青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第18回 感想あらすじレビュー「一橋の懐」

2021/06/14

烈公(徳川斉昭)から受け継いだ尊王攘夷の心を見せるため、上洛中の天狗党。

息子の徳川慶喜ならばわかってくれると京都へ向かっています。

これに対し「京を守るために討伐する」と言い出す慶喜。

因果関係が少しおかしいところがあります。

武田耕雲斎は水戸藩で追い詰められ、一縷の望みをかけて上洛するしかなかった。

慶喜も「京を守る」以外に動機はあります。天狗党は長州藩と手を組んでいますから、そんな天狗党と慶喜の結びつきがバレたら危険です。

このドラマでは、史実にはない「慶喜から耕雲斎に送った文」もあるのでなおさら危険なはずですが……。

 


天狗党と耕雲斎

渋沢栄一は、不安ながらも進軍。

俺が小四郎を焚き付けてしまった。挙兵は俺のせいかもしれない。それを討伐するなんて!

ん? たった一度会ったきりの栄一の言葉で、そこまで思い詰めるものでしょうか。

史実では、一度顔を偶然合わせただけではないのです。栄一と小四郎はかなりの仲良しで、天狗党の幹部・薄井龍之が助けを求めてわざわざ栄一に会いにいきますが、栄一はこれを断っています。

渋沢成一郎は、慶喜からの密書を携え、天狗党の武田耕雲斎の元へ向かいました。そして疲れ果てた天狗党を目にします。

こうして困窮する天狗党を目にすると気の毒ではありますが、これもちょっとおかしな点はあります。あまりに大雑把に端折っているためで詳細は以下の武田耕雲斎記事をご参照いただければ。

武田耕雲斎と天狗党の乱
夫の塩漬け首を抱えて斬首された武田耕雲斎の妻|天狗党の乱はあまりにムゴい

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小四郎と耕雲斎は、降伏を促す書状を読みます。上洛を諦めろとキッパリ言われたのです。

史実にはなかった耕雲斎を呼ぶ文のせいで慶喜の冷たさが増しているのはどうしたことでしょうか。

小四郎は烈公の遺志を守らぬ慶喜、攘夷を否定する慶喜に失望し、我が身可愛さを重んじていると怒ります。これは大体史実通りの解釈ですね。

しかし耕雲斎は、むしろ挙兵で慶喜を追い詰めてしまったと悟り、

「もはやこれまでじゃ」

と、悟ります。

降伏を受け入れる姿を見つめる成一郎。小四郎と向き合います。

もう主君に等しい慶喜とは対峙できないと天狗党。史実では、小四郎による「長州へ逃げる」という案もあったのですが、それはカットされています。

成一郎は、慶喜と栄一が気にかけているとは言います。

気にかけてるとは言いながら、この先の天狗党の悲劇を踏まえると慶喜と栄一が一層邪悪に思えてしまうのですが……。

 


天狗党352人が処刑され

栄一は天狗党が降伏したと聞き、藤田小四郎と対峙せずに済むことに安堵しています。

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史実では天狗党と手を組んでいたことがバレなくて安堵したとのだと受け取れるところですね。

ここで妻の千代に文を送る栄一です。

京都では各藩のお偉いさん方の宴会準備に勤しんでいるようです。が、栄一は嘘をついていますね。京都では女遊びしまくりでした。

渋沢栄一のワイルドな下半身事情は周知の事実なのに、その辺は隠す方針なのでしょう。まぁ、描けるワケもないのですが、真逆の描写となると勘違いしてしまう視聴者も増えてしまいそうです。

そんな栄一の手紙に従い、足袋や衣服を準備する千代。すぐそばでは平九郎が木刀を振り回しています。

慶喜は天狗党の処遇を気遣い、田沼意尊に念押ししていました。

「天狗党の乱は水戸の争いだから、耕雲斎のことは引き受けたい」

しかし、これも理屈がおかしい。そもそも水戸藩で処理できないから幕府が出てきて、天狗党は上洛に動いた。

田沼は「水戸の騒乱でどれほど迷惑を被ったことか!」と憎々しげに語ります。

そして天狗党の352人が処刑されました。

ここは史実通りではありますが、重要な点が改ざんされてるように見受けます。

史実→「慶喜が天狗党への厳しい処置を黙認」

ドラマ→「慶喜の嘆願を無視して幕府が処断」

フィクションですからどう描こうと自由かもしれませんが、それでも最低限のルールはあるでしょう。さすがにこの描き方では田沼と幕府が気の毒です。

こと大河は、フィクションであると認識できずに信じる視聴者が多いものです。

 

攘夷なんてどうでもいい

天狗党にくだされた厳しい処置(352名の処刑)を知り、怒りに震える栄一。

「戦が終わったのになぜ!」

国を思う者を無駄死にさせた……とは言いますが、それまで天狗党は各地で略奪放火をしており、罪人として認定されても仕方ない。被害に遭った民からすると、とんでもないという話。

栄一が小四郎を焚き付けたと悔やんでいると、成一郎は自惚れるんでねえと言い返す。

渋沢成一郎(渋沢喜作)
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そして成一郎は、天狗党の処遇の理由説明します。

俺たちの信じた「攘夷」の成れの果てだ。

さらに成一郎は「幕府に侮られたから」とも言います。

一橋家には兵がいない。天狗党を残しておけば慶喜が取り込み、強くなりすぎる。だから皆殺しにしたと。

「俺は、はあ、攘夷などどうでもいい! この先は殿を、一橋を守るために生きる! おめえはどうする?」

あれ? 最初からそのつもりで仕えていたと思っていたのですが、違ったのですね。

一橋家には武力がない。さてどうする?

と、ここで徳川家康がでてきます。

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こうして尊王攘夷は終わったと言いますが、史実では終わりません。明治以降も攘夷を掲げ、そのせいで悲惨な末路を辿った人もいます。

さらに家康は続けます。

天狗党のせいで外様武士が外国に頼り始めた。長州と薩摩がイギリスにすりより、変わり身をした。

彼らの敵は外国ではなく徳川――って、そんな事態に陥ろうものなら「関ヶ原の後で毛利と島津を徹底的に潰すべきだった!」と歯ぎしりしそうなものですが、なんだかちょっと嬉しそうにも見えるのが不思議。

問題は天狗党でしょう。

「外国を打ち払うなんて無理だ」という攘夷の限界点を、幕府(幕臣)はペリーの来航以前からわかっていました。

薩長側も【薩英戦争】や【下関戦争】で痛感している。ゆえに薩長の意向と、天狗党は無関係です。

しかし、何の意味もなく天狗党が死んでいったとするとまずいとでも思ったのか、家康に嘘の説明をさせたように感じます。

もしも本当に【天狗党の乱】が時代のターニングポイントになっていたなら、【大塩平八郎の乱】のように教科書に載っていることでしょう。

ただ……史実では大久保利通が「幕府滅亡のあらわれである」と指摘しています。

天狗党を厳しく処断したのが、慶喜だろうが、田沼意尊だろうが、そこは重要じゃない。問題は御三家、しかも斉昭の寵愛を受けていた天狗党を、幕府側がむざむざと殺した。

それに劇中ではわかりにくいのですが、慶喜は朝廷の許可を得て天狗党を討伐しようとしています。

こういう複合的要素から、大久保も「幕府は長くない」と察知したのかもしれません。

しかし本作はその辺をぼかす。慶喜が倒幕に向けてオウンゴールをすることは、ドラマでは別の理由にすり替えられるかもしれません。

 


英仏の代理戦争

さて、そんな幕府はフランスと協力しようとしています。

小栗忠順には秘策がありました。会社を作り、製鉄所も作る。コンパニーを作ると説明される。となると、金に強い奴(栄一)が必要だという誘導ですね。

この後、小栗忠順の悲劇的な結末も出てくるのかどうか気になります。

栄一は慶喜にお目通りをして訴えます。

募兵業務をまたやりたい。恩義をアピールしながら、公儀に侮られぬ兵隊を作りたいと言います。

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栄一は軍制御用掛、歩兵取立御用掛に任命。かくして栄一は募兵ツアーに出発します。

一橋領へ行くと、親切な埼玉清兵衛が出てきました。

スピーチに取り掛かる栄一。

それをだらけきった表情で気もそぞろな百姓たち。

そのころ英国からはハリー・パークスが来日し、海外事情が説明されました。

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幕末日本は英仏の代理戦争めいた一面があります。

日本が植民地にされなかった理由は色々ありますが、やはりイギリスの思惑は大きい。

ロシアを牽制するためには、日本を植民地にするより同盟国にした方が役立つ。【日露戦争】でそれが証明されました。

が、そういった解説までは踏み込まず、どういうわけか徳川家茂と和宮のイチャイチャ場面が入る。

政治情勢を説明して欲しいと切に願うところではあります。

というのもこの先の【長州征討(長州征伐)】は幕末の決定的イベントとも言え、第一次と第二次があるにもかかわらず、本作ではいきなり第二次にまで話が飛んでしまいました。

第二次の準備中に家茂が陣没するから、わざとらしく和宮との別れを入れたのでしょう。

ではなぜ第一次を飛ばしたのでしょう?

ドラマではこう描かれています。

「長州がイギリスと手を結んで、幕府が不審に思ったから」

史実ではこうです。

「孝明天皇が【禁門の変】に怒りを爆発させ、幕府に強く長州を討てと迫る。なまじ孝明天皇の意思を背景に権力を握っていた慶喜は断りきれない」

つまり、孝明天皇と慶喜のオウンゴールを消した結果、こういう描写になっています。

【大坂の陣】を【夏だけ】描く大河ドラマがあったら、きっと非難轟々だったことでしょう。それが幕末ならOKだとしたら、中々の珍事ではないでしょうか。

 

備中の一橋領で寡兵活動

備中では、阪谷朗廬(さかたに ろうろ)の塾に出向く栄一。

栄一は、スピーチや才能でなく「百姓から出世した」ということで地元の若者たちにざわつかれる。そして栄一は攘夷が抜けきっていないことを小馬鹿にされます。

阪谷から台湾貿易をした浜田弥衛江の話を聞かされます。

ここでやっと通商にめざめる栄一。

熟生との交流……またも防具なしで木刀を振り回す殺人稽古が入ります。いや、だからその、幕末史の局面説明をしていただきたいのですが。室内で手間を省いた場面が多すぎると言いましょうか……。

序盤の祈祷師をやり込めるような話は、まだ仕方ないとは思えていました。

それが幕末で一番大変な局面で、代官相手にとんち合戦のようなことをされても困ります。

江戸時代の代官はまっとうな人が多く、かつ幕末の代官は各地で農兵の訓練を担当していたケースも多い。ここもまた栄一らを持ち上げるため、周囲を貶める作風ですね。見ているのが辛いです。

代官の実情については、山本博文氏の書籍『悪代官はじつは正義の味方だった 時代劇が描かなかった代官たちの実像』(→amazon)をおすすめします。

悪代官はじつは正義の味方だった 時代劇が描かなかった代官たちの実像

明治以降、代官が悪党扱いされたのは、別の理由もあります。

ストレートに当時の政財官の癒着を批判しようにも、怖くてできない。江戸時代の悪代官にすれば、それが通ってしまう。

江戸時代の代官と、明治の政財官汚職を比較したら、後者の方が断然悪質。かつ、渋沢栄一はそういう明治の財界を牛耳っていた人物でした。

備中で無事に寡兵活動を済ませた栄一。

ようやく金のことに目覚め、天狗党がああなったのは金銭不足だからと慶喜に語ります。

そのままプレゼンへ。

・年貢米を入れ札制にする

・播磨の木綿

・備中の硝石

そして本音を打ち明ける。

実は一橋家に攘夷をしてもらいたくて、腰掛けのつもりで仕えていた。でも、今の日本をまとめられるのは慶喜しかいないと思い、仕えたい。

史実の栄一は慶喜が将軍になって「やべえ、倒される側になっちまった!」と焦っていたそうですが、その辺はどうでもいいですかね。

金の大切さを語るため、そろばんを出してアピールする栄一。

懐を豊かにし、土台を大きくする。と、ここで慶喜は父を思い出しました。

林業、ガラス、田畑を作り、蜂蜜を集めていた(※ただし天狗党と諸生党の内乱で崩壊、薩摩藩の集成館と違って後世に残るものほぼない)。

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誰も本当の父を知らぬと持ち上げる慶喜です。

栄一は、斉昭は雷神風神かと思っていたとか、そんな父を思い出したとか、ほっこり話す君臣でした。

もはや腰掛けではないと念押しし、栄一は一橋家を豊かにするために動き出します。

「ならばやってみよ、そこまで申したのだ、おぬしの腕を見せてみよ」

円四郎の回想も入ってばっちりですね!

一橋家を豊かにするため、栄一は新たに動き始めるのでした。

 

総評

史実をたどりますと、天狗党関係はこうなります。

根源を作った人物→徳川斉昭

過激な尊王攘夷を掲げた水戸学を流布。天狗党を子飼いの一党として作り、その反対派である諸生党母体を迫害。怨恨の種を蒔いた。

見捨てた人物→徳川慶喜

どう言い逃れをしようが、彼が見捨てたことには変わりはない。それが歴史です。

裏切った人物→渋沢栄一

「畏友」と呼び合うほど懇意であった藤田小四郎を見捨てる。天狗党館部である薄井龍之の訴状を握りつぶした。

このように天狗党からすれば許しがたい人物を褒め称え、免罪する。死者の尊厳もあったものではない捏造に恐ろしいものを感じます。

『麒麟がくる』を持ち出します。

あのドラマでは、光秀が仕える相手である斎藤道三が毒殺するような悪辣な場面も描きました。

信長の比叡山焼き討ちも描いた。

それがこうだったら?

「たいへん! 土岐頼純が勝手に食中毒で死んじゃったの、道三は何もしてないの!」

「やだ〜! 秀吉が勝手に比叡山焼き討ちにしちゃったぁ! 信長はそんなつもりなかったのにぃ!」

ブーイングの嵐だと思います。

本作の天狗党描写は、そういう次元の捏造です。今週は良識の一線を超えた回となってしまいました。

このあと、吉村昭『天狗争乱』、山田風太郎『魔群の通過』読者はこういうやりとりをする羽目になるのでしょうか。

「天狗党か。あれは慶喜があまりにひどいよ!」

「何言ってんの、慶喜はひどくないよ! 田村なんとかいう悪どいおっさんのせいでしょ!」

「いや、あれはそうじゃないんだけど……」

「はぁ? 大河が嘘を描くわけないでしょ!」

『独眼竜政宗』の出来の良さではなく、弊害を再現するつもりでしょうか。もう2021年なのに。

しかもたちが悪いことに、今年の大河関連書籍は天狗党のことを言及しないか、妙な書き方なのです。

◆ 幕末京都に迫る「天狗党」…一橋慶喜の“その後”に与えた影響とは(PHPオンライン衆知(歴史街道))(→link

問題はないとは思います。

しかし、敦賀に残った志よりも、重要なのは水戸の壊滅だと思います。

水戸藩の悲劇はまだこれから、耕雲斎の孫・金次郎が続行します。

以下の記事はオススメです。

◆ 徳川慶喜はなぜ敵役になったのか 情けを知らぬ「独公」の強さと弱さ(→link

◆ 幕末史上もっとも救いようのない結末… 渋沢栄一の人生訓ともなった、徳川慶喜の冷淡すぎる「天狗党」討伐(→link

そしてもうひとつ。

いくらなんでも【長州征討(長州征伐)】をここまでカットするのはおかしい。

なぜ、ああもブツギレの描写なのか?と考えると、もしかして孝明天皇と長州藩への配慮でしょうか。当初は用意されていたシーンがカットでもされたとか?

幕末当時は、孝明天皇の信頼を得ることがパワーゲームを有利にしたことは確かです。

松平容保への信頼を盗むようにして慶喜は取り入って薩摩に対抗した。

しかし、孝明天皇は極めて意思強固で、長州を断固討伐せよと訴える。

慶喜はその過程でヘナヘナとして、幕府の権威は徹底的に低下する原因を作ります。孝明天皇を利用しようとして自滅するのです。

そういう慶喜の浅はかさをこっちで補わねば歴史が追えない。

孝明天皇を甘っちょろくみているのは今も同じ。

帝はいかつく、大柄で、体重もかなりあった。釣り上がった目をしていて、かなり強気だった。毎晩酒を延々と飲み、ともかく意志が強かったのです。

孝明天皇
孝明天皇の生涯を知れば幕末がわかる|会津に託した宸翰と御製とは?

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そんな帝を御簾の奥から引き摺り出し、利用しようとした徳川斉昭と徳川慶喜父子の浅慮が、最終的に倒幕へとつながるのです。

不自然な場面もありました。

千代が手紙を読む場面。家茂と和宮のぎこちないラブシーン。そして塾でのダラダラ会話。

室内で、どれもササっと撮影できる場面です。長州征討がカットされたぶん、追加でもされたのかと勘繰ってしまいます。

スタッフロールでは脚本が相変わらず大森氏一人ですが、これも正直納得できません。

『麒麟がくる』のようにチーム制、かつ協力者がいると明かした方がよさそうなものです。なぜそれができないのか。

 

渋沢栄一と天狗党の関係

これまでも散々書いてきましたが、劇中ではかなりごまかしています。

結果、誰も彼もが無能になってしまいました。

一度、酒場で偶然会っただけ。そんな栄一の言葉で挙兵する藤田小四郎。それで、あの悲劇を招いたはずがない。

小四郎には上洛していた期間があります。そのとき栄一と長州藩士とかなり親しくしていた。それこそ攘夷テロ仲間ですね。

『花燃ゆ』のヒロインは“テロサーの姫”と揶揄されましたが、それだけでもあのドラマがいかに良心的だったかわかる。というのも『青天を衝け』だってきっちり史実通りにすれば、さしずめ主人公は“テロの王子様”あたりになるから。

テロリスト仲間の栄一と小四郎は、互いを文で“畏友”(尊敬し合う友)と呼び合うほどでした。

そんな栄一を頼り、天狗党から抜け出し、京都までたどり着いた人物が薄井龍之です。

なんとか慶喜への取次を頼むも、栄一は門前払いした。

“畏友”の助命嘆願をつっぱね、そのことをずっと黙っていたのが渋沢栄一。『青天を衝け』は栄一の経歴ロンダリングみたいな作品になりつつあります。

栄一は本人もごかまそうとしていますが、天狗党の仲間で実質的に別働隊のようなものだとわかります。天狗党がああなってからもぬけぬけと慶喜を騙し、攘夷継続の兵を集めようとして失敗し、丸く収まったと。

ただし、本人はぬけぬけと生き延びたことに罪悪感はあったと思われます。藤田小四郎に対する彼の言葉は歯切れが悪く、弁解じみている。

「無事是貴人」と言います。

生き延びたものが勝ちだと。水戸学を信奉し、藤田小四郎と親友であった栄一の“才能”とは、生存した強運でしょう。

こんな人物をロールモデルにするなんて私には到底できません。

『はだしのゲン』を鮫島伝次郎目線でリメイクするとか。『仁義なき戦い』を山守組長目線で描き直すとか。

もしもそんな企画があったら、ファンは全力で怒るでしょう。

本作はそういう目線な幕末作品となっています。

 

徳川慶喜と天狗党の関係

戦国と幕末は違う。

史料にしても後者の方が圧倒的に多い。

こと徳川慶喜がらみについては、渋沢栄一が刊行しているためわかりやすい。

このドラマは「新解釈をしました!」とぬけぬけという。

井伊直弼を“茶歌ポン”呼ばわりして、イケメン慶喜に嫉妬した徳川家定によって闇堕ちして【安政の大獄】につながったと描いた。

こんなものは新解釈でもなんでもなく、小学生が夏休みの自由研究で発表し、先生が苦笑いしながらこうコメントする程度のシロモノです。

「うーん、おもしろいけど、そうかな? こういう本があるから読んでみようね」

天狗党処断については、史料が出揃っているうえに、慶喜本人の証言もあります。

ゆえに、本作で描いたような話は全くもって話になりません。

「あれはね、つまり攘夷とか何とかいろいろいうけれども、その実は党派の争いなんだ。攘夷を主としてどうこうというわけではない。情実においては可哀そうなところもあるのだ。

しかし何しろ幕府の方に手向かって戦争をしたのだ。そうして見るとその廉でまったく罪なしといわれない。

それでその時は、私の身の上がなかなか危い身の上であった。それでどうも何分にも、武田のことをはじめ口を出すわけにいかぬ事情があったんだ」『昔夢会筆記』より

理由はこう説明がつきます。

泣いて馬謖を斬る――規律を保つためには、個人的な思い入れは捨て、違反者を処罰すること。諸葛亮が愛弟子・馬謖を斬刑にしたことが由来です。

天狗党については、本作を見ていてもわかりにくいのですが、【禁門の変】を起こした長州藩尊皇攘夷派の別働隊です。

慶喜無双で、あれだけ【禁門の変】で長州藩を葬っておいて、天狗党を救おうとしたって?そんなことはありえない。

もし慶喜がそう主張したところで、朝敵を庇うのか?と天皇も朝廷も呆れ果てる……このドラマが嘘をついたことで、史実が見えてきます。

本作の言い分から整理してみましょう。

天狗党の処罰については、水戸藩の事情だから任せて欲しいって?

もともと水戸藩内で抑えるべく、慶喜の兄・徳川慶篤が無能で何もできないから、幕府と他の藩がわざわざ引っ張りだされた。

田沼からすれば「いまさら何を言ってますか?」となります。

それに、このあとも水戸藩の抗争は続きます。

結局、斉昭の子である慶喜も、慶篤も、殺し合う水戸藩士を止めず、見殺しにしただけという悪印象が強まりました。

なるべく穏便な処置というのもおかしい。

筑波山の挙兵と水戸での内戦で、田沼はかなり厳しい処断をした。支藩の松平頼徳が耕雲斎と通じたとして、切腹を命じているのです。

そもそも天狗党は略奪と破壊をやりすぎた。あんな悪党には厳しい処断をすべきだと、それこそ民衆から陳情があった。

そして天狗党を捕らえた側には、遺恨を持つ藩もある。

【桜田門外の変】で井伊直弼を水戸藩士に打たれた彦根藩です。斉昭を厠で刺殺したのは彦根藩士という噂があったほどでして。

田沼と彦根藩が関与している時点で、猫の目の前に刺身を置き、「食べたらメッだよ!」と言ったようなもの。通じるわけがないのです。

あの状況で、慶喜がぬけぬけと天狗党に甘い処断を願ったらどうなるか?

そうした史実を丹念に描いていれば、慶喜が苦渋の決断で「泣いて馬謖を斬った」と誘導できる。それを本作はぶち壊しにしました。

無駄に慶喜を甘っちょろくし、武田耕雲斎に手紙なんか送ったから、見殺しの印象が強くなります。

慶喜が忙殺されていて、その足元で天狗党が挙兵したという描き方ならばまだよい。

それが本作の慶喜はさして仕事しているようにもみせず、カッコつけるかのほほんとしているだから、無能かつ無様に見える。

そして理論が無茶苦茶な言い訳をしたことで、【性格的に問題があろうが聡明である】という慶喜の長所が消えました。しょうもない創作のせいで、この一点ですら危うくなった。褒めるつもりが侮辱している。

天狗党の関連書籍は少ないけれど、完全に絶版はしていない。読めばすぐに本作の慶喜描写が嘘であるとわかります。

にもかかわらず、なぜあんな無茶をしたのでしょう。

 

命令系統と任命責任から逃げるなァ!

大河より『鬼滅の刃』の方が、教育上は役に立ちますね。

なぜなら炭治郎はこうです。

貴様ァァァ!!

逃げるなアア!!!

責任から逃げるなアア

お前が今まで犯した罪

悪業

その全ての責任は必ず取らせる

絶対に逃さない!!

仮に秀吉大河で「秀次事件は家康の陰謀です!」なんて言おうものなら、非難轟々、失笑もの、それ一発で駄作認定となりかねない。

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そういうしょうもないレベルの捏造でも、幕末史、こと水戸藩ならば通ってしまう。

注目する人が少ない。声が小さい。

要は水戸藩の人材枯渇が150年の時を経ても祟っているのでしょう。

 

烈公と一緒にされたら雷神風神が怒る

慶喜が最低なら、斉昭が最悪ということは当時から常識だと思っておりました。

こんなに無理に斉昭持ち上げをする描写に困惑を隠せません。

日本人の幕末知識をどうしたいのでしょうか。

たしかに斉昭には、若干の先見性はあります。しかし、功罪のうち“罪”が圧倒的に重く、例えば島津斉彬の【集成館事業】とは大違い。

天狗党が山道を引きずっていった大砲なんて、砲弾がポーンと出てゴロゴロ転がっていくだけだった。

皮肉っぽい目撃談が残されていて、水戸藩では散々馬鹿にされたとわかります。その大砲のために寺社仏閣を散々潰し、仏像だの梵鐘を使いましたから。

悪名高い【廃仏毀釈】のグランドデザイナーは斉昭です。

それにそうした技術にせよ、水戸藩の内紛、天狗党と諸生党の闘争で犠牲になってしまった。

結果、幕末以来、水戸では人材が尽きたと指摘されています。

当時の斉昭評もさんざんです。

「幕末の内紛はだいたい斉昭のせい。獅子身中の毒虫とはあの人のこと」(幕臣・大谷木醇堂)

「口先では調子いいけど、いざとなると斉昭と慶喜父子は気が小さくて逃げますよね。斉昭の親バカ我が子プッシュに巻き込まれた私がバカでした。最悪の結果になりましたよね……」(松平春嶽

とまあ、こんな調子です。斉昭再評価って「倒幕を先駆けていてスゴイ!」という路線でしか成立しない。

いい人だの、先見性があっただの、何が根拠なんですかね。風神雷神に例えるなんて、神様を侮辱して怖くないのでしょうか。

 

円四郎はよいところで死にました

ここでこんな記事でも。

◆NHK大河「青天を衝け」いまだ続く“円四郎ロス”が結びつけた絆 第18回見どころ (→link

平岡円四郎が死んだけど、そのおかげで慶喜と栄一の距離感が縮んだからいっか♪ ということです。

今週は

「天狗党はニシン倉に押し込まれて斬首されて、耕雲斎の首を抱えて妻も斬首されて、遺骸は捨てられたけど……。

水戸の人は手拭を水で濡らして振り回すことができなくなったし(※振った時の音が斬首に似ているから)、豆腐の味噌汁が食べられなくなったけど(※死刑囚最後のメニューだから)。

それでも慶喜と栄一の距離が近づいたからいっか♪」

とでも言うんですかね。

将来的に訪れるであろう彰義隊・戊辰戦争あたりでもそうなるのでしょうか? そんな屍山血河(しざんけつが)を背景にしてダンスを踊られても困惑しかありません。

ここで真面目に、円四郎ロスの意味を考えてみたいと思います。

慶喜は優秀な人材を生かそうとしておりません。

大河を持ち上げるように「もし平岡円四郎が生きていたら……」と仮定する記事もあります。

平岡円四郎と原市之進が慶喜を支え続けていたら、幕末の歴史はどう変わったかを考えてみた(→link

夢とロマンがありますが、私にはさして意味があるifとも思えない。

時代を動かすほど明敏で器の大きな人物を、慶喜は遠ざけているようにすら思える。自分が賢いだけにそうしたのかもしれないとは分析されています。

自分の意のままに動き、噛みつきもせず、実務能力のある家臣は重用する。その使い方は、生身の人間に対するものというよりも、弊履のように思える。履き潰したら捨てるのです。

今回もその悪しき傾向が出ていました。

長州征討をまとめたのは永井尚志なのに、褒められるのは薩摩の西郷隆盛にしそう。ここでの西郷の動きは、幕府に味方するつもりで裏切っていた、最低最悪の背反であるとして幕臣の恨みをかっています。

川路聖謨は「薩摩だけは許せない」と振り返っているほど。

慶喜の人材切り捨て履歴を振り返ってみましょう。

◆参与会議で頼りながらも、自分をさしおいて孝明天皇の寵愛を受けたとなると、罵倒され追い落とされた島津久光

◆一会桑政権が終わったら捨てられた松平容保と松平定敬兄弟

◆大政奉還を成し遂げたあとは省みられることもなく、静岡まで会いにいっても門前払いされた永井尚志

◆無血開城で頼りきりにしておきながら、死の直前まで会おうともしなかった勝海舟

明治以降に渋沢栄一がことのほか可愛がられたのは、名誉回復に役立つ金、名誉、政府とのコネがあったから。相手も自分の知名度を利用する腹づもりであったからこそではないかと思われます。

慶喜はずっと、人を使い捨てにする人生を送っています。

そこを踏まえると、そんな慶喜の冷酷さを知ることなく、あの場で死んだ円四郎は幸いだったと言うしかありません。

劇中でも、天狗党がらみの陰惨さを調和できましたから、実にナイスなタイミングでしたよね。

円四郎があんなにソウルフルなのって、結局あのタイミングで死んだからですよ。そう麗しい君臣関係のまま終わるとすれば、円四郎が途中で慶喜の身代わりとして死んだから。結論はそうなるのです。

 

農兵を集めて何がしたいの?

成一郎が天狗党に降伏勧告をしたことはよいとして、問題はその結論の誘導です。

「一橋家に兵士がいないからだ! だから舐められるんだ!」

そんな、ヤンキー漫画のバトルみたいな発想しないていただきたい。

確かに幕末は農兵編成をした。とはいえ、そんな数百名程度の兵士で、戦局が大きく変わるかどうかは危ういです。

そもそも慶喜は将軍後見職で、幕府の長として全国の藩を動かせます。

それがチマチマ募兵したから何だというのでしょうか?

成一郎は何も分かってないということがビンビンに伝わってきます。

幕閣は慶喜に不信感を抱きました。それは慶喜を嫉妬したとかそういうことでなく、言動不一致なうえに、朝廷に必要以上に媚びを売るがゆえにでした。

 

慶喜無双はかっこよかったけれど一発屋でもあり

先週はダメ出しして申し訳なかった。

確かに【禁門の変】での慶喜は颯爽としてカッコよかったそうです。銃弾がかすめたのも本人談では実話らしい。

ただ、一発屋なのが悪い。このあとの長州征討から、鳥羽・伏見の戦い後のスタイリッシュ東帰逃亡の印象が強すぎてきつく言いすぎました。

整合性が無茶苦茶なんですね。

戦になったら思う壺とか言いつつ、ゲームスコア感覚で戦果を誇る。戦闘経過や銃器の使い方も……まあもういいでしょう。

そして皮肉にも、そのせいで【長州征討】があやふやな理由も見えてきました。

このとき、慶喜は出陣するする詐欺をやらかす。

幕臣たちは「え、それでも武士の棟梁?」と呆れ果てました。

そういうカッコ悪い場面は何がなんでも描きたくないという強固な意思は感じます。

 

尊王攘夷は呪いになった……そこからですか!

本作がらみで幕末本を読み返し、ニュースやドラマ本編を見ているうちに、ものすごい齟齬が出てきて呆然としてしまいます。

「尊王攘夷は呪いになった……」

そう重々しく慶喜が語るだけで、なんかむちゃくちゃ斬新なことを話したように扱われております。

しかし、手元の本を見るとこうあります。

【薩長にせよ慶喜にせよ、尊王攘夷だと気付きつつ周囲を騙して権力闘争をしていた】

半藤一利さんはじめ、キッパリ明瞭に言い切っている。

尊王攘夷なんて嘘っぱちなのに、その騙しつつ進んでいった明治維新の意義を問い直す!

私は、そんな流れがとうにできていると思い、実際『八重の桜』ではそうした歴史観が根底にあったのですが、どうにも2015年から歯車が狂った。

歴史観平均値が戦前に交代したんじゃないかと不安になります。

2015『花燃ゆ』
2018『西郷どん』
2021『青天を衝け』

上記の三作品は、思想をふまえれば魂の三つ子だとわかる作品群です。

 

褒め殺しには勝てぬ

今年の大河はどうにも奇妙な傾向がある。

天狗党絡みの関連番組があるかと思えばどうにもない。

一方でNHKのアナウンサーがくどいくらいに褒めちぎる。しかも史実抜きにして、文化祭で我が子のお遊戯を見たかのように褒めちぎる。

NHKのアナウンサーといえば、松平定知さんのように博識な方も多かったと記憶しています。それは過去のこととなったのかもしれませんね。

あるニュースでは包帯巻いてる慶喜のことをほめちぎっていたんだとか。【禁門の変】で慶喜無双を放映した翌日に、あのしょうもない包帯ぐるぐるがよかったと。

慶喜役の方はエゴサーチもしているという。そして本丸NHKのアナウンサーがこうきた。

役者殺すにゃ刃物はいらぬ。駄作さえあればいい。

しみじみと無残極まりない話だとため息をついてしまいます。

徳川慶喜ですよ?

歴史上、たった15人しかいない徳川幕府征夷大将軍だ。それこそ見せ場はたんとある。

それが包帯ぐるぐるがよかったね、だと!?

包帯を巻いた芝居なんて、幕末の大工どころか、現代物でも務まる。ただのほっこり笑えるだけのしょうもない場面です。

絶対に誉めねばならないNHKアナウンサーが、よりにもよってそこを褒めるとは!

大河の滅びは近いかもしれません。大久保利通にならってそう失笑するしかない話。熱演している役者さん方々も気の毒なことです。

大河に出て誉められるのが褌、半裸、包帯ぐるぐる。どこまでブランドが下落したのでしょうか。

試しに『麒麟がくる』なり、他の真っ当な大河で褒められていた場面でも思い出せばよいのですよ。

真田幸村、赤備えの突撃。直虎が苦渋の決断で小野政次を処刑する。えもいわれぬ悲しみを、黒い炎のように瞳に宿し、夜明けの本能寺をじっと眺める光秀。

ご理解いただけるでしょう。本作がいかに役者を殺しているかと。

 

主演俳優にセクハラする大河とは?

大河ドラマは、コケると主演俳優のキャリアに影を落とすことで悪名高い。

視聴率は安定しているとはいえ、吉沢亮さんのことが最近心配でなりません。

だって……。

◆青天を衝け・吉沢亮「次を仕込むべ」 再会した妻へのセリフに視聴者「何言い出すのだ栄一」(→link

慶喜視点では京の動乱を描き、栄一視点では家族や夫婦愛が描かれた今回。

視聴者からはさまざまな反響があがるなか、栄一が放ったお千代を床に誘うセリフに対し、「仕込むて!!!! 言い方笑」「栄一とはいえ吉沢亮が『次を仕込む』発言すごい」「恋を知らずに胸をグルグルさせてた栄一が仕込むとか言い出すとは...」「直接的な仕込むべの単語にワロタ」「爽やかな顔で『次を仕込む』とか何言い出すのだ栄一」などと反響を呼んでいる。

ゆえに、このレビュートップ画像のようなイラストまで描かれてしまう。

イラストを描いた方は悪くないけれど、描かれた側にとっては罰ゲームではありませんか? 笑顔で「仕込むぞ!」と言っている似顔絵ねえ……。

◆『青天を衝け』17話。悪代官に倍返し!この気持ちを円四郎に伝えられないのがつらい(→link

受信料を使ってセクハラですか。もうついていけないし、こんなドラマが好きだと言いたくない。

「初夜や仕込むとか、褌とか、チュー死に喜んでいるんだ……」

そう誤解されたくありません。

無惨な夭折を遂げた橋本左内を裸要員にするドラマは、やはり何かが違いますね。

 

本質はもう、見失っている

そして、出演者以外も褒められているのか、そうでないのかわからない記事が多い。

例えば……。

◆『青天を衝け』篤太夫の哀しみの涙とうれし涙 “生”の象徴だった円四郎(→link

高杉の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」と円四郎の「おかしれえ」に近いものを筆者は感じる。

「面白くない世の中を自分の心持ち次第で面白くする」精神である。

幕末は時代の終わりと思うととかく血なまぐさいイメージがつきまとうが、暗く思い詰めるばかりではなく、こんなふうに状況を面白く捉えようとしていた人たちもいたのである。

円四郎って、大河で露骨に過大評価されていて、もうわけがわからなくなりました。

確かに慶喜にとっては重要ですが、その才智を褒めちぎっているとなると、それこそ恩人の渋沢栄一ぐらい。

「おかしれぇ」だけであの高杉晋作と並べられるとは、あまりのことに言葉も出てきません。

「おかしれぇ」って創作上の言葉ですよね。

それと史実を並べる時点で、ちょっと理解できないのですが、こういう変な褒め方をされると反動がどうしてもあるので、史実の円四郎が気の毒になってしまいます。

そしてこちら。

◆北大路欣也演じる徳川家康の画期的な位置づけ 『青天を衝け』が描く本質を見失うことの恐さ(→link

そしてそれらをさらに超越した神の視点が、登場人物たちが置かれた状況を歴史的背景含めて分かりやすく解説してくれる「家康によるレクチャータイム」である。

前の週休んだことを詫びるといった茶目っ気を時折見せながらラフに登場するのも楽しい。

第14回において、あらゆる巷の伝聞を聞きかじり構築した持論をぶつけた栄一に対し、円四郎が今の状況をサクッと説明することで「目から鱗が落ちた」と栄一が言う場面があったが、このドラマ、特に「家康レクチャー」の分かりやすさはまさにそれだ。

あの家康解説はむしろ幕末の本質から目を逸らさせる罠になっています。

それを踏まえると「『青天を衝け』が描く本質を見失うことの恐さ」というタイトルが味わい深くて何も言えません。

そしてこの記事は、その仕組みを丁寧に暴くので、引用させていただきますね。

大河ドラマ『青天を衝け』を観ていると胸のあたりが「ぐるぐる」してくる。

一途に、真っ当に、正直に生きているか。一生を懸けて身を投じたい何かに出会えているか。登場人物たちが問いかけてくる。

NHKの連続テレビ小説『風のハルカ』や『あさが来た』を手掛けた大森美香のオリジナル脚本で描かれる「近代日本経済の父」渋沢栄一の物語が、あまりにも等身大だからだろう。

今まで自分で炊いたことのなかった米を何度も失敗を繰り返しながら炊き、ようやく成功させ喜ぶ栄一と喜作(高良健吾)や、円四郎が小姓として慶喜のご飯をよそうも、そのあまりの豪快さに慶喜自ら手本を見せるといった光景は、150年以上前に生きていた人々をより身近な存在にする。

幕末の志士が、等身大に思えたらまずいんですよ!

彼らは現代の視点からすればテロリスト。

そういう危険人物を等身大に見せる有害性を理解しているのかどうか。それにドラマで身近って、それはない。

身近に感じるのであれば、せめて墓参なりしていただきたい。

ドラマは所詮ドラマ、創作物でしかない。着色料と香料でそれっぽくしただけで、果汁1パーセント未満のジュースのようなものですよ。

そしてここ。

あまり時代劇に馴染みのない人でも気軽に楽しめる構造になっていると同時に、「知ること・学ぶこと・視野を広げること」の重要性を栄一と共に学ぶことができる。

なぜなら、幕末の動乱の数々を、栄一の生まれ育った故郷、武蔵国血洗島村の近郊に位置する藩であり、慶喜の出身地でもある水戸藩を中心に捉えることで、このドラマが描いているのは、実体とかけ離れた「幻の輝き」に踊らされ、本質を見失うことの恐ろしさなのである。

(中略)

しかし、その「烈公」は果たして実体を伴っているのか。

竹中直人演じる徳川斉昭が、日本に対する頑なな思いを持つ一方で、妻と息子たちを愛し、息子の説得を受け政から身を引くことも考慮し、ただ水戸の未来を憂慮していた人物だったことを、視聴者は知っている。

だがその頑なな思想のみが「烈公」の人となりとなり、死しても尚、多くの人々の命運を狂わせているのである。

水戸の未来を憂慮しただけ?

いや……斉昭をこう解釈する時点で、幕末史の本質を見誤っているとしか言いようがない。

私は甘かったのかもしれない。

どんなにデタラメな入り口だろうと、そこからさらに調べ、学ぶのであれば、大河は大事だと思っていました。

けれども、こうした記事を読むと、疑念が募るばかりです。

大河ファンは、果たして踏み込んで幕末史を学んでいるのかどうか?

答えは否ではないか?

苦い思いがじわじわわいてきます。ポリアンナ症候群そのもので、些細なことを褒め、史実に反することは見なかったふりをする。そういう傾向はある。

で、そういうところに、なんかわけわからん捏造を流されたらどうなってしまうんでしょうね。

 

白馬非馬

昔、レスポンスバトルで「白馬は馬でない」と認めさせた人がいました。

そんなレスバに定評のある兒説(げい せつ)が、白馬に乗って関を通ろうとします。馬には通行税がかけられておりました。

役人はこう言います。

「はい、馬で通行。税金いただきます」

「いやね。でもね、白馬は馬じゃないんだよ」

「は? 何言ってんスか? 色が何だろうと馬は馬でしょ」

結局、税金を支払ったと。

『韓非子』はこの話をあげて、レスバで勝ち誇っても現実社会じゃものの役にも立たない理屈はあると喝破しております。

本作の作り手って、まさにこれだと。

屁理屈はうまい。盛り上げるのはうまい。しかし、実生活では通じない屁理屈ばかりこねている。責任転嫁がその典型です。

小四郎の場面で、気づいたことがあります。

一部の暴徒(田中愿蔵あたりのことでしょう)のせいで、天狗党は汚名を蒙ったと言いたげである。

しかし任命責任がある。小四郎が田中愿蔵のような人間を幹部にして行動を許したからには、小四郎にも責任は当然あります。

それを部下のせいにしてごまかそうとしている。

このドラマはともかく「〜のせいで!」と言いたがる。

極めて無責任。そのくせ功績は自分のものにする。

要は、不義のにおいがするんです。

【義を見てせざるは勇なきなり】という言葉があります。

私はこのドラマの不義について黙ってはいられない。天狗党のことで糸が切れた。これほどの悪は許せません。


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【参考】
青天を衝け/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-青天を衝け感想あらすじ
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