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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第46回「刀伊の入寇」】
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刀伊の入寇が始まる
こうして、まひろたちが太宰府を出立しようとすると、すれ違いでボロボロの姿になった僧侶が道を歩いてゆきます。
島分寺の僧侶・常覚でした。
太宰府の政庁に向かい、帥様こと隆家に面会。
話によると、3月末にどこぞの者とも知れぬ賊が襲来し、壱岐の子どもと老人を殺して、他の者たちを連れ去ったというのです。
作物や牛馬は食い尽くされ、僧侶も彼以外は全員殺された。常覚は小舟で何日もかけて、やっとここまで来たそうで「よくぞ生きていた!」と隆家が労います。聞けば国守も殺されていました。
賊の集団は異国の者らしく、違う言葉を話すそうで、兵も船も多数いる。
すると「高麗か?」という言葉が入ります。
博多を攻められてはまずいと警戒し、兵を集め、朝廷へ報告することになりました。
この辺の描写が曖昧で、よくわからない方も多いかもしれません。当時は、国も、文化も、ましてや血統などいちいち特定できません。
「高麗」と出ましたが、実際に高麗の人なのか。それとも高麗経由で来た別の国出身者なのか。そんな区別はつかない。
装備がどこのものか。どのルートで来たのか。どの言葉を話すのか。それも明確ではないのです。
自分たちとは異なる言葉を話し、服装をしている。そういった曖昧な把握しかできていないので、いろいろと限界があります。
この【刀伊の入寇】にしても刀伊(とい)とは「東夷」(とうい)ということです。
要するに、高麗から見て東にいる夷(異国人)という意味であり、実はかなり曖昧。
「中国の海賊」とする説明もありますが、宋も高麗も掌握していない勢力です。
戦国時代の【倭寇】のように、村井章介先生の【マージナルマン】という定義があてはまります。この事件をもとにして、中国や韓国の方に議論をふっかけるようなことはやめましょう。
そうしたことをふまえ、この「刀伊」とは東女真族主体ではないかと推定はされていますが、考証をどうするか、これが実に悩ましい。
これは日本史だけの問題ではありません。一例としてアーサー王伝説を挙げてみましょう。
ヴィクトリア朝に一世を風靡したような騎士道伝説は、理想化されすぎて問題があります。
かといって歴史に厳密にしようにも、アングロサクソンが定着する前のイングランド史の再現は厳しい。
そこはある程度描きたい像にあわせて自由にしてもよいのではないか。言葉なんて無論再現できないのだから、イギリスアクセントの英語にすれば上出来。その程度のゆるさとなります。
ゆえに「スラムのガキから王になれ」なんてわけわからんキャッチコピーがつけられる映画『キングアーサー』が作られてもある程度仕方ない。フィクションだから、そこは各人の許容範囲に委ねられます。
そもそも、女性が京都から太宰府に来ている時点でありえませんので、ある意味、良心的ともいえる。
なまじリアリティがあって、フィクションだとわかりにくいと、こういう考証しにくい時代や状況の映像化はまずい。
ここはあくまでも創作だとわかる方がむしろ良心的に思えます。
かくして【刀伊の入寇】が始まるのでした。
者ども集え、守り抜け
隆家は、博多の警護所に向かい、刀伊と呼ばれる異人の来襲に備えると宣言します。
「者ども震えー!」
そう檄を飛ばす隆家。とても勇壮には見えますが、素朴でもあります。
同時代の中国では、隊列の組み方なども洗練されていました。日本は、それだけ軍事技術の進展が後発だということでしょう。
途中、平致行が隆家に、敵は能古島に向かったと報告します。
そして文屋忠光が賊の生首を持ってきました。聞けば、百人が殺され、四百人が連れ去られたとのだとか。それでもなんとか討ち払ったそうです。
「よくやった」
重々しく告げる隆家。
京都の貴族といえば穢れを恐れて遺体には接触したがらないものですが、彼は一味違います。藤原行成が太宰権帥でなかった偶然に感謝したくなりますね。
対馬、壱岐、能古島と博多に接近する敵。
しかし、各地の兵はまだ集結しておりません。
当時の素朴な警護所の様子が映されます。兵士の甲冑が実に興味深い。これを再現するだけでも偉いといえる。
今回の甲冑は、埴輪のようなものから大鎧まであり、中国の影響も感じさせます。
先日、中国の方に埴輪を見せ、中国ならば魏晋南北朝のころの甲冑だと説明しました。
すると「魏晋南北朝の甲冑と似ている」という感想がありました。
確かに隣国で影響を受けていてもおかしくはない。そのことを思い出し、大変興味深く見ております。
中国の影響下から、日本風が形成されていく過程を目にしているような気持ちがします。
いざ出陣
隆家は警護所から目を凝らし、賊の船を目にします。
ところがどうにも相手は上陸してこない。そこで隆家は自ら打って出て、上陸を阻止し、無辜の民を守ると宣言。
「出陣じゃ〜!」
勇ましく出撃してゆくのです。
隆家があまりに素晴らしいのでここで指摘しておきたいことがあります。
彼が実際に甲冑を着て戦っていたかどうかはわかりません。あくまで指揮官として、陣幕の中で指示を出すだけでも十分だとは思います。
ただ、隆家が武装して戦う姿はイメージやサービスとしては魅力的だということ。
『光る君へ』は初回から道兼がちやはを刺殺したドラマですので。
ただし、要所では実際にあったことも入り込みます。
鏑矢の音に敵が驚いたことは記録されていて、劇中でも鏑矢が効果的に用いられました。
戦闘シーンはかなり見応えがあります。
ドローンを意欲的に用い、戦闘シーンでも迫力ある映像となっていた。本作の特徴として、VFXでなく実写を用いることへのこだわりもあるのだとか。
木造船での上陸場面。
効果的な鏑矢の使い方。
難易度の高い馬上騎射。
矢を盾で防ぐ場面。
いずれもかなりの迫力です。
しかも、日本の武器特性がわかる。
刀伊側は弩を用いているのに、日本側はない。弩はかつて日本でも用いられたものの、次第に廃れてゆきます。
日本の弓は腕力あがるほど強いものを引けるよう、補強を重ねて強くなってゆきます。とはいえ、この時代はまだそこまで補強がなされていないことも見て取れます。
武器の刀身は、刀伊側は幅広く、切れ味よりも重さによる打撃重視だとわかります。中国刀の特徴です。
話す言葉は中国語で、女真族の特徴である弁髪にもしておりません。
これまたどういうルーツか確定が難しいため、日本人とは異なるという点をふまえて、そこは曖昧な造形にしているようです。
それもありでしょう。
外国の映画だって、ローマ貴族が英語で話すものですからね。厳密にしないほうが考証が難しい時代劇は捗るのです。妥協は必要です。
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