武田・上杉家 信長公記

【織田vs武田】岩村城の戦いで秋山&おつやが磔死 信長公記130&131話

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岩村城の戦い
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虎繁と家臣二名が投降してきた

11月21日、交渉を終えた岩村城主・秋山虎繁とその家臣二名が降参してきました。

彼らの降参の条件は、城に残っている者を全員助命すること。

信忠が三人を岐阜へ護送すると、受け取った信長は長良川の河原で彼らを磔刑にしています。

ほか城内に残った敵は討ち死にあるいは織田軍に焼き殺された……と信長公記には書かれているのですが、これだと降参の条件を反故にしたことになりますね。

また、別の史料では「当初、秋山らは赦免される予定だったが、信長は突然処刑した」ということになっており、食い違いが大きくなります。

このとき、武田軍に城を明け渡した信長の叔母・おつやの方も、信長に処刑されたといわれています……が、信長公記にはそもそも彼女に関する記載が全くありません。

まあ、信長の妹であり、特に浅井氏との関係で重要だったはずのお市の方ですら、信長公記にはほぼ登場しません。

太田牛一の価値観によるものでしょうか。

お市の方
信長の妹・お市の方の生涯|浅井に嫁ぎ勝家と共に自害した波乱の一生を振り返る

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おつやの方は逆さ磔で処刑された、もしくは信長が手ずから切り捨てたともいわれていますが、これも定かではありません。

一つ気になるのが、おつやの方が子供を産んでいたことです。

 


おつやの方が産んだ男児は村上水軍へ

おつやの方は元亀4年(1573年)に「六太夫」という男児を産んだとされます。

おつやの方の元の夫・遠山景任が亡くなったのは元亀3年(1572年)8月。

秋山虎繁と結婚したのが元亀4年(1573年)3月頃。

両者に父親の可能性があるのです。

もしも信長が「おつやの方が敵の子供を産んだ」と判断したなら、処刑に至ってもおかしくはないでしょう。

六太夫は岩村城が落ちる直前に逃げ延び、巡り巡って瀬戸内海の村上水軍に入ったといわれています。

そして慶長五年(1600年)9月18日、【関ヶ原の戦い】局地戦の一つ・三津浜夜襲(「刈屋口の戦い」など複数の呼び名あり)で討死したとか。

岩村城へ向かっていた武田勝頼は、城が落ちたことを知って甲斐へ帰還せざるを得ません。

備えのため岩村城に河尻秀隆を入れた信忠は、24日に岐阜へ凱旋。

ときに織田信忠18歳のことでした。

家臣らに大きく支えられていたとはいえ、まだ家督を継いでもおらず、初陣や元服からほんの2~3年という状況を考えれば、出来すぎではないでしょうか。

信忠の将来性に大きく期待できる戦果といっても過言ではありません。

そしてその働きは織田家中ではなく、外部にも認められていくのでした。

なお、おつやの方に関する詳細記事は以下にございます。よろしければ併せてご覧ください。

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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
平山優・株式会社サンニチ印刷『信虎・信玄・勝頼 武田三代』(→amazon
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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