こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【青天を衝け第18回感想あらすじレビュー】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
備中の一橋領で寡兵活動
備中では、阪谷朗廬(さかたに ろうろ)の塾に出向く栄一。
栄一は、スピーチや才能でなく「百姓から出世した」ということで地元の若者たちにざわつかれる。そして栄一は攘夷が抜けきっていないことを小馬鹿にされます。
阪谷から台湾貿易をした浜田弥衛江の話を聞かされます。
ここでやっと通商にめざめる栄一。
熟生との交流……またも防具なしで木刀を振り回す殺人稽古が入ります。いや、だからその、幕末史の局面説明をしていただきたいのですが。室内で手間を省いた場面が多すぎると言いましょうか……。
序盤の祈祷師をやり込めるような話は、まだ仕方ないとは思えていました。
それが幕末で一番大変な局面で、代官相手にとんち合戦のようなことをされても困ります。
江戸時代の代官はまっとうな人が多く、かつ幕末の代官は各地で農兵の訓練を担当していたケースも多い。ここもまた栄一らを持ち上げるため、周囲を貶める作風ですね。見ているのが辛いです。
代官の実情については、山本博文氏の書籍『悪代官はじつは正義の味方だった 時代劇が描かなかった代官たちの実像』(→amazon)をおすすめします。
明治以降、代官が悪党扱いされたのは、別の理由もあります。
ストレートに当時の政財官の癒着を批判しようにも、怖くてできない。江戸時代の悪代官にすれば、それが通ってしまう。
江戸時代の代官と、明治の政財官汚職を比較したら、後者の方が断然悪質。かつ、渋沢栄一はそういう明治の財界を牛耳っていた人物でした。
備中で無事に寡兵活動を済ませた栄一。
ようやく金のことに目覚め、天狗党がああなったのは金銭不足だからと慶喜に語ります。
そのままプレゼンへ。
・年貢米を入れ札制にする
・播磨の木綿
・備中の硝石
そして本音を打ち明ける。
実は一橋家に攘夷をしてもらいたくて、腰掛けのつもりで仕えていた。でも、今の日本をまとめられるのは慶喜しかいないと思い、仕えたい。
史実の栄一は慶喜が将軍になって「やべえ、倒される側になっちまった!」と焦っていたそうですが、その辺はどうでもいいですかね。
金の大切さを語るため、そろばんを出してアピールする栄一。
懐を豊かにし、土台を大きくする。と、ここで慶喜は父を思い出しました。
林業、ガラス、田畑を作り、蜂蜜を集めていた(※ただし天狗党と諸生党の内乱で崩壊、薩摩藩の集成館と違って後世に残るものほぼない)。
薩摩切子で芋焼酎を楽しめるのは斉彬が遺した集成館事業のお陰です
続きを見る
誰も本当の父を知らぬと持ち上げる慶喜です。
栄一は、斉昭は雷神風神かと思っていたとか、そんな父を思い出したとか、ほっこり話す君臣でした。
もはや腰掛けではないと念押しし、栄一は一橋家を豊かにするために動き出します。
「ならばやってみよ、そこまで申したのだ、おぬしの腕を見せてみよ」
円四郎の回想も入ってばっちりですね!
一橋家を豊かにするため、栄一は新たに動き始めるのでした。
総評
史実をたどりますと、天狗党関係はこうなります。
根源を作った人物→徳川斉昭
過激な尊王攘夷を掲げた水戸学を流布。天狗党を子飼いの一党として作り、その反対派である諸生党母体を迫害。怨恨の種を蒔いた。
見捨てた人物→徳川慶喜
どう言い逃れをしようが、彼が見捨てたことには変わりはない。それが歴史です。
裏切った人物→渋沢栄一
「畏友」と呼び合うほど懇意であった藤田小四郎を見捨てる。天狗党館部である薄井龍之の訴状を握りつぶした。
このように天狗党からすれば許しがたい人物を褒め称え、免罪する。死者の尊厳もあったものではない捏造に恐ろしいものを感じます。
『麒麟がくる』を持ち出します。
あのドラマでは、光秀が仕える相手である斎藤道三が毒殺するような悪辣な場面も描きました。
信長の比叡山焼き討ちも描いた。
それがこうだったら?
「たいへん! 土岐頼純が勝手に食中毒で死んじゃったの、道三は何もしてないの!」
「やだ〜! 秀吉が勝手に比叡山焼き討ちにしちゃったぁ! 信長はそんなつもりなかったのにぃ!」
ブーイングの嵐だと思います。
本作の天狗党描写は、そういう次元の捏造です。今週は良識の一線を超えた回となってしまいました。
このあと、吉村昭『天狗争乱』、山田風太郎『魔群の通過』読者はこういうやりとりをする羽目になるのでしょうか。
「天狗党か。あれは慶喜があまりにひどいよ!」
「何言ってんの、慶喜はひどくないよ! 田村なんとかいう悪どいおっさんのせいでしょ!」
「いや、あれはそうじゃないんだけど……」
「はぁ? 大河が嘘を描くわけないでしょ!」
『独眼竜政宗』の出来の良さではなく、弊害を再現するつもりでしょうか。もう2021年なのに。
しかもたちが悪いことに、今年の大河関連書籍は天狗党のことを言及しないか、妙な書き方なのです。
◆ 幕末京都に迫る「天狗党」…一橋慶喜の“その後”に与えた影響とは(PHPオンライン衆知(歴史街道))(→link)
問題はないとは思います。
しかし、敦賀に残った志よりも、重要なのは水戸の壊滅だと思います。
水戸藩の悲劇はまだこれから、耕雲斎の孫・金次郎が続行します。
以下の記事はオススメです。
◆ 徳川慶喜はなぜ敵役になったのか 情けを知らぬ「独公」の強さと弱さ(→link)
◆ 幕末史上もっとも救いようのない結末… 渋沢栄一の人生訓ともなった、徳川慶喜の冷淡すぎる「天狗党」討伐(→link)
そしてもうひとつ。
いくらなんでも【長州征討(長州征伐)】をここまでカットするのはおかしい。
なぜ、ああもブツギレの描写なのか?と考えると、もしかして孝明天皇と長州藩への配慮でしょうか。当初は用意されていたシーンがカットでもされたとか?
幕末当時は、孝明天皇の信頼を得ることがパワーゲームを有利にしたことは確かです。
松平容保への信頼を盗むようにして慶喜は取り入って薩摩に対抗した。
しかし、孝明天皇は極めて意思強固で、長州を断固討伐せよと訴える。
慶喜はその過程でヘナヘナとして、幕府の権威は徹底的に低下する原因を作ります。孝明天皇を利用しようとして自滅するのです。
そういう慶喜の浅はかさをこっちで補わねば歴史が追えない。
孝明天皇を甘っちょろくみているのは今も同じ。
帝はいかつく、大柄で、体重もかなりあった。釣り上がった目をしていて、かなり強気だった。毎晩酒を延々と飲み、ともかく意志が強かったのです。
孝明天皇の生涯を知れば幕末のゴタゴタがわかる~謎に包まれた御意志
続きを見る
そんな帝を御簾の奥から引き摺り出し、利用しようとした徳川斉昭と徳川慶喜父子の浅慮が、最終的に倒幕へとつながるのです。
不自然な場面もありました。
千代が手紙を読む場面。家茂と和宮のぎこちないラブシーン。そして塾でのダラダラ会話。
室内で、どれもササっと撮影できる場面です。長州征討がカットされたぶん、追加でもされたのかと勘繰ってしまいます。
スタッフロールでは脚本が相変わらず大森氏一人ですが、これも正直納得できません。
『麒麟がくる』のようにチーム制、かつ協力者がいると明かした方がよさそうなものです。なぜそれができないのか。
渋沢栄一と天狗党の関係
これまでも散々書いてきましたが、劇中ではかなりごまかしています。
結果、誰も彼もが無能になってしまいました。
一度、酒場で偶然会っただけ。そんな栄一の言葉で挙兵する藤田小四郎。それで、あの悲劇を招いたはずがない。
小四郎には上洛していた期間があります。そのとき栄一と長州藩士とかなり親しくしていた。それこそ攘夷テロ仲間ですね。
『花燃ゆ』のヒロインは“テロサーの姫”と揶揄されましたが、それだけでもあのドラマがいかに良心的だったかわかる。というのも『青天を衝け』だってきっちり史実通りにすれば、さしずめ主人公は“テロの王子様”あたりになるから。
テロリスト仲間の栄一と小四郎は、互いを文で“畏友”(尊敬し合う友)と呼び合うほどでした。
そんな栄一を頼り、天狗党から抜け出し、京都までたどり着いた人物が薄井龍之です。
なんとか慶喜への取次を頼むも、栄一は門前払いした。
“畏友”の助命嘆願をつっぱね、そのことをずっと黙っていたのが渋沢栄一。『青天を衝け』は栄一の経歴ロンダリングみたいな作品になりつつあります。
栄一は本人もごかまそうとしていますが、天狗党の仲間で実質的に別働隊のようなものだとわかります。天狗党がああなってからもぬけぬけと慶喜を騙し、攘夷継続の兵を集めようとして失敗し、丸く収まったと。
ただし、本人はぬけぬけと生き延びたことに罪悪感はあったと思われます。藤田小四郎に対する彼の言葉は歯切れが悪く、弁解じみている。
「無事是貴人」と言います。
生き延びたものが勝ちだと。水戸学を信奉し、藤田小四郎と親友であった栄一の“才能”とは、生存した強運でしょう。
こんな人物をロールモデルにするなんて私には到底できません。
『はだしのゲン』を鮫島伝次郎目線でリメイクするとか。『仁義なき戦い』を山守組長目線で描き直すとか。
もしもそんな企画があったら、ファンは全力で怒るでしょう。
本作はそういう目線な幕末作品となっています。
徳川慶喜と天狗党の関係
戦国と幕末は違う。
史料にしても後者の方が圧倒的に多い。
こと徳川慶喜がらみについては、渋沢栄一が刊行しているためわかりやすい。
このドラマは「新解釈をしました!」とぬけぬけという。
井伊直弼を“茶歌ポン”呼ばわりして、イケメン慶喜に嫉妬した徳川家定によって闇堕ちして【安政の大獄】につながったと描いた。
こんなものは新解釈でもなんでもなく、小学生が夏休みの自由研究で発表し、先生が苦笑いしながらこうコメントする程度のシロモノです。
「うーん、おもしろいけど、そうかな? こういう本があるから読んでみようね」
天狗党処断については、史料が出揃っているうえに、慶喜本人の証言もあります。
ゆえに、本作で描いたような話は全くもって話になりません。
「あれはね、つまり攘夷とか何とかいろいろいうけれども、その実は党派の争いなんだ。攘夷を主としてどうこうというわけではない。情実においては可哀そうなところもあるのだ。
しかし何しろ幕府の方に手向かって戦争をしたのだ。そうして見るとその廉でまったく罪なしといわれない。
それでその時は、私の身の上がなかなか危い身の上であった。それでどうも何分にも、武田のことをはじめ口を出すわけにいかぬ事情があったんだ」『昔夢会筆記』より
理由はこう説明がつきます。
泣いて馬謖を斬る――規律を保つためには、個人的な思い入れは捨て、違反者を処罰すること。諸葛亮が愛弟子・馬謖を斬刑にしたことが由来です。
天狗党については、本作を見ていてもわかりにくいのですが、【禁門の変】を起こした長州藩尊皇攘夷派の別働隊です。
慶喜無双で、あれだけ【禁門の変】で長州藩を葬っておいて、天狗党を救おうとしたって?そんなことはありえない。
もし慶喜がそう主張したところで、朝敵を庇うのか?と天皇も朝廷も呆れ果てる……このドラマが嘘をついたことで、史実が見えてきます。
本作の言い分から整理してみましょう。
天狗党の処罰については、水戸藩の事情だから任せて欲しいって?
もともと水戸藩内で抑えるべく、慶喜の兄・徳川慶篤が無能で何もできないから、幕府と他の藩がわざわざ引っ張りだされた。
田沼からすれば「いまさら何を言ってますか?」となります。
それに、このあとも水戸藩の抗争は続きます。
結局、斉昭の子である慶喜も、慶篤も、殺し合う水戸藩士を止めず、見殺しにしただけという悪印象が強まりました。
なるべく穏便な処置というのもおかしい。
筑波山の挙兵と水戸での内戦で、田沼はかなり厳しい処断をした。支藩の松平頼徳が耕雲斎と通じたとして、切腹を命じているのです。
そもそも天狗党は略奪と破壊をやりすぎた。あんな悪党には厳しい処断をすべきだと、それこそ民衆から陳情があった。
そして天狗党を捕らえた側には、遺恨を持つ藩もある。
【桜田門外の変】で井伊直弼を水戸藩士に打たれた彦根藩です。斉昭を厠で刺殺したのは彦根藩士という噂があったほどでして。
田沼と彦根藩が関与している時点で、猫の目の前に刺身を置き、「食べたらメッだよ!」と言ったようなもの。通じるわけがないのです。
あの状況で、慶喜がぬけぬけと天狗党に甘い処断を願ったらどうなるか?
そうした史実を丹念に描いていれば、慶喜が苦渋の決断で「泣いて馬謖を斬った」と誘導できる。それを本作はぶち壊しにしました。
無駄に慶喜を甘っちょろくし、武田耕雲斎に手紙なんか送ったから、見殺しの印象が強くなります。
慶喜が忙殺されていて、その足元で天狗党が挙兵したという描き方ならばまだよい。
それが本作の慶喜はさして仕事しているようにもみせず、カッコつけるかのほほんとしているだから、無能かつ無様に見える。
そして理論が無茶苦茶な言い訳をしたことで、【性格的に問題があろうが聡明である】という慶喜の長所が消えました。しょうもない創作のせいで、この一点ですら危うくなった。褒めるつもりが侮辱している。
天狗党の関連書籍は少ないけれど、完全に絶版はしていない。読めばすぐに本作の慶喜描写が嘘であるとわかります。
にもかかわらず、なぜあんな無茶をしたのでしょう。
※続きは【次のページへ】をclick!