歴史の授業で習う、重要な年表って真っ先に何を思い出されます?
645年は乙巳の変(大化の改新)。
794年は平安京。
1192年は鎌倉幕府(他の説も)。
1467年は応仁の乱。
1600年は関ヶ原の戦い。
とまぁ、いずれも日本史の流れを変えた節目として重要視されますが、こと戦国時代に限って言えば大事なところが抜けています。
魔の天正十年(1582年)です。
「いちごぱんつの本能寺」という年表語呂合わせで覚えておられる方もおりますかね。
この戦国期で最も重要な事件が立て続けにおきた天正十年には何が起きたか?ということでマンガ「日本史ブギウギ」第168話スタート!!
三木城陥落
◆織田家に対して謀反を起こした荒木村重。
-

荒木村重の生涯|信長を裏切り妻子を処刑され“道糞”と蔑まれながらも生き残る
続きを見る
その村重を説得するため有岡城へ出向いた黒田官兵衛は、逆に囚われ、約1年間にわたって幽閉されておりました。
-

黒田官兵衛は本当に天才軍師だったのか?59年の生涯を年表付きで解説
続きを見る
救出後は早速、仕事に駆り出されます。
それが別所長治の籠もる三木城でした。
鳥取城
◆当初は、官兵衛の働きもあり首尾よく進んだ秀吉の中国エリアへの進出。
その後は別所長治の裏切りだけでなく、本尊・毛利家の出動により、一進一退の戦いが続きます。
-

豊臣秀吉62年の生涯をスッキリ解説・年表付き!派手な伝説はドコまで史実?
続きを見る
そこで秀吉と官兵衛が展開したのが、大規模な包囲戦による徹底した兵糧攻めでした。
三木城に続いて鳥取城。
豊臣軍はわずかな被害で陥落させることに成功します。
一方、落ちた城側はかなりの惨状になっておりまして……(詳細は以下の記事に)。
-

鳥取の渇え殺しと三木の干し殺し|秀吉と官兵衛が仕掛けた凄絶な飢餓の包囲戦
続きを見る
高松城攻略
◆三木城に続き、鳥取城までもが陥落。
ジリジリと攻められる毛利家にとって、備中高松城は非常に重要な最前線の拠点とも言えました。
それだけに毛利軍も付近まで近づいて来るのですが、“土木の秀吉”は清水宗治のいる備中高松城を囲み、大規模な水攻めを敢行するのでした。
-

清水宗治の生涯|秀吉の備中高松城水攻めに対し籠城 戦国武将の鑑とされた切腹
続きを見る
ただ、上記の記事の通り、この堤防は思ったよりも短い距離で作れたという指摘もありまして……。
武田滅亡
◆天正十年(1582年)、織田信長は最終的な武田攻めに取り掛かりました。
【甲州征伐】を請け負ったのは嫡男の織田信忠。
首尾よく武田勝頼を討ち取ります。
-

「風林火山」を使えない武田勝頼は最初から詰んでいた?信玄の跡継ぎ37年の生涯
続きを見る
-

信長の嫡男・織田信忠が生き残れば織田政権は続いた?26年の儚い生涯
続きを見る
しかし、その年の6月2日のことでした……。
敵は……
◆中国地方の秀吉に助力するため13,000もの軍を引き連れた明智光秀が、突如、京都へ向かうのです。
そうです。本能寺の変の始まりです。
-

史実の明智光秀はドラマのような生涯を駆け抜けたのか?本能寺までの足跡を辿る
続きを見る
-

斎藤利三の生涯|最期は秀吉に斬首された光秀の右腕は春日局の父でもあった
続きを見る
炎の信長
◆かくして稀代の戦国大名・織田信長は、その生涯に幕を閉じようとしていました。
-

織田信長の生涯|生誕から本能寺まで戦い続けた49年の史実を振り返る
続きを見る
生還者
◆信長の側近として仕えていた黒人初の侍・弥助。
信長の、ほとんど最後まで側にいたとされる弥助は、その後、二条新御所にいた織田信忠のもとへ走り、結局、明智軍に囚えられて、京都内の教会へ引き渡されたと言います。
『信長公記』の作者・太田牛一に現場の様子を伝えてくれていたら、そりゃもう、凄まじく面白いんですけどね。
なお、死の直前に敦盛を舞ったと『信長公記』には記されていません。著者の遊び心なオチだということを野暮ながら付け加えさせていただきます。
-

信長の直接的死因は何だったのか|現代医師が考察する一酸化炭素中毒の可能性
続きを見る
逃げて!ヤッさん
◆家康と信長はどんな関係だったのか?
武田信玄からの凄まじいプレッシャーを浴びせられながらも、ついに織田家を裏切らなかった家康は、やはり信長の強さを信じていたのでしょう。
-

武田信玄の生涯|最強の戦国大名と名高い53年の事績を史実で振り返る
続きを見る
-

徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る
続きを見る
しかし、ここは信玄や信長を偲んでいる場合じゃござーせん。
摂津の堺にいた家康は、三河へ戻るべく死の行軍にチャレンジします。
本多忠勝にも背中を押されて突き進んだその道は、伊賀の山中を通って伊勢・尾張へと抜ける地獄の帰り道でした。
-

本多忠勝の生涯|家康を天下人にした“戦国最強武将”注目エピソード5選とは?
続きを見る
-

神君伊賀越えのルート&全日程|本能寺後の家康は三河までどう辿り着いたのか
続きを見る
天正十年にあったことマトメ
◆甲州征伐→武田勝頼が滅ぼされる
◆備中高松城の戦い→最も有名な水攻め開始
◆本能寺の変→信長が横死
◆山崎の戦い→秀吉が光秀に勝つ
◆清洲会議→秀吉vs勝家始まる
◆天正遣欧少年使節が出発→4人の少年は欧州へ
-

戦国時代にヨーロッパへ渡った天正遣欧少年使節の4人 帰国後の人生はどうなった?
続きを見る
あわせて読みたい関連記事
-

荒木村重の生涯|信長を裏切り妻子を処刑され“道糞”と蔑まれながらも生き残る
続きを見る
-

黒田官兵衛は本当に天才軍師だったのか?59年の生涯を年表付きで解説
続きを見る
-

豊臣秀吉62年の生涯をスッキリ解説・年表付き!派手な伝説はドコまで史実?
続きを見る
-

鳥取の渇え殺しと三木の干し殺し|秀吉と官兵衛が仕掛けた凄絶な飢餓の包囲戦
続きを見る
-

清水宗治の生涯|秀吉の備中高松城水攻めに対し籠城 戦国武将の鑑とされた切腹
続きを見る
バックナンバーを全部読みたい!という方はこちらへ→日本史ブギウギ
戦国武将の物語が読みたい!という方はこちらへ→戦国ブギウギ
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!

























