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【金ヶ崎の退き口】
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久秀の説得
一方、信長自身は10人ほどのごくわずかな供を連れ、一路、京都(経由して岐阜城)を目指しました。
問題は、途中、朽木元綱という武将の勢力圏を通らなければならないことです。
朽木家もまた浅井家と浅からぬ縁がある家でしたので、場合によっては信長を捕まえて浅井家に差し出すこともありえます。
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どうしたものか……と迷う信長を、意外な人物が救いました。
戦国の梟雄として知られる松永久秀――『麒麟がくる』で吉田鋼太郎さんが演じ、俄然注目度の高まった武将ですね。
久秀は「朽木を説得して、穏便に通れるよう図らいましょう」と申し出ました。
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織田家の総力が結集
久秀はこの時点でも油断ならない人物として認識されていましたが、弁が立つのもまた事実。
信長は思い切って、久秀に交渉を任せます。
どうやって元綱を説得したのかまでは記録にありませんが、結果として久秀の交渉は成功し、信長一行は無事岐阜へ落ち延びることができました。
つまり、金ヶ崎の退き口は、
「戦闘以外の面でも織田家が総力を結集した」
出来事だった言えるでしょう。
ただの運やなりゆき、といえばそれまでですけれども、隠れたオールスター戦と見ることもできるのではないでしょうか。
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しかし個人的には「信長について映像・小説などの創作をするのであれば、ぜひ気合を入れて作っていただきたいシーンだな」と思います。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)