伊達政宗がどうしても欲しかったのは天下だったのか?
否。
現実的に東北の有力大名では戦力に足らず、何より念願だったのは会津の支配であった。
同エリアは、後に秀吉が蒲生氏郷を配したり、江戸幕府が一族の松平家を置いたことからもわかるように、古来より奥羽の玄関口として知られる要衝。
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常に牽制を仕掛け、ついに勃発したのが【摺上原の戦い】であった。
政宗は如何にして攻め込んだのか?
戦国ブギウギ111話、スタート!
伊達三傑
◆伊達成実(しげざね)と片倉小十郎景綱、そして鬼庭綱元の三名をもって「伊達三傑」と言います。
文字通り伊達家を支えた三名の重臣であり、全員が勇猛果敢で知られておりました。
その中でもちょいと風変わりな兜をかぶっていたのが伊達成実さん。
毛虫を象ったもので「後ろへ退かず、前にしか進まない」という意味が込められていたようで。
同じく「前へ力強く進む」という意図で使われたトンボの兜ならまだしも、毛虫ではゲジゲジに見えても仕方ないっす……ていうか、問題はそこじゃないやつー。
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摺上原前哨戦
◆蘆名義広との対戦を控え、軍を会津へ進めていた……かに見せかけていた政宗は突然北上し、相馬家の支城を陥落させました。
これにビビったのが相馬義胤。
まるで信長包囲網のごとく東北の諸勢力で政宗さんを囲んでいたものの、これでは意味がござーせん。政宗は蘆名へ大軍を向けることができたのでした。
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