鳥居忠吉

徳川家康(右)と忠吉の息子・鳥居元忠/wikipediaより引用

徳川家

独立したばかりの家康を支えた鳥居忠吉~経済に長じた老将の忠義が徳川を救う

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矢作川の水運で蓄財していた?

実は鳥居家は、交通の要衝である矢作川を押さえていました。

当時の水運は、現代よりはるかに重要な流通経路。

家康に提供した蓄財が本当の話なら、そこで発生した利益であっても不思議はありません。

ただし道三が比較に出した今川義元に経済力が無かったという話ではなく、彼は殖産においても優れた能力を発揮していて、駿河において様々な名産品を生み出しました。

家康がその商機を利用することができたら?

チャンスはいかようにでも膨らみそうですが、いかんせん家康には「質素倹約」というイメージもつきまといます。

実際の家康は、貿易の重要性を理解していたようで、漂着したイングランド人のウィリアム・アダムス(三浦按針)を重用していたことも、その表れでしょう。

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『どうする家康』では、その辺の家康像がどう描かれるのか……。

経済観念も持ち合わせた人物なのか、はたまた従来の質素倹約タイプなのか。

 

武士は倹約第一で商業が苦手なのか

貿易をした方が儲かる――。

それは中世の人々も重々理解していました。

日本では室町時代、中国での明代にあたるころ、【倭寇】という武装密貿易集団が中国・朝鮮半島・日本列島の間を跋扈(ばっこ)していたのはその証。

金になるから多くの人々がうごめく。

彼らは単なる海賊集団ではなく、貿易の重要性を実感していた非合法商人と言えるでしょう。

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ところが、江戸時代は【鎖国】により貿易が制限されました。

※「鎖国」という用語には現在さまざまな議論がありますが敢えて使用

こうした制限と、幕府の度重なる倹約令、そして明治以降の「武家の商法」といったイメージにより、

武士は商売ができない

というイメージが定着。

その元凶とされがちなのが、他ならぬ徳川家康です。

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吾妻鏡』を愛読していた家康は、たしかに質素倹約を好む一面がありましたが、前述のように貿易を軽んじたわけではありません。

そして鳥居忠吉もまたその象徴的人物であり、彼には同時に“忠義”の美徳もあります。

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それが三男・鳥居元忠に引き継がれ、【関ヶ原の戦い】で徳川のため犠牲になったとすれば……物語の終盤に麗しい話となりましょう。

老忠臣の鳥居忠吉は、家康が大ピンチに陥った武田信玄との戦い【三方ヶ原の戦い】の約9ヶ月前、元亀3年(1572年)3月25日に世を去ります。

このとき80ほどであったとされ、生まれは15世紀末にあたる文明から明応年間と推察。

そんな忠吉には、先の三男・元忠を含めて3人の息子がいました。

長男・忠宗:天文16年(1547年)、渡の戦いで戦死

次男・本翁意伯:不退院住職

三男・元忠:関ヶ原の戦いの際、伏見城で戦死

鳥居家の忠義はつとに知られ、後世、大名となった子孫が不始末を起こしても、減封どまりで断絶は免れています。

それは忠吉以来の功績が評価されてのことでした。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『徳川家康事典』(→amazon
有光友學『今川義元 (人物叢書)』(→amazon
小和田哲男『今川義元: 自分の力量を以て国の法度を申付く』(→amazon

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