織田信長に奉じられて上洛を果たし、室町幕府の15代将軍に就任した足利義昭。
最初の頃こそ信長を「父」とまで呼んで慕っていましたが、将軍としての働き足りないことを指摘されたりして、徐々に両者の関係は悪化していきます。
信長から義昭へ、幾度かの警告が出されたことも『信長公記』に記されています。
信長が義昭を叱る! 殿中御掟や十七箇条意見書には何が書かれてる?
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結果、両者の関係は破綻!
足利義昭は、本願寺や浅井朝倉、あるいは武田信玄など各方面へ協力を働きかけ、畿内・中部エリアという広大な範囲で織田軍を取り囲む
【第二次信長包囲網】
を敷くのでした。
むろん義昭一人の功績ではなく、信玄の各所への働きかけなどが大きかったとされますが(例えば信玄の妻が、本願寺顕如の妻と姉妹などの関係も利用)、その中心だった信玄が敢えなく亡くなってしまい……。
残された義昭はどうするのか?
マンガ「日本史ブギウギ」第161話スタート!
都パニック
◆「第六天魔王」=「魔王」というイメージから、現代の諸作品では暴虐なイメージで描かれがちな織田信長。
なぜ信長は「第六天魔王」と呼ばれた?売り言葉に買い言葉が現代へ
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必ずしも将軍や朝廷に対して横暴ではなく、割とフツーに穏便な対応をしております。
勘違い将軍
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守備側の義昭方は呆気なく崩れてしまいます。
義昭挙兵
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足利義昭は信長に対して矛を収めるどころか、戦闘モードのレベルを上げていきます。
一方、信長が入京するときには細川藤孝と荒木村重が出迎えに来た――。
細川藤孝(幽斎)は光秀の盟友だった~本能寺後の戦乱をどう生き延びたのか
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信長公記ではそう記されております。
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