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【信長の贈り物外交】
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天正三年(1575年)頃の織田家は、以下のような国を支配下に治めておりました。
尾張・美濃・伊勢志摩・近江・伊賀・大和・山城・河内・摂津・和泉・丹波・越前・若狭
流動的な部分もありますが、畿内も押さえた上で三好家の最大版図をしのぐ大きさになっていたのです。
面積だけで比べたら、実は当時の武田家も同様クラスの広さがありましたが、甲斐・信濃・駿河・上野は石高も税収も劣ります。
しかも長篠の戦いに敗北して、最も大切な人的資源を大幅に減らしておりました。
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単純に国力だけ比較したら、単独で織田家に対抗できるのはもはや毛利家ぐらいしかいない状況です。
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奥羽の名馬を贈られテンションあげあげ
瀬田の唐橋を見分して、京都入りした信長。
この日は二条の妙覚寺に到着したとあります。定宿ですので、このときも宿まったのでしょう。
少し日付が飛んで、次は10月19日。
伊達輝宗(伊達政宗の父)から、名馬「がんぜき黒」と「白石鹿毛」、そして鶴取りの鷹2羽が献上されてきました。
信長は特に乗り心地のいい白石鹿毛を気に入り、大切に飼うことにします。
よほど気に入ったのでしょう。
伊達家の使者である鷹匠と馬添いの二人に対し、村井貞勝にもてなすよう命じたとか。
さらに伊達家への返礼の品がなかなか豪勢なものでした。
・虎の皮 5枚
・豹の皮 5枚
・緞子(どんす) 10巻
・しじら 20反
この他、使者の二人には別途黄金二枚を与えたそうです。
緞子(どんす)は経糸と緯糸を違う色で織った繻子織(しゅすおり)の一種です。厚地で光沢があり、柔軟性を持ちます。
戦国時代当時はまだ国産の緞子は少なかったため、おそらく信長が贈ったのは中国からの輸入物でしょう。
また、当時の高級な布の代表格であることから、国産かつ緞子とは違う種類の高級織物を緞子と呼ぶこともありました。こちらの場合は国産かもしれません。
しじらは、経糸もしくは緯糸のどちらかを縮ませて織ることで、表面に凸凹模様を浮き上がらせた布のことです。
広義では縮緬(ちりめん)も含まれます。現代では「阿波しじら織」などが有名ですね。
誠意のある対応ですけど
国内には生息していない虎や豹の皮も含め、まだ付き合いの薄い家への返礼としては、なかなか気前が良い内容です。
もっとも、かつて信長は武田信玄に対し、梱包用の箱にまで当時高級品だった漆をふんだんに用いたものを使ったことがありました。
その気前の良さから、信玄は「これほど高級なものを送ってくるからには、信長は誠意を持って武田に接しようとしているのだろう」と考えたとか。
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上杉謙信には『洛中洛外図屏風』(狩野永徳)を贈ったことでも知られますよね。
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贈り物でまず油断させる。あるいは財力を見せつけて畏怖させる狙いだとしたら、なかなかの精神攻撃。これで戦争ダメージを少しでも回避できるなら安いもんですよね。
翌10月20日は、播磨の赤松広秀・小寺政識・別所長治、他にも同地の国侍たちが上洛し、信長に挨拶をしたとあります。
赤松広秀は父と兄の死によって、元亀元年(1570年)に8歳で家督を継いだというなかなかの苦労人です。天正三年当時は13歳ですから、信長にとっては息子か孫かという年齢でした。
小寺政職は赤松氏や別所氏と争っていたのですが、似たような時期に織田家へ誼を通じたことで、この日一緒に挨拶をしに来たようです。
別所氏は父・安治の頃から織田家に従う意志を見せており、永禄十二年(1569年)【本圀寺の変】においては、将軍・足利義輝の救出に動いて信長に称賛されたといいます。
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長治が家督を継いだのは元亀元年(1570年)で、その後落ち着いて挨拶をすることができずにいたのを、この機会に……というところでしょうか。
播磨の実力者たちが揃ってやってきたことは、信長の方針を決める一因になったと思われます。
……といっても、それで全てがトントン拍子にいったわけではないのですけどね。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
外川淳『戦国大名勢力変遷地図』(→amazon)
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)