絵・小久ヒロ

織田家 信長公記

東北の戦国武将らが次々に信長へ献上|信長公記第184話

2021/03/30

今回は織田家の外交を中心とした節です。

天正七年(1579年)7月18日、出羽の大宝寺義興(だいほうじ よしおき)という戦国大名が、織田信長に駿馬5頭と鷹11羽(うち1羽は白鷹)を献上してきました。

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悪屋方の弟・大宝寺義興

突然出てきた大宝寺義興という武将をご存知でしょうか?

出羽国(東北日本海側)の中でも山形県を本拠にした人物で、実は兄・大宝寺義氏の方が有名です。

この義氏、地元では「悪屋方(悪屋形)」なんて呼ばれており、配下の家臣たちだけでなく、領民にも嫌われていたことで知られます。

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大宝寺義興が信長に誼を通じようとしたのも、兄が討たれ、宿敵の最上義光から追い込まれていたからでしょう(実はこの2年後にも鷹と馬を信長に献上)。

このころの東北地方は最上が勢いを盛り返し、さらには伊達家も変わらず陸奥の有力勢力であり、後に新当主となる伊達政宗が愛姫との結婚をする年でした。

それから7日ほど経った7月25日、またもや東北地方から白鷹が献上されてきました。

送り主は陸奥・遠野の遠野孫次郎という者で、使者は石田主計(かずえ)という鷹匠。

この鷹は雪のように白く、姿形に優れており、見物に来た人々も感嘆したそうです。

信長もこれを大変気に入って秘蔵したとか。

 


名人久太郎の屋敷で接待とは

東北からの使者は止まりません。

同日には出羽仙北(秋田県)の前田利信なる人物も鷹を持参して献上し、信長に挨拶しているのです。

三人から同時期に鷹が献上されてきたということは、

・東北まで信長の趣味が知られていた

・信長と誼を通じたり、後ろ盾になってほしいと思う者が東北にもいた

・東北の誰かが献上するという話を得て慌てて送った

そんなことが想定できますよね。

大宝寺義興以外の二人(遠野孫次郎・前田利信)は素性が明らかになっていませんが、おそらくは地元の有力者といったところでしょう。

一定以上の財力がなければ、信長に贈れるほどの鷹を用意できませんし、使者を送ることも難しいはずです。

信長もそれに気付いていたのか。

7月26日には、堀秀政に対して「石田主計と前田利信をお前の屋敷で接待するように」と命じています。

文武両道で信長の信頼厚く、「名人久太郎」と呼ばれた堀秀政に任せたことからも、丁重におもてなしたことがわかりますね。

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しかも、です。

この席には、津軽の南部政直も相席していたというのですから、さらに驚き。

 

安土城に感動し「一生の思い出になります」て……

南部政直とは、おそらく168話(天正六年・1578年)に出てきた南部政直(宮内少輔)と同一人物だと思われます。

津軽ですから、これまた東北ですね。

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南部政直は、あれから一年間滞在していたのか。あるいは安土を再訪したのか。

まぁ、普通に考えれば後者のほうが可能性は高そうですよね。

石田・前田・南部の三人は安土城天守閣を見て感動し、「一生の思い出になります」と言っていたとか。

思わず石田三成と前田利家が並んでいる姿も想像してしまいますが、ともかくホンワカしていて、なんだか東北からの修学旅行生のようですね。

遠野孫次郎には返礼として、以下の三点が贈られました。

①織田家の紋が入った衣服 十重

「表裏の色がそれぞれ十色ずつあった」と書かれていますので、おそらく表裏の生地が違う「袷(あわせ)」の着物だと思われます。

②白熊の尾 二本

これは漢字そのままの「シロクマ」ではなく、「はぐま」と読みます。この場合はヤクを示すため、「白いヤクの尾」が二本ということです。

ヤクは日本には生息しておらず、その毛はインドや中国などから輸入され、兜や槍の飾りとして武士に好まれていました。

「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」という文句がありますが、この”唐の頭”はヤク毛の飾りがついた兜を意味しています。

③虎の毛皮 二枚

使者の石田主計にも、衣服五重と旅費として黄金が下賜され、主計は感動して帰っていったそうです。

 

宗論勝者にも銀子を振る舞い

8月2日には、同年5月に【安土宗論】で勝利した浄土宗の僧侶たちに銀子を送っています。

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主に発言していた聖誉貞安に銀子50枚。

宗論の会場となった浄厳院の長老に銀子30枚。

審判を務めた日野の景秀鉄叟に銀子10枚。

宗論の発端でありながら、冷静に対応した関東の霊誉玉念に銀子10枚。

なかなか気前のいい配りっぷりですね。

8月6日、今度は近江国中の力士を召し寄せ、安土山で相撲を取らせています。

その中で、甲賀の伴正林(とも しょうりん)という18~9歳の若者が七人抜きをし、翌7日にも良い取り組みを見せたため、信長は早速彼を召し抱えました。

この頃、鉄砲屋与四郎という者が罰されて牢に入れられていたので、彼の私宅や財産を没収し、正林に与えたといいます。

他にも知行100石・金銀飾りの太刀・脇差大小・小袖・馬・馬具一式が正林に与えられたのですから、相撲取りになって一発出世する道もあったんですね。

そして8月9日には、柴田勝家が加賀へ出陣、阿多賀・本折・小松(いずれも小松市)の入り口まで焼き払い、稲田を薙ぎ払って帰陣したことが書かれています。

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この時点の北陸戦線については膠着状態にありましたので、上杉氏などに対する軽い牽制といったところでしょうか。

次回は、裏切者・荒木村重のターニングポイントとなる出来事が起こります。

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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-織田家, 信長公記

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