金ヶ崎の戦い(金ヶ崎の退き口)

金ヶ崎城址の麓にある金崎宮

織田家

信長最大の危機「金ヶ崎の退き口」撤退戦を務めたのは秀吉で家康は?

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
金ヶ崎の退き口
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次


久秀の説得

一方、信長自身は10人ほどのごくわずかな供を連れ、一路、京都(経由して岐阜城)を目指しました。

問題は、途中、朽木元綱という武将の勢力圏を通らなければならないことです。

朽木家もまた浅井家と浅からぬ縁がある家でしたので、場合によっては信長を捕まえて浅井家に差し出すこともありえます。

朽木元綱
信長のピンチを救った朽木元綱と「朽木越え」名門武将84年の生涯を振り返る

続きを見る

どうしたものか……と迷う信長を、意外な人物が救いました。

戦国の梟雄として知られる松永久秀――『麒麟がくる』で吉田鋼太郎さんが演じ、俄然注目度の高まった武将ですね。

久秀は「朽木を説得して、穏便に通れるよう図らいましょう」と申し出ました。

信長を2度も裏切った智将の生涯~松永久秀は梟雄でも爆死でもない!

続きを見る

 


織田家の総力が結集

久秀はこの時点でも油断ならない人物として認識されていましたが、弁が立つのもまた事実。

信長は思い切って、久秀に交渉を任せます。

どうやって元綱を説得したのかまでは記録にありませんが、結果として久秀の交渉は成功し、信長一行は無事岐阜へ落ち延びることができました。

つまり、金ヶ崎の退き口は、

「戦闘以外の面でも織田家が総力を結集した」

出来事だった言えるでしょう。

ただの運やなりゆき、といえばそれまでですけれども、隠れたオールスター戦と見ることもできるのではないでしょうか。

長篠の戦い本能寺の変ほどのインパクトはありません。

本能寺の変
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は

続きを見る

しかし個人的には「信長について映像・小説などの創作をするのであれば、ぜひ気合を入れて作っていただきたいシーンだな」と思います。


あわせて読みたい関連記事

織田信長
史実の織田信長はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?

続きを見る

朝倉義景
朝倉義景は二度も信長を包囲しながらなぜ逆に滅ぼされてしまったのか

続きを見る

お市の方
史実のお市の方(信長妹)はどんな女性だった?どうする家康北川景子

続きを見る

浅井長政
信長を裏切った男・浅井長政29年の生涯とは?その血は皇室へ続く

続きを見る

浅井長政が織田信長を裏切った理由
信長はなぜ浅井に裏切られたのか?近江の複雑な国衆事情に注目だ

続きを見る

桶狭間の戦い
桶狭間の戦い 信長の勝利は必然か『信長公記』にはどう書かれてる?

続きを見る

朝倉義景
朝倉義景は二度も信長を包囲しながらなぜ逆に滅ぼされてしまったのか

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

TOPページへ


 



-織田家
-

×