生まれてくるのが遅すぎた戦国大名といえば伊達政宗が挙げられたりしますが、ではその逆に早すぎた代表は?
北条五代記の祖・北条早雲(伊勢宗瑞)はその一人。
今回の注目は、その早雲と同世代で、同じく関東で活躍した太田資長、またの名を太田道灌です。
初代・江戸城の築城主にして、数々のエピソードを残した関東武士とは?
祖父の思い出
◆道灌は1432年生まれ。早雲もまた1432年生まれという説と、1519年という説がありますね。いずれにせよ応仁の乱が起きたのが1467年であるので、日本史の教科書通りな見方をすれば、道灌35才あたりから全国各地は乱れはじめ、下克上の世の中となっていきます
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山吹の里
◆道灌が、父を訪ねるとき突如にわか雨に打たれたときの逸話。「蓑も貸せないほどウチは貧乏なんです」ということを花一輪に託した村人の気持ちに気付くことができず、これを機に道灌は歌道を勉強し、かなりの腕前になっていきます
道灌の最期
◆一輪の花をキッカケに、道灌は歌好きになり、そうとうな腕前になったと言われます。そしてそんな折、主家に下克上を疑われ、暗殺されてしまうのですが……。死の間際に歌を詠むことができたのか?「板垣死んでも自由は死なず」並にインパクトがありました。
障子の話しだから!
◆まるでアニメ『一休さん』みたいな頓智ですが、それだけ才知溢れる幼少期だったのでしょう。
当時から有能な武将として名を知られながら、主家に恵まれなかったのがカワイソースです。
なお、早雲世代の関東武将といえば、信玄の猛攻を何度も防いだ(という逸話が有名な)長野業正さんも注目ですね。以下に関連記事がございますのでよろしければ。
戦国ブギウギ 次の話は……。
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著者:アニィたかはし
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