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『光る君へ』感想あらすじレビュー第46回「刀伊の入寇」悪女はどこへでも行ける

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第46回「刀伊の入寇」
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双寿丸と隆家との再会

庭では武者たちが武術訓練をしていました。

と、その中に双寿丸がいます。まひろに気付き、「賢子の母上が何してんだ?」と驚いています。

さすが伊藤健太郎さん、キビキビとした動きです。彼らが手にしている武器は、まだ洗練される前のもので、後世とは違って実に興味深い形状をしていますね。

太宰府を見にきたと返され「ただの女でないと思っていたけどすごいな」とおもしろがる双寿丸。

そう言う双寿丸は、残念ながらまだ手柄を立てていないようです。

争いがないのはよいことだとまひろが指摘すると、それを認めつつも「俺は武者だ」と返し、賢子のことを尋ねてきました。

太皇太后に出仕したと答えると

「大人になったのだな」

安堵したようにそう言う双寿丸。周明が知り合いだったのかと軽く驚くと「娘のいい人だったの」とまひろは微笑みます。

「そんなんじゃない」

即座に否定する双寿丸。彼は実に気のいい、裏表のないさっぱりした性格だと思います。

賢子の恋心は気づいていたのでしょうけれども、彼からすればそういう仲ではないと言葉の端々から伝わってくる。

妹のような存在だから「大人になった」と思うし、“いい人”というのも即座に否定する。デレデレしたら、そういう湿っぽさが出て、いやらしくなると思います。

すると藤原隆家がやってきました。訓練中の兵たちに向かって、酒を持ってきたから皆で分けるようにと伝えています。

隆家のイキイキ健康貴族ぶりがいいですね。

都の人は、こうさっぱりと身分の低い人と何かを分け合っているイメージが湧いてきません。

すると隆家が、めざとく周明とまひろを見つけ、「隅に置けぬのう」とニヤニヤ。

そういうおなごではないと即座に否定する周明ですが、これは宋の価値観が染み込んだ彼らしい反応かもしれない。

平安京の貴族は「色好み」ですが、中国の知識人階級は好色ぶりを大っぴらにはしないものとされました。風流を気取ってややアウトロー気味、芸術系の人だと異なりますが。

まひろが「藤原為時の娘です」と名乗ると、隆家が「太皇太后の女房である藤式部か」と思いあたります。

なんでも太閤様こと道長から丁寧にもてなすよう指示があったのだとか。旅の安全確保を命じられたそうですよ。

そして中関白家を追い詰めた『源氏の物語』を書いた女房をもてなせなど酷だと冗談混じりに言います。

まひろはハッとしたものの、隆家は「疲れただろう!」と明るく気遣うのでした。

 


仲間と茶を味わおう

まひろは抹茶でもてなされました。

そっと一口、口に含むと、思わず困惑した顔を浮かべてしまう。

飲み慣れたらうまいと隆家が言い、そこにいる皆は美味しそうに飲み干しています。茶道の作法はまだまだ成立していませんので、自由に飲んでいますね。

中国からの茶は、これより前に伝来しています。

唐だと茶といっても今とは異なり、茶葉だけでなく、香草や干した果物も混ぜて煮詰めるような飲み方です。

それが宋になると抹茶のようになり、日本に伝わりました。

明になると、今度は抹茶は禁止令が出され、日本にだけ残る不思議な現象となってゆきます。

日本における抹茶は、茶道として高級化されてゆきました。

江戸時代になると、中国から庶民の飲み方として煎じる飲み方が伝わり、抹茶と煎茶の二系統が残ることになったわけですね。

茶を飲む場所も、薄暗い茶室ではありません。明るい部屋の中で、椅子と卓で飲む、茶道確立前の珍しい場面となっています。音楽もおしゃれで、平安カフェの風情が漂っていますね。

隆家が「茶は目にもよいのだ」と説明します。確かに当時はなかなか得難い栄養素が含まれてますので、寿命も伸びることでしょう。

無事に目を治した後、隆家は違ったものが見えるようになったのだとか。

内裏のような狭い世界で位を気にしているのはくだらぬことだったとして、こう続けます。

「ここには仲間がおる」

武者だが平為賢は信じられると隆家は語ります。

為賢も、重要な指摘を。

隆家はこの地の力ある者からまいないを受け取らない。自らも財を用いる身ぎれいさがある。だから慕われている。

隆家は位の高さや血統のためでなく、高潔な精神性ゆえに慕われているのですね。こんな風を浴びていたら、そりゃ内裏が馬鹿馬鹿しくなるでしょうね。

隆家はしみじみと「富などいらぬ、仲間がおれば」と言い切ります。

『鎌倉殿の13人』でもそういう傾向がありましたが、平安京の貴族は陰湿で、地方武士はスッキリ爽やかだと対比させているように思えます。

これは『源氏物語』を考える上でも重要に思えてきます。

あの物語は、地方の者や、ハキハキとした近江の君のような人物を野蛮で無作法だと定義します。

しかし、見方を変えてみれば、彼らが悪いと言うよりも、サッパリした人物を軽蔑する側が実は陰険だという見方もできるわけでして。

「太閤様は御出家あそばしたそうだなあ。知っておるか?」

隆家が唐突にまひろに問いかけてきました。

思わず驚いてしまうまひろ。聞けば道長は体も悪いようで、位を極めても病になるのが人の宿命だと隆家がしみじみ語ります。

道隆、伊周、道長は三者ともに糖尿病です。

都で栄養素も偏り、ろくに運動もせず、鬱々と政治闘争に励んで、病に倒れる。

そんな人生、楽しいと思うかい?

隆家はこちらにそう問いかけてきているように思えます。

生きるって、何なんでしょうね。

道長からの要望で隆家はまひろに宿所を用意してくれるようで、周明にも、冗談ぽく「泊まるか」と笑いかけます。

「そういう仲ではない」と否定する生真面目な周明なのでした。

 


月のもとで残してきた人を思う

夕食の宴へ。

やすみしし 我が大君の こもります の八十蔭 出で立たず 御空を見れば 万代に 斯くしがも 千代に斯くしもがも

『日本書紀』の歌と共に男性たちが踊っています。

隆家が「むくつけき男の舞」と呼ぶこの舞。『枕草子』や『源氏物語』の世界観だと、薄気味悪く、意味のわからない田舎の連中と形容されそうに思えますね。

確かに京で貴公子たちが舞い踊る姿とはまるで違います。

隆家も若い頃は兄ともども花のような貴公子姿を見せていたものですが、髭をたくわえすっかり変わりました。

「太宰府にはいたいだけいるとよい」

いくら夫のいた場所が見たいにせよ、おなごが来るにはわけがあるのだろうと隆家は推察していました。

まひろが外に出て、月を見ています。

するとそこへ周明がやってきて、太閤様とは誰かと尋ねる。体が悪いと聞いてまひろの顔色が変わったことに気づいていました。

まひろは、主人である太皇太后様の父だと説明しつつ、思ったことが顔に出る自身のことを恥じています。

しかし、そこが面白いとフォローする周明。いい歳してみっともないとまひろが恥じても、だから若く見えるのだと返します。

さらに隆家様たちを追いやったという『源氏の物語』について尋ねる周明。

「光る君と呼ばれる男の一生を描いた」

そう説明すると、それで人を追いやったのか?とさらに問われ、そんなつもりはないけれど物語は人を動かすのかもしれないと認めます。

「お前の物語は人を動かしたのか?」

二人のやり取りを見ていると、相性のよさが伝わってきます。

周明は医者という職業特性もあるのか、相手の言葉を受け止め、具体的に返すことができる。

飄々と大仰に受け止め返しそうな宣孝。会話がどこかずれることもある道長。彼らよりも実は周明が作家のパートナーとしては向いているように思えます。

そのころ道長も月を見上げているのでした。

夫を見つめる倫子は、出家を止めたけれど、今はよかったと思うとしみじみ語ります。

「心配をかけたな」

そう返す道長でした。

 

船越の津を経て、松浦へ

太宰府では周明が患者の治療にあたっています。

彼には妻はいない。けれど、治療を求める患者がいます。それも彼の居場所であり、生きる意義になっています。

乙丸は、紅を買っています。きぬに贈るのでしょう。人を思い合う心にほっとさせられますね。

まひろは「そろそろここを発つ」と周明に告げます。隆家から居たいだけいてもいいと言われてましたが、次の目的地である松浦(まつら)を目指しているのだとか。

何をしに行くのか?と周明に尋ねられ、遠い昔に仲の良かった友が亡くなった辞世の歌に松浦とあったから見たいのだとまひろ。

それならば船がよいのことで、船越の津まで周明が送ってくれることになりました。

このドラマは大石静さんの力量がわかります。

刀伊の入寇】は彼女自身ではなく、チーム側が入れるようリクエストをしたのだと思われます。

なかなか強引な展開でも、話に説得力や整合性を持たせるため、さわの最期の地を松浦にしたわけですね。見事な伏線です。

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