春日局

春日局/wikipediaより引用

明智家

明智家重臣の娘だった春日局~家光を育てた“最強の乳母”はどんな女性だったのか

1989年大河ドラマの主人公になるだけでなく、数多の漫画や映像作品に登場するたびに、印象的な強さを魅せている。

春日局にどんなイメージをお持ちでしょう?

家光の乳母――というのは確かに第一に出てくる彼女の肩書ですが、同時に大半の方が感じるのが“畏怖”ではないでしょうか?

何と言っても怖い、だけど、信念があって尊敬もしてしまう。

それは徳川家光のため、あるいは将軍家のため、粉骨砕身働いたことが伝わってくるからで、彼女はもしかしたら日本史上最も有名な「乳母」でもあるかもしれません。

NHKドラマ10『大奥』では斉藤由貴さん、大河ドラマ『どうする家康』では寺島しのぶさんが演じ、あらためて強烈なイメージが視聴者に届けられましたが、こうなると史実の春日局がどんな女性だったか気になってはきませんか?

寛永20年(1643年〉9月14日はその命日。

実は生まれからして劇的だった、春日局の生涯を振り返ってみましょう。

 


父の斎藤家より母の稲葉家を重視

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀でした。

それと春日局の何がどう関係あるんだ?

と思われるかもしれませんが、しばしお付き合いください。

光秀のもとに斎藤利三という重臣がいました。

この利三、もともとは稲葉一鉄(稲葉良通)の家臣だったのですが、何かと折り合いが悪く、光秀のもとへ逐電。

不満を抱いた稲葉一鉄が、織田信長にそのことを訴えると、光秀は叱られ、両者の間に遺恨が生じた――なんてエピソードが有名です。

ただこれ、後に【本能寺の変】が起きたため、それにあわせて創作あるいは誇張された逸話と考えられます。

確かなことは、美濃時代から縁のある光秀に、斎藤利三が仕えていたということ。

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そんな利三のもとに、天正7年(1579年)、娘の福が生まれました。

後の春日局です。

彼女の母親は、稲葉一鉄の娘でした。実際には諸説あるのですが、稲葉氏の出自であることは間違いないようで、ならば利三は岳父と揉めていた可能性があるってことですね。

しかし、仲違い程度のトラブルでしたら可愛いものでしょう。

利三と光秀はこの後、重大事件を起こします。

ご存知【本能寺の変】です。

 


本能寺から山崎へ

天正10年(1582年)6月2日、早朝――明智軍が本能寺に襲いかかり、実質天下人だった織田信長が討ち取られてしまいました。

正確に言えば、遺体は見つからず生死は不明でしたが、それが影響してか光秀のもとへは思ったように味方が集まらず、明智軍は【山崎の戦い】で豊臣秀吉に敗れてしまい、斎藤利三も処刑されてしまいます。

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兄たちも命を落とし、福はじめ残された斎藤家の人々は、非常に苦しい日々を送る宿命を背負わされます。

そこへ救いの手が差し出されました。

他ならぬ稲葉一鉄です。

稲葉の血を引く子供を保護することにした一鉄は福も引き取り、そのまま長男・稲葉重通の養女として美濃清水城に預けました。

稲葉一鉄は織田家に従っていましたので、その庇護下なら「逆賊の娘」という汚名も薄れます。

だからでしょうか。福自身にとっては、幼くして亡くなった父の斎藤家よりも、母方・稲葉家のほうが重要でした。

家紋も稲葉家のものを使用。

そんな稲葉家でしっかりとした教育を与えられた福は、教養あふれる女性としてすくすくと育ってゆくのです。

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