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【信長公記160話】
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別所長治が離反!三木城に立て籠もる
さらに半月ほど経った2月23日のこと。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が再び播磨へ出陣しました。
秀吉はこの年の正月から安土にいたようで、元日と4日に信長・信忠の茶会に参加。その後はおそらく、自分の領地や長浜城の政務などを片付けていたのでしょう。
それから前線に戻った秀吉は、別所長治の与力・加須屋武則の城を借りて兵を入れました。
自分は書写山(姫路市)に登り、砦を築いて腰を据えています。
それから間もなく、長治が離反し、三木城(三木市)に立てこもります。
三木城は書写山と大坂・京都方面の間に位置していましたので、秀吉から見れば、背後を塞がれたような形です。
古今東西、二方面以上の敵を同時に相手取るのは難しいもの。毛利氏攻略同様に、三木城攻略も長引くことになります。
次にこの話題が出てくるまで少し間が開きますので、またそのとき改めて経緯をお話します。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)