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【青天を衝け第18回感想あらすじレビュー】
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尊王攘夷は呪いになった……そこからですか!
本作がらみで幕末本を読み返し、ニュースやドラマ本編を見ているうちに、ものすごい齟齬が出てきて呆然としてしまいます。
「尊王攘夷は呪いになった……」
そう重々しく慶喜が語るだけで、なんかむちゃくちゃ斬新なことを話したように扱われております。
しかし、手元の本を見るとこうあります。
【薩長にせよ慶喜にせよ、尊王攘夷だと気付きつつ周囲を騙して権力闘争をしていた】
半藤一利さんはじめ、キッパリ明瞭に言い切っている。
尊王攘夷なんて嘘っぱちなのに、その騙しつつ進んでいった明治維新の意義を問い直す!
私は、そんな流れがとうにできていると思い、実際『八重の桜』ではそうした歴史観が根底にあったのですが、どうにも2015年から歯車が狂った。
歴史観平均値が戦前に交代したんじゃないかと不安になります。
2015『花燃ゆ』
2018『西郷どん』
2021『青天を衝け』
上記の三作品は、思想をふまえれば魂の三つ子だとわかる作品群です。
褒め殺しには勝てぬ
今年の大河はどうにも奇妙な傾向がある。
天狗党絡みの関連番組があるかと思えばどうにもない。
一方でNHKのアナウンサーがくどいくらいに褒めちぎる。しかも史実抜きにして、文化祭で我が子のお遊戯を見たかのように褒めちぎる。
NHKのアナウンサーといえば、松平定知さんのように博識な方も多かったと記憶しています。それは過去のこととなったのかもしれませんね。
あるニュースでは包帯巻いてる慶喜のことをほめちぎっていたんだとか。【禁門の変】で慶喜無双を放映した翌日に、あのしょうもない包帯ぐるぐるがよかったと。
慶喜役の方はエゴサーチもしているという。そして本丸NHKのアナウンサーがこうきた。
役者殺すにゃ刃物はいらぬ。駄作さえあればいい。
しみじみと無残極まりない話だとため息をついてしまいます。
徳川慶喜ですよ?
歴史上、たった15人しかいない徳川幕府征夷大将軍だ。それこそ見せ場はたんとある。
それが包帯ぐるぐるがよかったね、だと!?
包帯を巻いた芝居なんて、幕末の大工どころか、現代物でも務まる。ただのほっこり笑えるだけのしょうもない場面です。
絶対に誉めねばならないNHKアナウンサーが、よりにもよってそこを褒めるとは!
大河の滅びは近いかもしれません。大久保利通にならってそう失笑するしかない話。熱演している役者さん方々も気の毒なことです。
大河に出て誉められるのが褌、半裸、包帯ぐるぐる。どこまでブランドが下落したのでしょうか。
試しに『麒麟がくる』なり、他の真っ当な大河で褒められていた場面でも思い出せばよいのですよ。
真田幸村、赤備えの突撃。直虎が苦渋の決断で小野政次を処刑する。えもいわれぬ悲しみを、黒い炎のように瞳に宿し、夜明けの本能寺をじっと眺める光秀。
ご理解いただけるでしょう。本作がいかに役者を殺しているかと。
主演俳優にセクハラする大河とは?
大河ドラマは、コケると主演俳優のキャリアに影を落とすことで悪名高い。
視聴率は安定しているとはいえ、吉沢亮さんのことが最近心配でなりません。
だって……。
◆青天を衝け・吉沢亮「次を仕込むべ」 再会した妻へのセリフに視聴者「何言い出すのだ栄一」(→link)
慶喜視点では京の動乱を描き、栄一視点では家族や夫婦愛が描かれた今回。
視聴者からはさまざまな反響があがるなか、栄一が放ったお千代を床に誘うセリフに対し、「仕込むて!!!! 言い方笑」「栄一とはいえ吉沢亮が『次を仕込む』発言すごい」「恋を知らずに胸をグルグルさせてた栄一が仕込むとか言い出すとは...」「直接的な仕込むべの単語にワロタ」「爽やかな顔で『次を仕込む』とか何言い出すのだ栄一」などと反響を呼んでいる。
ゆえに、このレビュートップ画像のようなイラストまで描かれてしまう。
イラストを描いた方は悪くないけれど、描かれた側にとっては罰ゲームではありませんか? 笑顔で「仕込むぞ!」と言っている似顔絵ねえ……。
◆『青天を衝け』17話。悪代官に倍返し!この気持ちを円四郎に伝えられないのがつらい(→link)
受信料を使ってセクハラですか。もうついていけないし、こんなドラマが好きだと言いたくない。
「初夜や仕込むとか、褌とか、チュー死に喜んでいるんだ……」
そう誤解されたくありません。
無惨な夭折を遂げた橋本左内を裸要員にするドラマは、やはり何かが違いますね。
本質はもう、見失っている
そして、出演者以外も褒められているのか、そうでないのかわからない記事が多い。
例えば……。
◆『青天を衝け』篤太夫の哀しみの涙とうれし涙 “生”の象徴だった円四郎(→link)
高杉の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」と円四郎の「おかしれえ」に近いものを筆者は感じる。
「面白くない世の中を自分の心持ち次第で面白くする」精神である。
幕末は時代の終わりと思うととかく血なまぐさいイメージがつきまとうが、暗く思い詰めるばかりではなく、こんなふうに状況を面白く捉えようとしていた人たちもいたのである。
円四郎って、大河で露骨に過大評価されていて、もうわけがわからなくなりました。
確かに慶喜にとっては重要ですが、その才智を褒めちぎっているとなると、それこそ恩人の渋沢栄一ぐらい。
「おかしれぇ」だけであの高杉晋作と並べられるとは、あまりのことに言葉も出てきません。
「おかしれぇ」って創作上の言葉ですよね。
それと史実を並べる時点で、ちょっと理解できないのですが、こういう変な褒め方をされると反動がどうしてもあるので、史実の円四郎が気の毒になってしまいます。
そしてこちら。
そしてそれらをさらに超越した神の視点が、登場人物たちが置かれた状況を歴史的背景含めて分かりやすく解説してくれる「家康によるレクチャータイム」である。
前の週休んだことを詫びるといった茶目っ気を時折見せながらラフに登場するのも楽しい。
第14回において、あらゆる巷の伝聞を聞きかじり構築した持論をぶつけた栄一に対し、円四郎が今の状況をサクッと説明することで「目から鱗が落ちた」と栄一が言う場面があったが、このドラマ、特に「家康レクチャー」の分かりやすさはまさにそれだ。
あの家康解説はむしろ幕末の本質から目を逸らさせる罠になっています。
それを踏まえると「『青天を衝け』が描く本質を見失うことの恐さ」というタイトルが味わい深くて何も言えません。
そしてこの記事は、その仕組みを丁寧に暴くので、引用させていただきますね。
大河ドラマ『青天を衝け』を観ていると胸のあたりが「ぐるぐる」してくる。
一途に、真っ当に、正直に生きているか。一生を懸けて身を投じたい何かに出会えているか。登場人物たちが問いかけてくる。
NHKの連続テレビ小説『風のハルカ』や『あさが来た』を手掛けた大森美香のオリジナル脚本で描かれる「近代日本経済の父」渋沢栄一の物語が、あまりにも等身大だからだろう。
今まで自分で炊いたことのなかった米を何度も失敗を繰り返しながら炊き、ようやく成功させ喜ぶ栄一と喜作(高良健吾)や、円四郎が小姓として慶喜のご飯をよそうも、そのあまりの豪快さに慶喜自ら手本を見せるといった光景は、150年以上前に生きていた人々をより身近な存在にする。
幕末の志士が、等身大に思えたらまずいんですよ!
彼らは現代の視点からすればテロリスト。
そういう危険人物を等身大に見せる有害性を理解しているのかどうか。それにドラマで身近って、それはない。
身近に感じるのであれば、せめて墓参なりしていただきたい。
ドラマは所詮ドラマ、創作物でしかない。着色料と香料でそれっぽくしただけで、果汁1パーセント未満のジュースのようなものですよ。
そしてここ。
あまり時代劇に馴染みのない人でも気軽に楽しめる構造になっていると同時に、「知ること・学ぶこと・視野を広げること」の重要性を栄一と共に学ぶことができる。
なぜなら、幕末の動乱の数々を、栄一の生まれ育った故郷、武蔵国血洗島村の近郊に位置する藩であり、慶喜の出身地でもある水戸藩を中心に捉えることで、このドラマが描いているのは、実体とかけ離れた「幻の輝き」に踊らされ、本質を見失うことの恐ろしさなのである。
(中略)
しかし、その「烈公」は果たして実体を伴っているのか。
竹中直人演じる徳川斉昭が、日本に対する頑なな思いを持つ一方で、妻と息子たちを愛し、息子の説得を受け政から身を引くことも考慮し、ただ水戸の未来を憂慮していた人物だったことを、視聴者は知っている。
だがその頑なな思想のみが「烈公」の人となりとなり、死しても尚、多くの人々の命運を狂わせているのである。
水戸の未来を憂慮しただけ?
いや……斉昭をこう解釈する時点で、幕末史の本質を見誤っているとしか言いようがない。
私は甘かったのかもしれない。
どんなにデタラメな入り口だろうと、そこからさらに調べ、学ぶのであれば、大河は大事だと思っていました。
けれども、こうした記事を読むと、疑念が募るばかりです。
大河ファンは、果たして踏み込んで幕末史を学んでいるのかどうか?
答えは否ではないか?
苦い思いがじわじわわいてきます。ポリアンナ症候群そのもので、些細なことを褒め、史実に反することは見なかったふりをする。そういう傾向はある。
で、そういうところに、なんかわけわからん捏造を流されたらどうなってしまうんでしょうね。
白馬非馬
昔、レスポンスバトルで「白馬は馬でない」と認めさせた人がいました。
そんなレスバに定評のある兒説(げい せつ)が、白馬に乗って関を通ろうとします。馬には通行税がかけられておりました。
役人はこう言います。
「はい、馬で通行。税金いただきます」
「いやね。でもね、白馬は馬じゃないんだよ」
「は? 何言ってんスか? 色が何だろうと馬は馬でしょ」
結局、税金を支払ったと。
『韓非子』はこの話をあげて、レスバで勝ち誇っても現実社会じゃものの役にも立たない理屈はあると喝破しております。
本作の作り手って、まさにこれだと。
屁理屈はうまい。盛り上げるのはうまい。しかし、実生活では通じない屁理屈ばかりこねている。責任転嫁がその典型です。
小四郎の場面で、気づいたことがあります。
一部の暴徒(田中愿蔵あたりのことでしょう)のせいで、天狗党は汚名を蒙ったと言いたげである。
しかし任命責任がある。小四郎が田中愿蔵のような人間を幹部にして行動を許したからには、小四郎にも責任は当然あります。
それを部下のせいにしてごまかそうとしている。
このドラマはともかく「〜のせいで!」と言いたがる。
極めて無責任。そのくせ功績は自分のものにする。
要は、不義のにおいがするんです。
【義を見てせざるは勇なきなり】という言葉があります。
私はこのドラマの不義について黙ってはいられない。天狗党のことで糸が切れた。これほどの悪は許せません。
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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◆青天を衝け感想あらすじレビュー
◆青天を衝けキャスト
◆青天を衝け全視聴率
文:武者震之助(note)
絵:小久ヒロ
【参考】
青天を衝け/公式サイト