戊辰戦争における会津藩や土方歳三、あるいは奥羽越列藩同盟の動きを見て、こんな疑問を持ったことはないでしょうか?
「なぜ彼らは無謀な戦いを続けたのか?」
しかしこれ、野暮だと思うのです。
始めから「負ける」と思って戦う人はいません。
愛妾と同船して大坂から江戸へ戻ってきたかと思ったら、自身の命は保護され、江戸城無血開城を強行した徳川慶喜に、どれだけの幕臣たちが嘆いたことか。
幕府には、まだ勝てる戦力がある――。
と、西軍を迎撃するための戦略を立案しても、慶喜に却下され、いつしか処刑に追い込まれた小栗忠順もいます。
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結局、組織も国も、すべてはリーダーの資質次第。
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彰義隊
◆慶喜直々に助命を懇願された勝海舟にしてみれば、もう命を張ってもアホらしいとしか思えないのも確か。
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指揮官
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西郷隆盛からも「恐ろしい男」だとされました。
そして彰義隊は……。
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白虎隊
会津藩は、以下のように軍を編成。
・玄武隊(50-56才)
・青龍隊(36-49才)
・朱雀隊(18-35才)
・白虎隊(16-17才※年齢を繰り上げてそれ以下の者もあり)
・幼少組(14-15才※予備兵力)
白虎隊にせよ、幼少組にせよ、現代で言えばまだ中高生程度の少年たちが合戦に駆り出されます。
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