絵・小久ヒロ

織田家 信長公記

勇将・磯野が織田家を去り 三木城・別所が秀吉を裏切る~信長公記161話

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別所長治が離反!三木城に立て籠もる

さらに半月ほど経った2月23日のこと。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)が再び播磨へ出陣しました。

秀吉はこの年の正月から安土にいたようで、元日と4日に信長・信忠の茶会に参加。その後はおそらく、自分の領地や長浜城の政務などを片付けていたのでしょう。

それから前線に戻った秀吉は、別所長治の与力・加須屋武則の城を借りて兵を入れました。

自分は書写山(姫路市)に登り、砦を築いて腰を据えています。

それから間もなく、長治が離反し、三木城(三木市)に立てこもります。

三木城は書写山と大坂・京都方面の間に位置していましたので、秀吉から見れば、背後を塞がれたような形です。

古今東西、二方面以上の敵を同時に相手取るのは難しいもの。毛利氏攻略同様に、三木城攻略も長引くことになります。

次にこの話題が出てくるまで少し間が開きますので、またそのとき改めて経緯をお話します。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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