一説に4万5千もの大軍を率いて、尾張へ攻め込んだ今川義元。
わずか2千の信長に敗れたことで、すっかり負け犬キャラにされてしまいますが、実際は「んなこたぁない!」というのが正しい見方かと思われます。
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むしろ、注目すべきは織田信長が率いた2千騎の中身ではないでしょうか。
そのうち700~800(900とも)は、普段から軍事訓練に勤しんでいた精鋭部隊。いわゆる信長の親衛隊です。
武家の次男や三男以下など。家督を継げぬ者を普段から雇用しており、バリバリの戦闘マシーンと化していたんですね。
今川義元の4万5千のうち、果たして何騎がホンモノの武士だったか?
それも今川軍のように大軍ともなれば、その武士たちも各部隊に散ってしまうわけで。信長軍が固まって突撃し、そしてその先が義元の本隊だったら……十分に勝てる可能性があるんではないでしょうか。
というわけで桶狭間の戦いを舞台としたマンガ「日本史ブギウギ」、第154話スタート!
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先鋒キミね
ゴリゴリ強気モードの今川義元さん。
どちゃくそプレッシャーをかけている相手の松平元康とは、徳川家康さんのことですね。
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以前は竹千代を名乗り、織田家で人質になっていた時代もありました。
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それが桶狭間では最前線の拠点に兵糧を運び込む――という危険な大役を与えられました。
ヤング信長
信長の父・織田信秀の代から仕えていた譜代の重臣・佐久間信盛さんもおりますね。
まぁ、後に追放されてしまうのですが……。
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敦盛
死ぬ直前かもしれんのに『敦盛』を舞うとかウソでしょ?w
そう思うかも知れませんが、これが『信長公記』に記されているんですね。まぁ、その記述そのものがウソの可能性もありますが、本当だったと思いたい……。
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