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【まんが日本史ブギウギ223話】
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俗論と正義
◆吉田松陰とその愛弟子たちが一丸となり、幕末の長州藩は躍進した!
そんな印象がありますが、あくまで結果論でしょう。
崩壊寸前の組織は、内輪揉めを起こしがちであり、長州藩も藩内の統制が取れていたとは言えません。
それが俗論派と正義派の対立でした。
長州藩の中にもいた負け組「俗論派」とは? 歴史に埋もれた陰の敗者たちよ
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幕末作品でもほとんど注目されないため、ご存知ない方もおられるかもしれませんね。
西郷の裁量
◆かくして第一次長州征伐は決着。
長州藩のピンチに変わりはないものの、藩主の命は守られ、潰されるまではなく終わります。
後の会津戦争で、新政府軍が会津藩に対して、なにがなんでも藩主の命を要求し、徹底的に潰そうとしたのは、この経験があったから、とも。
潰さなければ潰される――というワケですね。
ちなみに藩主の毛利敬親は、家臣の提言に対し、なんでもかんでもOKを出すことから「そうせい候」と呼ばれました。
幕末の長州躍進を陰で支えた毛利敬親「そうせい候」と揶揄されて
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
【参考】
国史大辞典
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!