北条氏政(左)と豊臣秀吉/wikipediaより引用

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なぜ北条は秀吉に滅ぼされたのか|真田や徳川も絡んだ不運の連鎖に追い込まれ

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秀吉にメリットだらけの小田原合戦

北条が名胡桃城を強奪し、もはや【小田原合戦】は避けられない。

秀吉側からすると、この戦いは大いにメリットがあります。

関東へ馳せ参じるかどうか? 奥羽(東北)の諸大名に選択を突きつけ、豊臣大名になるかどうかを測ることができるのです。

さらにこの戦いは、天下人としてのパフォーマンスも兼ねていました。

淀殿ら女性を引き連れ、温泉地で派手に遊ぶ――その様は、まさしく天下を手にした華麗さに満ちていて、実際、秀吉の圧倒的な軍事力を前に、ついに北条氏は敗れてしまいます。

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結果、北条氏政と北条氏照は切腹。

北条氏直は高野山へ追放されました。

氏直と督は離縁し、家康のとりなしがあって赦免されたのですが、その約1年後の天正19年(1591年)11月、疱瘡により死去してしまいます。享年30。

いかがでしょう?

こうして見てみると、北条氏政と氏直親子は、暗愚というよりも運が悪かったともいえるのではないでしょうか。

あまりに不運な要素が重なっていました。

・家康に頼り切らず、もっと早い段階から自力で秀吉と交渉をしていれば

・北条氏政の上洛が実現していれば

・真田昌幸という災厄(真田が徳川家康によって征伐されるなり、おとなしく従属していれば)

・北条氏直が長生きしていれば

「タラレバ」ばかりになり、それが回避できなかったから滅びたんでしょ……とはその通りかもしれません。

しかし結果的に天下人となった徳川家康にしても【天正大地震】の影響があって、秀吉との決戦を回避できたともいえます。

徳川家康/wikipediaより引用

もし次に秀吉vs家康の全面対決が起きていたら、小牧・長久手の戦いのときより不利な情勢に追い込まれていたのではないでしょうか。

北条氏と似たような状況にあった伊達政宗だって、幸運を重ねてギリギリのところで滅亡を回避しています。

 


なぜ氏政は汁かけ飯を食べるのか?

近年の大河ドラマで、北条氏政に欠かせないエピソードがあります。

「汁かけ飯」です。

北条氏政には「父の北条氏康に似ないバカ殿」という評価がつきまとい、その逸話としてこんなものが挙げられるのです。

ある日、氏政が領内を見回っていたときのことでした。

領民が麦を取り入れ、それを眺めていた氏政はこう言いました。

「よし、あの麦を昼飯としようではないか」

「えっ……」

家臣は絶句。脱穀して手間暇かけて食べられるのに……と驚いたと言い、もうひとつ有名なのが「汁かけ飯」です。

氏政が食事中、ご飯に汁をかけた。一度では足りず、もう一度かけた。

それを見た父の氏康が「こいつは毎日飯を食っているのに、ちょうどいい量もわからんのか」と呆れたという話です。

北条氏康/wikipediaより引用

これを逆手に取ったのが大河ドラマ『真田丸』でした。

先を急がず、食べる分だけ汁をかける――それが自分の食べ方であると自説を披露したのです。

汁かけ飯のエピソードを逆手に取った描写ですね。

そもそも、こうした逸話は「氏政がバカ殿だから滅びた」という逆算式で、後世になってから面白おかしく作られたものと考えられます。

仙台藩としては名君ということにしたい。そんな伊達政宗なのに無茶苦茶な逸話が今も数多く伝わっているのは、捏造する動機が考えにくく、逆に信ぴょう性が高い――それと北条氏政は逆ですね。

そもそも「汁かけ飯」とは何なのか?

北条だけが食べているのか、というと、そんなことはありません。

当時の料理としては定番ですし、考えてみればお茶漬けや水飯という食べ方は今でもあります。カレーライスだって広義でいえば汁かけ飯ともいえる。

液状のものを米飯にかけるのは、特別でもなんでもなく、ありふれた食べ方でしょう。

飯にかける汁の量程度で人間の器量が測れるわけでもありません。

『真田丸』のように、それを逆手に取る描写はさておき、「汁かけ飯」をシグネチャーアイテムのようにされては、ただ単に氏政への侮辱のようにも思えます。

北条氏は愚かではなく、不運であった。その要素の一つとして、真田昌幸と関わったことがある。

そう描いた『真田丸』の描写が良心的だったのではないでしょうか。

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【参考文献】
渡邉大門編『秀吉襲来』(→amazon
小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』(→amazon
笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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