斎藤家 信長公記

道三と信長の初顔合わせ その時うつけは?|信長公記第13話

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信長と道三の対面
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朱槍の槍隊500 弓と鉄砲の部隊が500

「なんとかと天才は紙一重」なんて言い回しがありますが、当時の信長はまさにそんな感じだったかもしれません。

引き連れていた部隊も立派なものでした。

朱槍の槍隊500。

弓と鉄砲の部隊が500。

弓と鉄砲は内訳が気になるところですが、半々と言わずとも鉄砲が200ぐらいはないとこのような書き方にはならないような気もしますね。

この直後に起こった【村木砦の戦い】で信長は最前線に出て

「鉄砲をとっかえひっかえ撃った」

という記述はありながら、数がどれだけあったか、という点については記されておりません。残念です。

村木砦の戦い 信長が泣いた|信長公記第14話

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うつけ者の門前に馬を繋ぐだろう

こうして道三と信長は無事対面。

湯漬け(ご飯にだし汁をかけたもの)と酒を食しながらしばし語らい、無事に別れました。

別れ際、道三は斎藤家の兵の槍が短く、織田家の兵の槍がずっと長いことに気づき、帰り道でこう言ったとか。

「わしの息子どもは、あのうつけ者の門前に馬を繋ぐだろう」

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これも有名な話ですね。

まるで揉めていた息子・斎藤義龍(高政)との争いが前提のような話で。

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なお、道三と信長の関係は、戦国時代の婿・舅の関係としては比較的良好だった気がします。

道三から信長に援軍を出したこともありますし、その逆もまた然り。

残念ながら道三は、この会見から三年後の【長良川の戦い】で討死してしまい、その関係もわずかの間で真意の程は定かではありません。

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もう少し長生きしていたら、信長の上洛戦にも協力していたかもしれません。

そうなれば、さぞかし絵になる二人であったでしょう。

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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