新納忠元

新納忠元(落合芳幾作)/wikipediaより引用

島津家

戦国島津に名を轟かせる 新納忠元は薩摩随一の猛将で泣かせる忠臣だった!

慶長十五年(1611年)12月3日は、島津家の家臣・新納忠元が亡くなった日です。

漢字のクセがなかなか強い御方ですよね。

「にいろただもと」と読みます。

印象的な名前だけでなく、彼は「戦国名家臣ランキング」なんてものがあったとしたら、おそらく上位に入るであろう名家老。

島津と言えば、父親の島津貴久と、その息子・四兄弟ばかりに目が移りがちですが、ここは一つ強力な家臣団も見てみたいと思います。

なお、島津には、新納だけでなく【島津の退き口】で大きな働きをした「中馬重方(ちゅうまんしげかた)」という魅力的な武将もおります。

記事末にリンクを張っておきますので、よろしければ後ほどご覧ください。

新納忠元/wikipediaより引用

 


貴久~忠恒の戦国島津家四代に仕える

忠元は、大永六年(1526年)に生まれました。

新納氏は島津家の親族にあたる家で、忠元はその中でも庶流の生まれです。

彼も鎌倉以来の名家の一員というわけですね。

島津氏の祖である島津忠久/wikipediaより引用

13歳で当時の島津家当主だった島津忠良(日新斎)にお目見え。

以降、その息子の島津貴久、続けて島津義久島津義弘島津忠恒に仕えました。

一騎打ちで勝ったり、負傷しながらも戦い続けたり。

戦場ではかなり勇猛な武将だったといわれています。

若気の至りかと思いきや、後者のエピソードは43歳のときのことであり、当時としては老人に入りかけた頃合ですから、忠元の勇猛さがうかがえますね。

それでいて決して猪武者ではない文武両道の勇将で、1年以上も籠城していた敵を降伏させたこともありました。

しかも、自ら人質となって城を明け渡させたのだそうです。タクティクスオウガか。

 


戸次川で討ち取った長宗我部の遺骸を丁重に送る

そんなデキる武将ですから、もちろん島津家の主要な戦いにも参加。

天正12年(1584年)の【沖田畷の戦い】では「ただ一直線に斬り進め!」というムチャクチャにも程がある、されど、ある意味薩摩らしい戦術で、龍造寺隆信を討ち取っています。

そうかと思えば、実に泣かせる男気もあり、最たる例が豊臣秀吉の九州征伐における緒戦【戸次川の戦い】でしょう。

長宗我部信親
四国の戦国武将・長宗我部信親の最期「オレは戸次川の戦いで死ぬ」

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戦闘そのものの経過は上記の記事をご覧いただくとして、忠元にはこの戦いが終わった後の逸話があります。

戸次川の戦いの後、自分が倒した相手である長宗我部信親(元親の嫡男)の遺骸を引き取るため、長宗我部家の家臣がやってきました。

忠元は「信親殿ほどの人物を討ってしまったとは申し訳ない」と、涙を流して詫びたというのです。

父親の長宗我部元親に負けず劣らず、長宗我部信親は、この世代の武将でもかなりの傑物とされており、薩摩にも評判が伝わっていたんですかね。

長宗我部信親(落合芳幾・作)/wikipediaより引用

誠意の証として、長宗我部家の本拠である土佐の岡豊城(おこうじょう)まで、僧侶を同行させたともいわれています。

僧侶は大変な旅だったでしょうが、忠元の律儀さ誠実さがうかがえるでしょう。

 


秀吉に向かい「何度でも敵になってみせましょう」

一方で、秀吉に従うことは最後まで是とせず、主の義久が降伏してようやく矛を収めました。

「自分の意見が異なっていたとしても、主の判断に従う」

まさに家臣の鑑ですね。

盲従すればいいというものでもありませんが、義久は後に徳川家康から「大将の鑑」と評された逸話があるほどの判断力の持ち主ですから、忠元も従おうと思ったのでしょう。

しかも降伏後に秀吉から「まだワシと戦う気は持っておるのか?」と問われたところ、「島津義久様が立ち上がるなら何度でも敵になってみせましょう」と返答しています。

豊臣秀吉/wikipediaより引用

この手のヤリトリ、大好物なのは秀吉だけじゃなく薩摩武士たちにも刺さったようで、後に語り草となっています。

まぁ、自分が一介の武士だとしたら「こんな人についていきたい!」と思わせるようなセリフですよね。実際についていったら「ただ一直線に斬り進め!」と言われて戦慄してしまいそうですが。

なお、新納は知名度の割に知行(領地)も少なかったようで、秀吉から引き抜きのお誘いがありましたが、これも断っています。

ますます薩摩隼人の心を惹きつけたことでしょう。

幕末の西郷隆盛西郷従道、あるいは大久保利通など。

金銭欲にあまり興味を示さない(というかむしろ遠ざける)姿勢というのは、この辺りからの伝統もありそうですよね。

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