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あの衣装はありなのか?
今では差別的であるため、めっきり見かけなくなったステレオタイプとして、「怪しい中国人」があります。
昭和のアニメや漫画ではお馴染みでした。実例を挙げてみますと……
格闘ゲームまであげるとキリがありませんが、ここで代表格として『ストリートファイター』の春麗をあげてみましょう。
最新作6では髪型も変わっています。二つ分けお団子はそのままではあるものの、包む布がなくなり、根本に細いリボンがついています。
一方で、旧バージョンを思い出してみましょう。
あのお団子を包む布は何なのか?
そう踏まえつつ『どうする家康』の滅敬を思い出してください。お団子の数は一つであるものの、布で包んで紐で縛っています。
こういう「中国人の髪型」は、日本人がよくやるステレオタイプといえます。
水墨画や横光三国志、中国をなんとなく舞台にしたものではよくある造形であり、日本人はむしろ違和感がないのでしょう。
しかし、これはこういうものと同類だと考えてください。
「アメリカ映画に出てくる金閣寺に暮らす赤い装束のNINJA」
格闘ゲームならおもしろネタ枠でありでしょう。が、大河ドラマとなると話は別(もっとも『どうする家康』には女大鼠はじめ、忍ばない忍者だらけなのでどうでもよいのかもしれませんが……)。
確かにああした髪型はないわけでもありません。元ネタはあります。
が、明人、あるいは明人コスプレをしたい医者の服装としての是非をちょっと考えてみましょう。
中国でも時代がくだると髻(もとどり)を包む形式よりも、包む面積が広がります。日本が本格的に中国と交流するようになった唐代官僚ともなると、もっと頭部をしっかり覆ったスタイルになっています。
明代の医者となると、四方平定巾(しほうへいていきん)が適切。
ラフな格好をした書生ならばともかく、医師であればそうした頭巾が定番です。
明代のフォーマルな服装はどうすればわかるのか?
中国史の書籍やドラマをあたればわかりますが、日本史の範囲内でもできます。
儒学者である林羅山です。彼は儒学者らしく、意識的に明代文人に極めて近い服装をしています。
あの服装をさせたら、もっと説得力はあっただろうと思います。
それが『どうする家康』はナンチャッテ中国人に見えてしまう。
そこまで正確にしなくてもいいとか?
それもそうかもしれません。韓流ドラマや華流ドラマには、よくわからない変な服装の倭寇が出てきます。日本人からすればムッとくるかもしれません。
しかし、『どうする家康』のいい加減な唐人医をふまえれば、そんなもののような気がしてきます。
とはいえ、大河全作品が悪いわけではありません。『鎌倉殿の13人』の陳和卿はもっとちゃんと考証した結果が見えていたのですが。
なぜ、それができないのでしょうか。
それでも鍼治療でもすれば……
大型船が行き来するようにあった奈良時代から、日本は本格的な中国文化を受容します。医術もそこに含まれていました。
天元5年(982年)には日本最古の医学書『医心方』が編纂されています。
このころの医学を象徴するものとして、屠蘇(とそ)があげられます。正月の風物詩であるこの飲み物は、三国志ファンにはおなじみの伝説的な名医・華佗(かだ)が調合したという伝説があります。
名医ゆかりのありがたい飲み物として新年に飲む風習が取り入れられたのです。この習慣は本国では廃れ、日本のみで受け継がれています。
鎌倉時代には、宋医学が伝播されます。この時代は禅僧が中国をめざした時代でもあります。
宋から金・元代(960年~1367年)にかけて、「金元四大家」と呼ばれる名医がおりました。
劉完素・張従正・李杲・朱震亨です。
こうした僧侶と医師を兼任した僧医に武蔵出身の田代三喜がいます。曲直瀬道三はこの田代三喜に学び、医学を精通させ、日本独自の東洋医学を確立してゆきます。
朝鮮の許浚(きょしゅん、ホ・ジュン)と日本の曲直瀬道三は、独自の東洋医学を確立させた名医とされます。
『麒麟がくる』の東庵は、曲直瀬道三のような医師をモデルとしています。
彼は本場由来の医術を体系的に学んだエリートといえます。本人が飄々とした性格であり、かつ無欲であるためわかりにくいものの、相当の重要人物であることがわかります。
その弟子である駒も、明由来の確たる医術を学んだプロです。
駒はあんな身分の低い女のくせにでしゃばっていると言われました。確かに生まれは庶民であるものの、あれだけの医術を学んでいたら大事にされることに不思議はありません。
唐の医術に詳しいのであれば、せめて鍼治療や『麒麟がくる』程度の薬学が登場すれば説得力があるのですが、『どうする家康』では期待できないでしょう。
『47 RONIN』という映画があります。
キアヌ・リーブスが主演を務め、豪華な作品だと喧伝されました。しかし日本では受け入れられず、お笑い枠として扱われました。
どう作り手が新解釈だと言い張ろうが、無茶苦茶な設定で解釈を楽しむ以前のところでひっかかってしまったのです。
『どうする家康』も、物語に没入する以前に、作りが甘すぎて入り込めない視聴者が多いからこそ、低迷しているのでしょう。
ある程度の説得力を持たせることはできなかったのかと、残念に思う次第です。
ドラマだからといって、何でも好き放題にしてもよいわけではないでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
黒田基樹『家康の正妻築山殿: 悲劇の生涯をたどる』(→amazon)
劉永華『イラストと史料で見る中国の服飾史入門: 古代から近現代まで』(→amazon)
他