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【信長と道三の対面】
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朱槍の槍隊500 弓と鉄砲の部隊が500
「なんとかと天才は紙一重」なんて言い回しがありますが、当時の信長はまさにそんな感じだったかもしれません。
引き連れていた部隊も立派なものでした。
朱槍の槍隊500。
弓と鉄砲の部隊が500。
弓と鉄砲は内訳が気になるところですが、半々と言わずとも鉄砲が200ぐらいはないとこのような書き方にはならないような気もしますね。
この直後に起こった【村木砦の戦い】で信長は最前線に出て
「鉄砲をとっかえひっかえ撃った」
という記述はありながら、数がどれだけあったか、という点については記されておりません。残念です。
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うつけ者の門前に馬を繋ぐだろう
こうして道三と信長は無事対面。
湯漬け(ご飯にだし汁をかけたもの)と酒を食しながらしばし語らい、無事に別れました。
別れ際、道三は斎藤家の兵の槍が短く、織田家の兵の槍がずっと長いことに気づき、帰り道でこう言ったとか。
「わしの息子どもは、あのうつけ者の門前に馬を繋ぐだろう」
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これも有名な話ですね。
まるで揉めていた息子・斎藤義龍(高政)との争いが前提のような話で。
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なお、道三と信長の関係は、戦国時代の婿・舅の関係としては比較的良好だった気がします。
道三から信長に援軍を出したこともありますし、その逆もまた然り。
残念ながら道三は、この会見から三年後の【長良川の戦い】で討死してしまい、その関係もわずかの間で真意の程は定かではありません。
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もう少し長生きしていたら、信長の上洛戦にも協力していたかもしれません。
そうなれば、さぞかし絵になる二人であったでしょう。
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参考文献
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』(全15巻17冊, 吉川弘文館, 1979年3月1日〜1997年4月1日, ISBN-13: 978-4642091244)
書誌・デジタル版案内: JapanKnowledge Lib(吉川弘文館『国史大辞典』コンテンツ案内) - 太田牛一(著)・中川太古(訳)『現代語訳 信長公記(新人物文庫 お-11-1)』(KADOKAWA, 2013年10月9日, ISBN-13: 978-4046000019)
出版社: KADOKAWA公式サイト(書誌情報) |
Amazon: 文庫版商品ページ - 日本史史料研究会編『信長研究の最前線――ここまでわかった「革新者」の実像(歴史新書y 049)』(洋泉社, 2014年10月, ISBN-13: 978-4800305084)
書誌: 版元ドットコム(洋泉社・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長合戦全録――桶狭間から本能寺まで(中公新書 1625)』(中央公論新社, 2002年1月25日, ISBN-13: 978-4121016256)
出版社: 中央公論新社公式サイト(中公新書・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『信長と消えた家臣たち――失脚・粛清・謀反(中公新書 1907)』(中央公論新社, 2007年7月25日, ISBN-13: 978-4121019073)
出版社: 中央公論新社・中公eブックス(作品紹介) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長家臣人名辞典(第2版)』(吉川弘文館, 2010年11月, ISBN-13: 978-4642014571)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ - 峰岸純夫・片桐昭彦(編)『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館, 2005年3月1日, ISBN-13: 978-4642013437)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ








