まんが日本史ブギウギ

戦国史が一変した天正十年!西暦1582年に何が起きた? 日本史ブギウギ168話

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
戦国史が一変した天正十年
をクリックお願いします。

 


生還者

◆信長の側近として仕えていた黒人初の侍・弥助。

信長の、ほとんど最後まで側にいたとされる弥助は、その後、二条新御所にいた織田信忠のもとへ走り、結局、明智軍に囚えられて、京都内の教会へ引き渡されたと言います。

『信長公記』の作者・太田牛一に現場の様子を伝えてくれていたら、そりゃもう、凄まじく面白いんですけどね。

なお、死の直前に敦盛を舞ったと『信長公記』には記されていません。著者の遊び心なオチだということを野暮ながら付け加えさせていただきます。

信長の死因
信長の直接的死因は何だったのか 現代医師が考察! 一酸化炭素中毒の可能性は?

続きを見る

 


逃げて!ヤッさん

◆家康と信長はどんな関係だったのか?

武田信玄からの凄まじいプレッシャーを浴びせられながらも、ついに織田家を裏切らなかった家康は、やはり信長の強さを信じていたのでしょう。

武田信玄
武田信玄は本当に戦国最強の大名と言えるのか 戦歴や人物像に迫る53年の生涯

続きを見る

徳川家康
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年

続きを見る

しかし、ここは信玄や信長を偲んでいる場合じゃござーせん。

摂津の堺にいた家康は、三河へ戻るべく死の行軍にチャレンジします。

本多忠勝にも背中を押されて突き進んだその道は、伊賀の山中を通って伊勢・尾張へと抜ける地獄の帰り道でした。

本多忠勝
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは

続きを見る

神君伊賀越え
神君伊賀越え・家康の逃亡ルートはどこだ?本能寺の変後に堺から三河へ命がけの脱出

続きを見る

 


天正十年にあったことマトメ

◆甲州征伐
→武田勝頼が滅ぼされる

◆備中高松城の戦い
→最も有名な水攻め開始

◆本能寺の変
→信長が横死

◆山崎の戦い
→秀吉が光秀に勝つ

◆清洲会議
→秀吉vs勝家始まる

◆天正遣欧少年使節が出発
→4人の少年は欧州へ

天正遣欧少年使節
戦国時代に初めて渡欧した天正遣欧少年使節の4人~帰国後の人生はどうなった?

続きを見る


あわせて読みたい関連記事

荒木村重
なぜ荒木村重は信長を裏切ったのか?妻子を無惨に処刑され道糞と蔑まれた生涯52年

続きを見る

黒田官兵衛
黒田官兵衛は本当に天下人の器だったか?秀吉の軍師とされる生涯59年まとめ

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か~検証しながら振り返る生涯62年

続きを見る

鳥取の渇え殺しと三木の干し殺し
秀吉と官兵衛の「鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し」がエグい 人は飢えると◯肉も喰う

続きを見る

清水宗治
清水宗治が武士の鑑と称された理由~秀吉の備中高松城水攻めに対し籠城からの切腹

続きを見る

織田信忠
信長の嫡男・織田信忠が生き残れば織田政権は続いた?26年の儚い生涯

続きを見る

武田勝頼
武田勝頼は最初から詰んでいた?不遇な状況で武田家を継いだ生涯37年

続きを見る

明智光秀
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?

続きを見る

斎藤利三
斎藤利三~光秀の右腕にして春日局の父親だった明智家重臣~最期は秀吉に斬首され

続きを見る

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

武田信玄
武田信玄は本当に戦国最強の大名と言えるのか 戦歴や人物像に迫る53年の生涯

続きを見る

徳川家康
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年

続きを見る

本多忠勝
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは

続きを見る

神君伊賀越え
神君伊賀越え・家康の逃亡ルートはどこだ?本能寺の変後に堺から三河へ命がけの脱出

続きを見る

バックナンバーを全部読みたい!という方はこちらへ→日本史ブギウギ

戦国武将の物語が読みたい!という方はこちらへ→戦国ブギウギ

著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休

武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!

TOPページへ


 



-まんが日本史ブギウギ

×