戦国絵師・長谷川等伯が描いた千利休/wikipediaより引用

織田家 信長公記

茶人・利休が信長の妙覚寺茶会を取り仕切る~信長公記127&128話

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信長の定宿で名物だらけのお茶会始まるよっ!

お茶会の会場は妙覚寺(京都市中京区)。織田信長が普段から使っていた定宿の一つです。

京都と堺の茶人17名を集めて行われました。

茶室には数多の名物が飾られていたそうで、その多くが様々な大名や茶人から献上あるいは買い上げたものです。

『信長公記』に挙げられているものだけでもざっと以下の通り。

 

 

違い棚

七ツ台(茶碗を置く台)に白天目茶碗

内赤の盆に「九十九髪」の茶入(松永久秀より献上・52話参照)

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その他

合子ごうす建水けんすい

乙御前の釜

「松島」の茶壺(今井宗久より献上・66話参照)

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茶道具の用語がわかりにくいと思いますので、簡単に補足しておきますね。

建水とは、茶会で使ったお湯を捨てる入れ物のことで、「合子」は蓋付きの入れ物のことを指します。

白天目茶碗は、天目茶碗という種類の茶碗のうち、白いもの。

天目茶碗は、上に向かって広くなっていく形状の茶碗です。横から見ると、長辺が上になっている台形のような形をしています。

文化遺産オンライン(→link)で各種の茶碗をご覧いただけます

鎌倉時代に中国から輸入され始め、室町時代に人気が高まり、戦国時代でもその人気が続いていました。

乙御前の釜というのは、全体的にふっくらした形の茶釜のことです(文化遺産オンライン→link)。

「乙御前」はお多福=おかめの面を指しますので、この場合は「おかめの面のように丸みがある釜」という意味になります。

 


宗易(利休)茶人としても商人としても

茶頭(茶会を取り仕切る人)は千宗易(のちの千利休)でした。

利休といえば豊臣秀吉との関係が有名ですが、信長に召し抱えられていた時期もあったのです。

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利休は大永二年(1522年)に堺の商家に生まれ、若くして父と祖父を失い、なかなか苦労していました。

その中で、当時堺で流行っていた茶の湯を習うようになり、天文十三年(1544年)に初めての茶会を開いて、茶人の仲間入りを果たします。

その後も商人と茶人という二つの面で活動。

信長が上洛した永禄十二年(1569年)頃から召し抱えられたようです。

利休は茶の席だけでなく、商人としても信長と関わりがありました。越前一向一揆討伐に際し、宗易が鉄砲の弾を調達し、礼状をもらったとか。

その他、姉小路頼綱がこの茶席に招かれており、いくらか会話をしたようです。

信長公記には利休以外の茶人や客に関する記述がないので、様相については推測の域を出ません。

「一生の思い出になるような茶会だった」とはありますが、信長公記の形容は基本的に大仰ですから、いくらか割り引いて考えたほうがいいでしょうね。

もちろん楽しかった(あるいは政治的に有意義だった)というのは間違いないと思います。

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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
外川淳『戦国大名勢力変遷地図』(→amazon
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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