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【戦国ブギウギ60話】
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四国切り取り勝手
◆四国の鬼若子(あるいは四国の姫若子)と称され、統一を果たした長宗我部元親。
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もともと信長から四国統一の許可をもらい、息子の長宗我部信親には織田信長の「信」をもらうほど昵懇の仲でした。
しかし、突如信長が「土佐・阿波(南)だけね!」と言い出したもんだからブチキレ! って、そりゃ切れますよね。苦労して四国を統一したのにいきなり半分以上寄越せと言われたんですから。
そもそも織田信長へ使いに出された「ベクノスケ」とのヤリトリがデタラメだったんでしょうか。
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ベクノスケと対面した信長が、元親のことを「無鳥島の蝙蝠(鳥のいない島のコウモリ・つまり井の中の蛙な上に態度をコロコロさせるヤツ)」と評価。
これに対し、ベクノスケは慌てず「蓬莱宮の寛典に候」と答え、信長に気に入られたという、何がなんだかよくわからないエピソード(現代研究者のアタマを悩ませているよう)が残っております。
明智重臣・利三
◆長宗我部元親の正室は、明智光秀の重臣・斉藤利三の妹だとされております。
そもそも元親が織田家へ誼を通じるときにもたよりにしたとされ、両者を結んだ中継地点とも考えらているんですね。
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ゆえに、信長の一方的な取り決めにより、長宗我部の四国切り取り自由(四国を好きに統一しちゃっていいよ)という約束が反故にされたとき、斉藤利三がキレて明智光秀に訴え、本能寺の変が起きたという説もあります。
とはいえ本能寺の光秀動機は他に多数あり、よろしければ以下の記事をご参照ください。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!