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戦国史が一変した天正十年!西暦1582年に何が起きた? 日本史ブギウギ168話

歴史の授業で習う、重要な年表って真っ先に何を思い出されます?

645年は乙巳の変(大化の改新)。

794年は平安京

1192年は鎌倉幕府(他の説も)。

1467年は応仁の乱

1600年は関ヶ原の戦い

とまぁ、いずれも日本史の流れを変えた節目として重要視されますが、こと戦国時代に限って言えば大事なところが抜けています。

魔の天正十年(1582年)です。

「いちごぱんつの本能寺」という年表語呂合わせで覚えておられる方もおりますかね。

この戦国期で最も重要な事件が立て続けにおきた天正十年には何が起きたか?ということでマンガ「日本史ブギウギ」第168話スタート!!

 

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三木城陥落

◆織田家に対して謀反を起こした荒木村重

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その村重を説得するため有岡城へ出向いた黒田官兵衛は、逆に囚われ、約1年間にわたって幽閉されておりました。

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救出後は早速、仕事に駆り出されます。

それが別所長治の籠もる三木城でした。

 


鳥取城

◆当初は、官兵衛の働きもあり首尾よく進んだ秀吉の中国エリアへの進出。

その後は別所長治の裏切りだけでなく、本尊・毛利家の出動により、一進一退の戦いが続きます。

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そこで秀吉と官兵衛が展開したのが、大規模な包囲戦による徹底した兵糧攻めでした。

三木城に続いて鳥取城。

豊臣軍はわずかな被害で陥落させることに成功します。

一方、落ちた城側はかなりの惨状になっておりまして……(詳細は以下の記事に)。

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高松城攻略

◆三木城に続き、鳥取城までもが陥落。

ジリジリと攻められる毛利家にとって、備中高松城は非常に重要な最前線の拠点とも言えました。

それだけに毛利軍も付近まで近づいて来るのですが、“土木の秀吉”は清水宗治のいる備中高松城を囲み、大規模な水攻めを敢行するのでした。

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清水宗治が武士の鑑と称された理由~秀吉の備中高松城水攻めに対し籠城からの切腹

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ただ、上記の記事の通り、この堤防は思ったよりも短い距離で作れたという指摘もありまして……。
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