秀吉の要請に応じて、毛利攻略の準備を進める織田信長。自身はわずかな伴を引き連れ、一足先に本能寺へ歩を進めた。
茶会を開くためである。
茶や茶器に特別な価値を見い出し、これを大いに利用した信長は、自身が最大の茶器コレクターでもあることはよく知られた話であろう。
天下三茄子や天下三肩衝など、至高の名物を今まさにコンプリートしようと画策していた、まさにそのとき。
13,000の兵を引き連れ亀山を発した明智光秀は、己の人生を賭した岐路に立たんとしていた――。
本能寺入り
◆商売の保護と引き換えに島井宗室が織田信長へ献上する予定だった楢柴肩衝。
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実際は本能寺の変勃発により実現せず、色々と紆余曲折を経て最終的には豊臣秀吉のもとへ……。
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結局、太閤殿下の一人勝ちってやつですな。
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小姓三兄弟
◆茶器の価値って、本当に現代人の我々には理解し難いものですよね。
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知っている者であれば【一国の価値より高い!】と狂喜乱舞するところですが、武辺者の忠直はそんなことつゆ知らず、これを投げつけ割ってしまいます。
そんなもんより領地を寄こせ!ってな話でしょう。
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だからこそお金に余裕のある方たちだけが、茶器に法外な値付けをしたりするのかもしれませんが
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