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【青天を衝け第18回感想あらすじレビュー】
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命令系統と任命責任から逃げるなァ!
大河より『鬼滅の刃』の方が、教育上は役に立ちますね。
なぜなら炭治郎はこうです。
貴様ァァァ!!
逃げるなアア!!!
責任から逃げるなアア
お前が今まで犯した罪
悪業
その全ての責任は必ず取らせる
絶対に逃さない!!
仮に秀吉大河で「秀次事件は家康の陰謀です!」なんて言おうものなら、非難轟々、失笑もの、それ一発で駄作認定となりかねない。
東国一の美女が連座で処刑された 駒姫(最上義光娘)の死はあまりに理不尽だ
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そういうしょうもないレベルの捏造でも、幕末史、こと水戸藩ならば通ってしまう。
注目する人が少ない。声が小さい。
要は水戸藩の人材枯渇が150年の時を経ても祟っているのでしょう。
烈公と一緒にされたら雷神風神が怒る
慶喜が最低なら、斉昭が最悪ということは当時から常識だと思っておりました。
こんなに無理に斉昭持ち上げをする描写に困惑を隠せません。
日本人の幕末知識をどうしたいのでしょうか。
たしかに斉昭には、若干の先見性はあります。しかし、功罪のうち“罪”が圧倒的に重く、例えば島津斉彬の【集成館事業】とは大違い。
天狗党が山道を引きずっていった大砲なんて、砲弾がポーンと出てゴロゴロ転がっていくだけだった。
皮肉っぽい目撃談が残されていて、水戸藩では散々馬鹿にされたとわかります。その大砲のために寺社仏閣を散々潰し、仏像だの梵鐘を使いましたから。
悪名高い【廃仏毀釈】のグランドデザイナーは斉昭です。
それにそうした技術にせよ、水戸藩の内紛、天狗党と諸生党の闘争で犠牲になってしまった。
結果、幕末以来、水戸では人材が尽きたと指摘されています。
当時の斉昭評もさんざんです。
「幕末の内紛はだいたい斉昭のせい。獅子身中の毒虫とはあの人のこと」(幕臣・大谷木醇堂)
「口先では調子いいけど、いざとなると斉昭と慶喜父子は気が小さくて逃げますよね。斉昭の親バカ我が子プッシュに巻き込まれた私がバカでした。最悪の結果になりましたよね……」(松平春嶽)
とまあ、こんな調子です。斉昭再評価って「倒幕を先駆けていてスゴイ!」という路線でしか成立しない。
いい人だの、先見性があっただの、何が根拠なんですかね。風神雷神に例えるなんて、神様を侮辱して怖くないのでしょうか。
円四郎はよいところで死にました
ここでこんな記事でも。
◆NHK大河「青天を衝け」いまだ続く“円四郎ロス”が結びつけた絆 第18回見どころ (→link)
平岡円四郎が死んだけど、そのおかげで慶喜と栄一の距離感が縮んだからいっか♪ ということです。
今週は
「天狗党はニシン倉に押し込まれて斬首されて、耕雲斎の首を抱えて妻も斬首されて、遺骸は捨てられたけど……。
水戸の人は手拭を水で濡らして振り回すことができなくなったし(※振った時の音が斬首に似ているから)、豆腐の味噌汁が食べられなくなったけど(※死刑囚最後のメニューだから)。
それでも慶喜と栄一の距離が近づいたからいっか♪」
とでも言うんですかね。
将来的に訪れるであろう彰義隊・戊辰戦争あたりでもそうなるのでしょうか? そんな屍山血河(しざんけつが)を背景にしてダンスを踊られても困惑しかありません。
ここで真面目に、円四郎ロスの意味を考えてみたいと思います。
慶喜は優秀な人材を生かそうとしておりません。
大河を持ち上げるように「もし平岡円四郎が生きていたら……」と仮定する記事もあります。
◆ 平岡円四郎と原市之進が慶喜を支え続けていたら、幕末の歴史はどう変わったかを考えてみた(→link)
夢とロマンがありますが、私にはさして意味があるifとも思えない。
時代を動かすほど明敏で器の大きな人物を、慶喜は遠ざけているようにすら思える。自分が賢いだけにそうしたのかもしれないとは分析されています。
自分の意のままに動き、噛みつきもせず、実務能力のある家臣は重用する。その使い方は、生身の人間に対するものというよりも、弊履のように思える。履き潰したら捨てるのです。
今回もその悪しき傾向が出ていました。
長州征討をまとめたのは永井尚志なのに、褒められるのは薩摩の西郷隆盛にしそう。ここでの西郷の動きは、幕府に味方するつもりで裏切っていた、最低最悪の背反であるとして幕臣の恨みをかっています。
川路聖謨は「薩摩だけは許せない」と振り返っているほど。
慶喜の人材切り捨て履歴を振り返ってみましょう。
◆参与会議で頼りながらも、自分をさしおいて孝明天皇の寵愛を受けたとなると、罵倒され追い落とされた島津久光
◆一会桑政権が終わったら捨てられた松平容保と松平定敬兄弟
◆大政奉還を成し遂げたあとは省みられることもなく、静岡まで会いにいっても門前払いされた永井尚志
◆無血開城で頼りきりにしておきながら、死の直前まで会おうともしなかった勝海舟
明治以降に渋沢栄一がことのほか可愛がられたのは、名誉回復に役立つ金、名誉、政府とのコネがあったから。相手も自分の知名度を利用する腹づもりであったからこそではないかと思われます。
慶喜はずっと、人を使い捨てにする人生を送っています。
そこを踏まえると、そんな慶喜の冷酷さを知ることなく、あの場で死んだ円四郎は幸いだったと言うしかありません。
劇中でも、天狗党がらみの陰惨さを調和できましたから、実にナイスなタイミングでしたよね。
円四郎があんなにソウルフルなのって、結局あのタイミングで死んだからですよ。そう麗しい君臣関係のまま終わるとすれば、円四郎が途中で慶喜の身代わりとして死んだから。結論はそうなるのです。
農兵を集めて何がしたいの?
成一郎が天狗党に降伏勧告をしたことはよいとして、問題はその結論の誘導です。
「一橋家に兵士がいないからだ! だから舐められるんだ!」
そんな、ヤンキー漫画のバトルみたいな発想しないていただきたい。
確かに幕末は農兵編成をした。とはいえ、そんな数百名程度の兵士で、戦局が大きく変わるかどうかは危ういです。
そもそも慶喜は将軍後見職で、幕府の長として全国の藩を動かせます。
それがチマチマ募兵したから何だというのでしょうか?
成一郎は何も分かってないということがビンビンに伝わってきます。
幕閣は慶喜に不信感を抱きました。それは慶喜を嫉妬したとかそういうことでなく、言動不一致なうえに、朝廷に必要以上に媚びを売るがゆえにでした。
慶喜無双はかっこよかったけれど一発屋でもあり
先週はダメ出しして申し訳なかった。
確かに【禁門の変】での慶喜は颯爽としてカッコよかったそうです。銃弾がかすめたのも本人談では実話らしい。
ただ、一発屋なのが悪い。このあとの長州征討から、鳥羽・伏見の戦い後のスタイリッシュ東帰逃亡の印象が強すぎてきつく言いすぎました。
整合性が無茶苦茶なんですね。
戦になったら思う壺とか言いつつ、ゲームスコア感覚で戦果を誇る。戦闘経過や銃器の使い方も……まあもういいでしょう。
そして皮肉にも、そのせいで【長州征討】があやふやな理由も見えてきました。
このとき、慶喜は出陣するする詐欺をやらかす。
幕臣たちは「え、それでも武士の棟梁?」と呆れ果てました。
そういうカッコ悪い場面は何がなんでも描きたくないという強固な意思は感じます。
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