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【春日局】
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日本史上最強の乳母
なんとしても竹千代様を後継ぎにせねばならない――。
福がどこまでそう決意していたか。
これも今となっては確認しようがありませんが、結果的に、竹千代が三代将軍・徳川家光となったため、その乳母である彼女にも様々な逸話が残されています。
ざっと見て参りましょう。
◆抜け参り伝説
兄弟の寝室は並んでいましたが、徐々に格差が広がってゆきました。
国松の方が小姓が多く、母のお江は毎晩、豪華な夜食を用意。
賑やかな弟の部屋に対し、兄の部屋はひっそりと静まり返っている。
そんなあるとき、福の姿が数日間見えなくなりました。
福はなんと徳川家康に直訴していたのです。
家康は後に江戸まで来て、竹千代こそが後継ぎだと示しました。
山田風太郎『甲賀忍法帖』およびその漫画化『バジリスク』は、この逸話を元にして福を登場させています。
◆主君の自殺を止める
家光が12歳のとき、絶望し、自殺しようとしました。
これを福が諌めて家康に報告したため、後継となることが決定的になったとされます。
家光の偏食を治すために作った「七色飯」など、優しい乳母としての逸話が広められてゆきますが、創作や誇張もあるとされます。
その最たる例が家光と忠長の争いでしょう。
様々なフィクションで取り上げられる、時代劇でもお約束・定番の作品であり、人気のある題材です。
これが福のイメージにも大きく影響。
やたらと陰謀渦巻くシチュエーションなため、福も、柳生宗矩や知恵伊豆こと松平信綱と並び、腹黒い陰謀家とされてしまうのです。
福自身は、あくまで母方であり、養女にもなった稲葉家の人間だという自意識がありました。
しかし、父が明智光秀の重臣であったことが盛り上がるポイントとされます。
対立するお江が織田信長の姪であるというのも、因縁を感じさせる。
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大河ドラマの主人公まで務めながら、陰謀を企む姿が思い浮かぶ――そんな人物が柳生宗矩(1971年『春の坂道』)と春日局でした。
平時子や北条政子と並び頂点へ
三代将軍の後継争いに、首尾よく勝利した福と徳川家光。
元和9年(1623年)6月、家光は父・秀忠とともに上洛し、翌7月に伏見城で将軍宣下を受けました。
江戸城に戻ってからは秀忠が西の丸に移り、家光が本丸へ。
当初は大御所として秀忠の実権が保たれ、寛永31年(1632年)末、その死により、ついに家光単独での統治が始まります。
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盤石となった徳川の世において、福は出世を遂げました。
寛永6年(1629年)に三位の位階と「春日局」の名号を賜ると、その3年後、寛永9年(1632年)には、平時子や北条政子と並ぶ従二位となり、緋袴着用の許しを得ました。
日本史には、存在感あふれる乳母が何人も登場します。
稲葉福はその中でも従二位となったことで、頂点に立ったといえます。
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そして寛永20年(1643年)9月14日、享年64で没したのでした。
大奥の創始者として
以降は、春日局と記させていただきます。
フィクションで取り上げられることが多い彼女は、家光と忠長の後継者争いだけでなく、大奥作品でも最初の大物として登場します。
頭を悩ませたのは、家光に子ができぬこと。
男色を好み、女性に興味を示さなかったとか、お江とのことでトラウマがあったなど、家光には様々な説が囁かれます。
そんな家光の問題をあの春日局が放置するわけがない――そう見なされて様々な伝説が飛び交います。
フィクションならば、どうアレンジしてもある程度は自由ですので、どんどん膨らんでゆく。
大奥という名称は家光時代の後に生まれたとされますが、システムとしての大奥は春日局が生み出したとされます。
ゆえに男女逆転版漫画ドラマ『大奥』でも、家光の身代わりをつとめる千恵時代から始まります。
大胆なアレンジをしているとはいえ、実は史実を元にしています。
◆公家出身の美僧・有功は春日局に脅迫され……
それ以前にも娘がいたとされる家光ですが、彼が本格的に女性に目覚めたのは尼僧から還俗させられた“お万の方”がきっかけとされています。
公家出身で血筋も確かな美人尼僧。
そもそも春日局が家光の好みを調べて選んだという伝説があります。
「脅迫した」と拡大解釈されることもあるほどです。
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◆大奥を作り上げる
将軍家存続のため、子孫繁栄目的の男性を閉じ込め、異世界を作り上げる――この時点であまりのことにハッとさせられる、それこそが男女逆転版の狙いでしょう。
実際に春日局はそんな特殊な世界を出現させたわけですが、女性を閉じ込める【大奥】には現代人の我々も慣れきってしまっていてショックを受けません。
他国にもハーレムや後宮はあるし、そういうものだと受け止めてしまいますよね。
そこに男女を逆転させる意義があると思えるのです。
誰かの人生を決定的に変える。
国の仕組みそのものも変更してしまう。
そしてそれは数百年間にわたって続く――劇的な出来事のはずが、いつしか当然のこととして私たちは受け止めてしまっていたのかもしれません。
しかし改めて考えてみると、それはとてつもないことだったのではないでしょうか。
大奥というシステムの構築を成し遂げた春日局は、偉大なれど冷酷と言えるのかもしれません。
注意しておきたいこともあります。
後世、徳川慶喜の妾となったお芳は、慶喜と同衾する際、御中臈と御坊主(剃髪した女中)が侍りました。
火消しの娘だったお芳は、これに激怒。
カンカンになって追い出しましたが、そもそもは寝物語で政治工作を封じ、暗殺を防ぐための工夫です。
春日局が考えたことではなく、綱吉時代におねだりする女性がいたための処置とされます。
時代がくだるごとに【大奥】は肥大化し、権力を持ち、将軍家を圧迫するほどになったと幕末には嘆かれるようになりました。
その種を蒔いた春日局を男女逆転版ドラマでは斉藤由貴さんが演じました。
実は彼女、NHK版『柳生一族の陰謀』では春日局の宿敵であるお江を演じています。
一人の女優がお江と春日局を演じるというのは興味深いこと。
残念ながら2回目の本放送は終わってしまいましたので、ご覧になりたい方は再放送やオンデマンドをお楽しみください。3回目を楽しみに待ちましょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
福田千鶴『春日局:今日は火宅を遁れぬるかな』(→amazon)
藤井譲治『人物叢書 徳川家光』(→amazon)
山本博文『将軍と大奥』(→amazon)
別冊歴史読本『徳川家歴史大事典』(→amazon)
歴史群像シリーズ『大奥のすべて』(→amazon)
他