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『光る君へ』感想あらすじレビュー第46回「刀伊の入寇」悪女はどこへでも行ける

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第46回「刀伊の入寇」
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MVP:藤原隆家、周明、双寿丸

どうしても絞りきれません。

都とは逆の価値観を示し、まひろの心を洗い流しているようにも思える、隆家、周明双寿丸

意図的にそうしていると思える価値観の提示もあります。

まず『源氏物語』はじめ、都の文化にある「色好み」がない。

充足感を語る隆家周辺には、むくつけき男しかいない。

彼は時に対等に魂をぶつけ合えるような男との関係性で、魂を磨いているように思えます。身分が低い相手とも彼はその目を見て話せます。

周明は本当の独りぼっちだと自分を語っています。

しかし医者として尊敬され、通辞としても人の役に立つ彼はそれだけとも思えません。相手の求めることを的確に理解するからこそ、まひろに次の生き方も提示できます。

そんな彼もまひろと再会し、心が揺らいでいるようですが、一緒に泊まっていいと言われても断固として断ります。そのことから、彼は色よりも心のつながりを求めていることが見えてきます。

双寿丸も、賢子のことは妹のようなものだと思っていることがわかります。

恋人ではなく、あくまで恩人である。その恩人の母親だからこそ、まひろを救おうと命を賭けます。

彼らは与えられた恩義を返し、己の持つものを分け与えることで人を救う――そんな健全な価値観のもとで生きています。

それを田舎者だの、洗練されていないだの、無粋だの呼ぶのはおかしいのではありませんか。

これまで描かれてきた都の価値観に対し、それが正しかったのか?と突きつける、刺激的な展開が続いてゆきます。

 


『光る君へ』のどこを見て失敗だと思うのか?

今週はなかなかためになる記事があったので、日刊ゲンダイさんから引用させていただきます。

◆過去最低視聴率は免れそうだが…NHK大河「光る君へ」はどこが失敗だったのか?(→link

「どこが失敗だったのか」と決めつけた記事タイトルになっていますが、そもそも『光る君へ』が失敗か否か?

私は失敗だとは思っておりません。私個人の感情だけでなく、根拠はあります。

◆地上波視聴率だけでは判断できない

地上波のぞく数字、NHKプラスの再生回数も加味する必要があります。

海外では視聴率ではなく「視聴回数」での計測が一般的です。

古い基準で「失敗」という判断はできないでしょう。

◆関連書籍が12月になっても発行される

これは近年の大河ドラマではなかった異例の現象です。

・NHK2024年大河ドラマ 光る君へ ART BOOK(→amazon)※大河ドラマ初の美術解説書

・NHK2024年大河ドラマ 光る君へ メモリアルブック(→amazon)※12月9日発売予定

・矢部太郎の「光る君絵」(→amazon)※12月23日発売予定

これは異例中の異例の出来事。

出版不況の最中、「売れる!」という確信がなければ新刊など発売されません。

イベント企画もまだあります。

◆海外でも好反応、東アジア代表枠としての手応えあり

昨年の『どうする家康』は中国語圏でほぼ悪評しかありませんでしたが、今年の中国語圏をみるとなかなかの好評意見があります。

同じ東アジアならではの受け止め方もあり、天皇の自称が「朕」であることや、打毱や曲水の宴といった、伝統行事の描かれ方も興味深く受け止められています。

そして海外にも日本ドラマファンは多く、吉高由里子さんはじめ、出演者が好きな層にも満足感があったようです。

自国ドラマにはない魅力も見出しているようです。

塩野瑛久さんの一条天皇には「どうしてこんなに気品があるの」と絶賛する感想がありました。天皇としての気品に圧倒されたようです。

柄本佑さんへの意見には、これぞ日本のドラマ、その魅力が伝わったと思える手応えがありました。

中国語圏は「顔値」というスラングもあるほど。「顔面偏差値」という意味です。

ともかく美形で、スタイルもよく、背まで高くないと、主人公やメインの相手役に抜擢されません。メインビジュアルの時点で「顔値が低いから見なくていい」とすら言われかねません。

柄本さんは中国語圏からすると、メインを張るには顔値が高くないし、年齢も高いと思われたようです。

それが演技力の高さに惹き込まれ、これが日本のドラマが持つ力なのかと感動するコメントが出てきています。

『光る君へ』は、韓流や華流を意識しているとされます。

それを意識しつつ、日本のドラマらしさを発揮したことで、海を超えて自信をもって推奨できる作品に到達できたと思えます。

配信時代を見据えた素晴らしい成功です。

 


実は見ていないとか?

さらにもう少しツッコミますと、この日刊ゲンダイの記事を書いた人は、ドラマも『源氏物語』も把握せずに書いているとわかります。

「大河としては、初めての平安時代のメロドラマということもありますが、とにかく全体像が分かりにくいんです。

戦国ものなら信長、秀吉、家康という絶対的ヒーローがいて、そこを中心に敵味方や家臣らの人間が描かれ、ストーリー展開も戦の勝ち負けとはっきりしています。

しかし、『光る君へ』は左大臣や蔵人などの官位制、天皇の権力、当時の婚姻習慣などの予備知識がないと理解しにくいんです。

早い話、藤原道長(柄本佑)がどのくらい偉い人なのかもよく分かりません。

だから紫式部のまひろ(吉高由里子)が、道長へのラブレターでもあった源氏物語を書き続けたモチベーションが伝わってこない。

時代や社会背景の説明部分が薄く、分かる人にしか分からないドラマになっちゃったというのが致命的でしたね」(ベテラン放送作家)

これは要するに日本史知識不足というだけではありませんか。

確かに難易度は高い。藤原道長の「望月の歌」は最低限把握しておくべきなのですね。ただ、それは基礎中の基礎ではありませんか。

そして前述の通り、日本史知識がそこまでない中国語圏でも、だからこそか、ハマる人はハマっている。

本作を見続けていれば、『源氏物語』は道長へのラブレターではないことはわかります。

あれは一条帝を彰子のもとへ惹きつけるためだとされていました。

それに『源氏物語』の内容を把握したうえで、あれが誰かへのラブレターだと思えるかどうか。

むしろ紫式部が当時の男にぶつけた呪いの書ではないかと思えるくらい、ドス黒く、猛毒が詰まった作品です。

『どうする家康』でも『源氏物語』をゆるふわラブストーリー程度に扱っていましたが、そんな甘ったるいものではありません。そんな素直な読み方をできるのは菅原孝標女くらいではないですか。

▪️藤原姓が多すぎた?

登場人物の名前は藤原ばっかりだし、衣装もみな似ていて、宮廷など同じセットのシーンも多く、「あれえ、この前と一緒じゃん。もういい」と多くの大河ファンが脱落してしまったのだ。

日刊ゲンダイさんという中高年男性向けメディアは、羨ましいもんだと痛感させられました。

女性向けメディアでそんなことを書いたら「これだからバカ女どもはwwww」と袋叩きに合います。

よくもこんな「おじちゃんは新しいものを覚えられないんだナ」みたいなことを堂々と言えるものです。

そして「衣装」と「同じセット」といえば昨年大河の方がよほどひどい。

昨年の清洲城の織田家臣団は、全員が黒服の警備員じみた珍妙な「衣装」でした。

家康の居城と本能寺など、明らかに別の場所なのに、「セット」を使い回していることがあり、私は悲しくなりました。

そうそう、セットではなくVFXになりますが、昨年の清洲城は「紫禁城のようだ」と言われましたね。そうではないと、今年の越前や太宰府を見てご理解いただけたかと思います。

中国風の宮殿は朱塗りの柱が特徴で、開放的で明るいもの。昨年の暗いモノクロ清洲城は、どこの建築を意識していたのでしょうか。

ドラマでは惚れっぽい女性として描かれているから、旅先での新しい出会いを予感させるような終わり方なのだろうか。

京都市北区に紫式部のものとされる墓はあるのだが、没年も死因もはっきりしない。

女性が「惚れっぽい」だの「淫乱」とされるのは、男性主体だとわかる秀逸な文章ですよね。

ドラマ内で明確に「惚れっぽい」とされている女性は、あかねこと和泉式部です。ききょうこと清少納言も、藤原斉信とのセクシーなやりとりがありました。

まひろこと紫式部は、むしろ恋愛より創作に打ち込む陰キャ。

道長とは愛し合っているとはいえ、相手が妾にしようとしたら怒涛の塩対応をした。

道長が「望月の歌」を詠みあげ、まひろとの願いを叶えたと言わんばかりのアピールをしたとき、まひろは出立を決意した。

周明だって拒んだ。

惚れっぽいなら再会した今回で、同じ場所に泊まることでしょう。

夫の宣孝には頭から灰をぶちまけるほど怒った。

むしろゲンダイさんやその想定読者層が嫌いな、かわいげがなく、自己主張の強烈な、むかつくインテリ女なんですよ。

では、なぜ「惚れっぽい」認定としたのか。

男性経験人数が複数だから? 貞女は二夫にまみえずってことですかね。その程度の古臭くゆるい認定なんじゃないですか。

今年は前期の連続 テレビ小説「虎に翼」も「光る君へ」も、女性の活躍と自立を描いた。

夫婦別姓やジェンダー問題に一石を投じたいというNHKの狙いは間違っていなかったが、トラツバは大好評、ヒカキミはずっこけた。

「光る君へ」は大河でなく、2クールくらいの連続ドラマだったらもっと評判になったはずだ。

そして最後の段落は、悪しき男性の「歴史は男のもん! 大河は俺らのもん!」という縄張り意識が透けて見えます。

男女ともに受信料は同額なのに、なぜそんな幼稚園の遊び場を俺らのモンだと地団駄を踏む五歳児じみた振る舞いをするのでしょうか。

そんなゲンダイさんにおすすめのドラマがあります。

SHOGUN 将軍』です。

チンピラじみた主人公が外国で美女とイチャイチャしているうちに、天下国家を揺るがしてしまう。そんなアメリカン島耕作じみた世界観です。

男が目立つし、女はエロいし、殺し合いだらけ。裸もたっぷりあります。

私としては見ているだけで脳が溶けそうなので好きになれませんが、好きな人はハマると思います。

エロい日本人美女を落とすのがイギリス人なのはイラつくかもしれませんが、欧米系白人だから許容範囲ではないですか。

 

大河悪女ヒロインの完成

さて、まひろが【刀伊の入寇】に遭遇すること。

それとゲンダイさんですら気づいた「ジェンダー問題」についてでも。

まひろが一人で太宰府まで行く。この時点でありえません。だから成立しないと言えばそうなります。

しかし、そんなときに問題に一石を投じるとすることで、成立させることはできます。

まず一つ目、歴史総合目線の歴史観です。

私は最近、歴史総合関連の情報は積極的に取り入れるようにしています。

科目として扱うのは近世以降とはいえ、国境をまたいだ歴史観の形成、民衆目線での見直しは時代を問わず重要なものです。あえてこの事件を扱うことで、そうした歴史観が意識できます。

そして二つ目。映像化されない時代の再現。今回の警護所や甲冑は素晴らしいものがありました。

そして三つ目。ゲンダイさんも指摘したジェンダーです。

「いい子は天国に行ける。悪女はどこへでも行ける」

ジェンダー問題を語る上で、よく引かれる言葉です。メイ・ウエストの言葉とされます。

これは普遍的なことでもある。文学作品でも、女が移動することには意味がつけられます。

女性が自らの意思で移動することは、束縛からの離脱を意味し、そのことそのものは反逆であり、自由の象徴とされます。

『源氏物語』ではまだ幼いからこそ、紫の上は鳥が逃げたと走って移動する場面が初登場となりました。そのあと成長した彼女は自由意志を失い、死を間際に出家を願っても、光源氏に拒まれてしまいます。

そして浮舟は入水から生還することで、自由に行動することを取り戻し、物語は終結を迎えます。

この女の移動に着目すると、まひろは大河史に残る堂々たる悪女ヒロインとして完成したと思えてくるのです。

周明が倒れた瞬間、なんてひどい、残酷な展開なのかと思いました。

けれども、これもヒロイン悪女伝説の仕上げともいえる。

まひろは淫らではないし、惚れっぽくもありません。美男を見ようともうっとりしているわけでもありません。

ただし、彼女は人生の目的に応じて複数の男を使ったともいえる。

直秀は甘く幼い憧れ。

道長は創作のためのスポンサー。大長編を書くための最高級サブスクを用意してくれたともいえますよね。

宣孝は妻としての地位。安定。

そして周明は、宋へのあこがれを満たし、語学学習ができた。再会後は創作へ向かうためのエネルギーを再充填できた。

道長以外は亡くなっているわけで、こうして見てくるとなかなかおそろしくも思えますが。

まひろは意図的にそうしているわけでもないし、誰かを死に追いやったわけではありません。

そもそも男女が逆になると、よくある話となる。

それこそ『源氏物語』の光源氏には、

「永遠の憧れである藤壺」

「その後継枠の紫の上」

「息子の母である葵の上」

「娘の母である明石の君」

「ひとときのロマンス相手の夕顔」

「息子の養育係である花散里」

などなど、役割の数だけヒロインがいます。

道長にせよ、

「永遠の恋人、癒し、使える文人枠のまひろ」

「屋敷と土地付き正妻、多くの子女をもたらす倫子」

「姉の勧めで娶ったスペアの明子」

「劇中では描かれないけどつまみ食い感覚の召人多数」

がいる。

『どうする家康』では、側室を娶る過程がおもしろおかしく描かれるわ。お市と淀の方すら家康に恋をしているわ。好き放題にしている。

こうして冷静に見てくると、まひろは特に悪いわけではない。

では、まひろが「惚れっぽい」悪女に思えるとすればなぜか?

ミラーリングでしょう。

同じことを男がしても見逃され、女がすると糾弾される。往々にしてこういうことはあります。

それがフェアなのか? いつまでそんなことをしているのか? そう問いかけてこそ、ジェンダー問題に一石を投じるドラマとなります。

『虎に翼』ほどわかりやすくはないけれど、このドラマも実におそろしい手法をとっています。

周明が倒れたあと、私の頭には全く別のドラマのヒロインが浮かびました。

HBO『トゥルーブラッド』のヒロインです。

彼女はこう嘯いていました。

「男が同時に女を複数転がしたら自慢できる。でも女が男をそうしたら、ビッチ扱いをされる。なぜ?」

なんておもしろい問題提起なんだ。これがアメリカのドラマか。日本のドラマがこんなおもしろいことをするまで何年かかるのか? そう思ったものです。

それが今、2024年末、実現したのかと感慨深く思えました。

思えば助走期間はあった。

2010年代から、大河のヒロインは、男なら糾弾されないのに、女がしたために叩かれ憎まれる言動をすることがあったものです。

2013年『八重の桜』のヒロインは、郷土防衛のために武器を取り立ち上がったのに、殺人犯扱いをされる。

2017年『おんな城主 直虎』のヒロインは、裏切り者の家臣を自ら処刑した。確かにやりすぎかもしれないけれど、男がそうすることとは違う問題提起があったのではないか。

そしてその締めくくり、集大成として、今年があるように思えます。

まるで夕顔のように、儚く消える周明――何かが逆転して呑み込まれてゆくような衝撃がありました。

まひろが身勝手な女と思われ、日刊ゲンダイのようなおじさま向けメディアにこのドラマが叩かれるのは、むしろ殊勲ものではないか。

清少納言も『枕草子』で語っていましたっけ。

「誰かを言い負かすのはスカッとするけど、特に相手がおじさんだと最ッ高!」

ええ、その気持ちはわかります。

悪女だからこそどこにでも行ける。そんな価値観の提示はありなのではないか!

そう痛感できました。その意味で、やはり日刊ゲンダイさんは素晴らしいと思った次第です。

現時点で予測しておきますと、おそらく『べらぼう』もゲンダイさんはお気に召しません。

遊郭が舞台だからもっとエロいと思ったのにそうでもない。

往年の大河や吉原ものはもっとエロかった、昭和のエロス、あの脱ぎっぷりを思い出せ。そう喝を入れてくるのではないでしょうか。

期待を裏切らないでいただきたいものです。


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文:武者震之助note

【参考】
光る君へ/公式サイト

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