文久3年(1863年)の長州藩は、リアルに存続の危機でした。
八月十八日の政変(七卿落ち)を経て、池田屋事件、禁門の変と大連敗が続き、しまいには朝敵認定。
孝明天皇から徹底的に嫌われ、ついには「潰せ」との最終勧告がくだされてしまいます。
元治元年(1864年)の第一次長州征伐です。
ただ、幕府も一枚岩とは言えません。
徳川慶喜の横暴な振る舞いに対し、最有力者の一人である島津久光が切れ、薩摩のポジションも微妙な方向へ。
そして勝海舟――ここに西郷隆盛と坂本龍馬が絡んでドラマチックな、マンガ『日本史ブギウギ』第223話スタート!
長州征伐の件
◆元治元年(1864年)9月、大坂の薩摩藩屋敷から勝海舟へ遣いが出され、西郷との面会が決まりました。
場所は勝のステイ先・専稱寺(せんしょうじ)。
【江戸城無血開城】ばかりがクローズアップされがちな二人ですが、それ以前からそこそこのな関係はあったんですね。
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一刀両断
◆江戸で阿部正弘に取り立てられた勝海舟。
政治の中心が上方に移ってからは、発言力も失っていました。
しかし、西郷から面会を求められるなど、依然として存在感は保っていたのです。
ぞっこん
◆勝海舟を介して龍馬と西郷が出会い、後の薩長同盟へと結びつく――。
非常に劇的な展開で、いかにも物語になりますが、勝海舟自身が倒幕などを考えていたワケではないでしょう。
実際、パワーゲームの激しい政治の表舞台には立たず、この後、江戸の自宅に戻ってゴロゴロ過ごしています(ゆえに鳥羽・伏見の戦い後、徳川慶喜が船で逃亡してきたことに驚いてます)。
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