太宰府でまひろと再会するも、とっさに背を向けてしまう周明。
まひろはそんな彼に声をかけます。
「息災だったのね」
「俺のこと、恨んでないのか?」
かつて越前でまひろに陶器のかけらを喉元に突きつけ、脅したことがある。周明はそれを忘れられずにいるようですが……。
「もう二十年も年月が流れたのよ」
「お前の命を奪おうとしたのに」
「あのころは周明も大変だったのでしょう。苦しかったのでしょう」
「すまなかった」
そう頭を下げると、「無事でよかった」とまひろがしみじみ答えます。
医師として人の顔を観察する周明は、まひろの心に嘘はないと理解したのでしょう。まひろまひろで、作家として、人の心を観察する術を学んでいます。
二人とも、もう若くはありません。
しかし歳月は、人の心の機微を思いやる優しさを身につけさせました。
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周明の二十年間
周明はあれからのことを語ります。
朱仁聡は公に商いをする野心が達成できず、博多から宋へ帰国しました。
周明は生まれ故郷の対馬に戻ったけれども、彼を知る人はもう誰もいない。そこで太宰府で通辞となったとのことです。
すると、宋からよい薬師(くすし)が来て、目の病を得意としているとのことで、周明はそこで医術を学び直しました。
周明が新たな居場所を見つけて喜ぶまひろ。
今度は周明が「何しにきたのか?」とまひろに尋ねます。
亡き夫が働いていた太宰府を見たかった――そう答えると、すかさず「夫を持ったのか?」と聞かれ、「周明も知っている人、越前の浜辺で出会った人」だと説明します。
「覚えてる?」
浜に馬で来ていた男だったと回想すると同時に、かなり年上の男だったことも思い出しました。
しかし、越前から戻って結婚すると、わずか二年半で妻と娘を残して亡くなってしまったのだとまひろは語ります。
「周明に妻はいないの?」
「いない」
「そう……」
周明は、まひろたちを政庁へ案内することとなりました。「まひろの夫も見た場所だ」とのことで、なかなか出入りが自由なようですね。
宋の商人で賑わう太宰府
かくして太宰府の政庁へ向かうと……「越前より随分と立派!」と驚くまひろ。
確かにその通り、よくセットを組んだものだと思います。
朱色の柱がいいですね。
太宰府を再現するだけでも大いに意義があるでしょう。展開としては強引でも、これはこれでアリだと段々思えてきます。
中には、大勢の宋商人たちがいました。
なんでも役人と話すために博多から太宰府に来るのだとか。淡々と話は進んでゆきますが、藤原行成が太宰府赴任を希望した理由もわかりますね。
宋の文房四宝なんて、書を愛するものからすれば垂涎ものです。
商人の側も、取り入りたいからそうした需要を踏まえ、色々ととよいものを付け届けしてくると。
そして朱仁聡が方針転換した理由も見えてきます。
別に強引に策を使って何かをする必要性はないと理解したのではないでしょうか。袖の下をはずめば日本の官吏は簡単に靡いてくるとわかったのでしょう。
天知る、地知る、我知る、子知る。『後漢書』「楊震伝」
中国にはこんな故事があります。
贈賄をされた楊震がこう相手に返し、悪事は必ず露見すると言い切ったのです。
それが美談として伝えられるほど、贈収賄は悪だという認識はあります。
一方で日本は、そこまで徹底されない。
必要悪という認識にとどまり、なかなか禁止されません。来年の『べらぼう』でも、田沼意次周辺の贈収賄は出てくることでしょう。
フィクションでもこれは反映されていまして、中国のドラマでは贈収賄を毒々しく扱うことがあります。
本音はさておき、建前としては問答無用の悪だとしてぶった斬る傾向があるのですね。
まひろも、周明も、昔を忘れてはいない
「今でも宋に行きたいか?」
周明がそう尋ねると、もう歳だ、そんな勇気も力もないと答えるまひろ。
いえいえ、太宰府に来ている時点でまひろには超人級の勇気と力があるでしょう。
周明も、そのような歳には見えないと言っています。
するとそこへ宋の名医・恵清がやってきました。
なんでも太宰権帥の目を治したのだとか。まひろが宋語で挨拶し、供手礼をすると、思わず驚く恵清です。
宋語が話せるのかと問われ、少しだけ、と答えるまひろ。
周明は、自分が教えた言葉を覚えているまひろに感激しています。
周明はまひろのことを覚えている。まひろも周明の教えたことを覚えている。なんてささやかな幸せでしょう。
記憶力や理解力という点では、周明は道長より上のような気もしなくはないのですが。逆に、そういう大雑把なところも道長の魅力といえばそうですね。
そしてこの場面は、画期的な要素があります。
恵清役が王偉さんなのです。
中国人の役を、中国人が演じるというのは大河ドラマの歴史における大きな一歩。
朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、朝鮮からの留学生役をハ・ヨンスさんが演じて話題になりました。
大河と朝ドラという看板ドラマでそれが実現した2024年は、NHKの歴史が一歩進んだ歳として記憶されることでしょう。
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