば非道と謗られようと、人的被害を増やすしかない……という結論に至ったような気がしてなりません。

なんせ信長は、これまでの戦いでも、温情をかけた相手に再び裏切られたりして、手こずらされてきたのです。

今後の戦を有利にする、あるいは相手が怯えて自ら臣従を選んでくれれば、信長は真の天下人に近づきやすくなります。

既にこの時点で、信長は40歳。「人間五十年」の終盤にあたり、焦る気持ちもあったでしょう。

こうして信長は29日のうちに岐阜へ帰還し、長島一向一揆との戦いと、『信長公記』巻七はここで終わります。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち』(→amazon
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon


 



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