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【まんが戦国ブギウギ112話】
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鈴なり武者
◆小田原征伐といえば、秀吉の圧倒的勢力の前にただただ北条が自滅していった――そんなイメージもありますが、もちろん戦闘は起きております。
有名なのが『のぼうの城』で一躍有名になった忍城でしょうか(後述)。
その一方であまり知られてないのが、小田原手前の支城で起きた合戦でしょうか。
例えば、このとき九州攻めで惨敗して改易となっていた仙石秀久が、わずかな手勢で合戦に参加。伊豆山中城で鈴を全面にあしらったド派手な陣羽織で突撃して大活躍しております。
さらに秀久は、小田原城攻めでも虎口(最も危険とされる防御門)に乗り込み、後に秀吉から賞賛されて大名復活を果たすという、アメリカンドリームな話も。
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一方、同じく九州攻めでヘタを打っていた尾藤知宣は大した働きもなく秀吉の前に出て、結局、手打ちにされてしまいました。
いやぁ、秀吉さんって怖いです。
忍城攻略
◆『のぼうの城』で一躍全国区になった「忍城」は、石田三成さんが水攻めで囲みました。
御存知の通り、三成さんは忍城攻めで四苦八苦。
「戦下手」のレッテルを貼られてしまいます。
が、もともとこの城は秀吉が自らのパフォーマンスのため「ただ水で囲んでおけ」という指令が出ていたという話があり、三成さんを無能とするのも可哀想なんすよね……。
三成は悪くない『のぼうの城(忍城)』は秀吉が落とす予定だった?
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!