鎖国に入る前の戦国~江戸時代は、日本が諸外国へ大いに進出した時期である。
東アジアから東南アジア一帯にかけて朱印船貿易で拠点を増やし、もしも鎖国がなければ当時から有数の貿易大国も目指せたのでは?という勢い。
さらには天正遣欧少年使節(1582年出発)や慶長遣欧使節団(1613年出発)など、ヨーロッパへも足を伸ばした時代であった。
慶長遣欧使節団は、伊達政宗が己の野心のため支倉常長をスペインへ送り、その軍隊をアテにしたものではないか?などと、今なお歴史の表舞台で表現されることが多い。
一方、天正遣欧少年使節はイマイチ存在感はさほど感じられない。
誰が何のためにいつ送ったのか?
基本的な情報も意外と知られておらず、そのメンバーの名前も「なんとなーく、漢字とカタカナの組み合わせ!」という程度の方も少なくないだろう。
派遣されたのは以下の4人。
今回は天正遣欧少年使節に注目なり!
戦国時代に初めて渡欧した天正遣欧少年使節の4人~帰国後の人生はどうなった?
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遣欧少年使節
◆歴史の表舞台に登場する機会は少ないですが、戦国時代は奴隷売買が頻繁に行われていた暗黒の時代でもありました。
合戦で攻め込んだ地の住民をさらってきて、そのまま売りさばいたり、後に身代金と交換したり、さらにはポルトガル船を通じて海外へ乗せたり。
ともかく無法地帯であり『オリーブオイル1本分で8歳男児が海外へ売られた一方で、うどん県の夫婦が8歳の子を4万円で売っていた』(当サイト執筆者・恵美嘉樹氏のブログ)なんて記録も残っているほどです。
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南蛮船(ポルトガル・スペインの船)に乗って海外へ出かけるなんて、そりゃ恐怖が先に立つってもんです。
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フランシスコ
◆不龍獅子虎(ふらんしすこ)って【我は龍にあらず、獅子であり虎である】という風にでも解するのですかね。あるいは【龍、獅子、虎にあらず、我は我なり】みたいな?
これがリアルだとしたらトンでもない厨二病でございますが、ニセモノと見る向きが強いようです。
というのも、この名前が大友宗麟本来の表記とは別だっただけでなく、花押も別の時代のものが使われていたとか。
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