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義昭や信盛に叩きつけられた叱責文は実際どう書かれていた?書籍『信長の古文書』

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桶狭間で討ち取った記念に刀に刻んだ文言

写真として新紹介の文書も複数載っています。

天正3年(1580年)8月頃とみられる個人蔵の書状は、信長の自筆ではないかともされているものです。

武田勝頼と同盟していた小田原の北条氏政が信長に臣従したあと、鷹を献上したことが『信長公記』に載っておりますが、その際の文書の可能性があるそうです。

北条氏政/wikipediaより引用

こうした文書以外には、モノの写真もあります。

たとえば信長が「藤原姓」を名乗っていたときの制札で、以下のページは信長が発給した最古のものですね。

天文18年(1549年)、信長16歳のときで、当時「藤原信長」と名乗っていたという事実がわかる貴重なものです(後に平氏を名乗る)。

面白いものでは、桶狭間の戦い(永禄3年=1560年)のときに今川義元が持っていた刀を戦利品とし、記念にそのことを金象嵌で銘を入れたことでしょう。

それが信長を祀る京都の建勲神社の持つ「義元左文字」です。

表には

<織田尾張守信長>

裏には

<永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀>

と刻まれています。

 


唯一の自筆書状の宛先は?

最後に、唯一の自筆書状も紹介します。

信長の自筆とされるものは複数ありますが、来歴がはっきりしていて、どの研究者も自筆と認められるのは、この1通だけなのです。

天正5年(1577年)10月2日付の書状です。

松永久秀が信長を裏切ったとき、松永方の城を攻めた細川忠興の武功を褒めた内容です。熊本藩の細川家に伝わり、今も細川家の永青文庫に所蔵されています。

細川忠興/wikipediaより引用

本書は、1ページ1ページに信長の息吹を感じられるだけでなく、それぞれの書状についての詳しい解説が載っており、「あの頃にこんな文書を出したのか」などと、タイムスリップが楽しめます。

信長ファンならば、一生楽しめる一冊。

20,000円を10年、20年で味わえるなら、安い買い物かもしれませんぞ。


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恵美嘉樹・文

【参考】

山本博文・堀新・曽根勇二『織田信長の古文書』(→amazon

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恵美嘉樹

古代史と歴史旅をフィールドにした、史学科卒の二人組でつくる歴史作家ユニット。 史学や考古学の論文を分かりやすく紹介することに定評がある。 ◆主な著書 『日本の神様と神社-神話と歴史の謎を解く』講談社・2009年 『全国『一の宮』徹底ガイド』PHP研究所・2007年 『図説 最新日本古代史』学習研究社・2008年 『最新 日本古代史の謎』学習研究社・2011年

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