寝そべり族

陳情令公式写真集Ⅰ/amazonより引用

陳情令・魔道祖師

寝そべり族こそ中国伝統では?魏無羨から徹底考察・陳情令&魔道祖師

さまざまな困難を乗り越え、雄大な景色の中、「忘羨」を奏でる魏無羨と藍忘機――。

琴と笛の音が響く大団円がそこにはあります。

羨ましいと思う気持ちすら忘れてしまう。そんな幸福の頂点にいる二人。

 

ただ、あえてそのあとを考えたことはありませんか?

あの二人はいつまで幸せでいられるのか?

「忘羨」合奏は幸福が終わる最後のひとときだったとしたら?

この先はネタバレを含んだ考察ですので、注意しながら読み進めてください。

忘羨
“忘羨”こそ最上の幸福! 陳情令と魔道祖師は“知音”の世界だった

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『陳情令』公式写真集Ⅰ(→amazon

 


日本版『陳情令』エンディングは不穏?

陳情令』は日本語版と中国語版では、エンディングが異なります。変えた理由は想像できなくもありません。

あっさりとしていて、二人の今後がわかりにくい中国版。それに対し、日本版ではこんな未来が示唆されています。

藍忘機が仙門百家を率いる「仙督」となり、魏無羨がその右腕となる――。

よい結末に思えます。金光善と金光瑤と引き継いできたものの、陰謀がつきまとっていた仙督の座。それを清廉潔白な藍忘機が継ぎ、その彼を魏無羨が支えるなんて、新しい時代が始まるハッピーエンドだ!

そう思うとすれば、それはあなたが日本や西洋的な価値観由来で生きているからかもしれません。

大団円のイメージを思い浮かべてください。

古典的なディズニー映画なら、王子様とお姫様の結婚式。『スターウォーズ』の旧三部作もそんな終わり方です。日本のフィクションでも王道の終わり方のように思えます。

近年のフィクションではこの法則があてはまらないものが増えているとはいえ、典型的なハッピーエンドですね。

しかし、中国ですと実はそれだけでもありません。

隠居エンド――敢えてこう呼ぶ終わり方もあります。

この世界観のモチーフである武侠ものの人気作品『笑傲江湖』が典型例です。

権力闘争で大荒れに荒れて、主人公が属する崋山派はじめ、名門がいくつも壊滅状態だ。主人公周辺は死屍累々。知っているあの人も、この人も、いなくなってしまった……。

それでも主人公・令狐冲(れいこちゅう)は、門派立て直しを放棄し、こう言います。

「まあ、色々あったけど、なんとか一応解決したし。俺は隠居する! 合奏しよう!」

そして気のあう任盈盈(じんえいえい)が合奏し、大団円を迎えるのです。

ちょっと待った!

まだ若い主人公、しかも無茶苦茶強いのに、門派再建を放棄して、隠居宣言。それで合奏するって……打ち切りみたい。せめて結婚するところまでいこうよ!

そんな困惑がありそうな終わり方なのに、中国語圏では納得さるのです。その理由を考えてゆきましょう。

 


権力を握るとろくなことがない……それも東洋の宿命

悪を倒した主人公が、これから新しい指導者とならず、隠居する。

そんな終わり方をどう思われますか?

賢いとは思えるのです。実際のところ、藍忘機が仙督に就任すると山のように問題があるので、私はなんとしても回避して欲しいと考えています。

【論功行賞と江澄の心情問題】

・江澄が黙っちゃいられない。彼もあの騒動で相当苦労しておりますので……

・江澄の心情がますます悪化する。「私でなく、仙督藍忘機を支える魏無羨め!」……そう納得できない江澄が紫電を振り回したら、また面倒なことになります

儒教的な理由】

・藍忘機には兄の曦臣がいます。兄が死亡するなり引退するといった事情がないにも関わらず、弟が仙督になるのはいかがなものでしょうか?

・兄が引退するのだとすれば、彼は藍氏の世継ぎを作るために、結婚することは避けられません。正室を迎えながら魏無羨とも親しくしている……それでよいのでしょうか?

・兄の子である甥を守り、世継ぎとして立てることはできます。

しかし、往々にして叔父と甥の関係も危険なもの。中国史ならば「靖難の変」。李氏朝鮮ならば「癸酉靖難」という事件があります。叔父が甥を殺害し即位した血腥い事件であり、ドラマでも悲劇の定番、極悪叔父とされます。

甥を手にかける、そんな藍忘機の姿なんて私は御免被ります!

※どちらもフィクションでは悲劇として扱われます

いかがでしょうか?

権力とは危険です。王冠をかぶってハッピーエンドだと思うのだとすれば、それはきっとそうした価値観を知らず知らずのうちに身につけているからかもしれません。

この世界観は、中国史でも過酷な魏晋南北朝モチーフとされています。

長生きしたいなら、権力からは遠ざかった方がよいもの。

三国志』でおなじみのあの曹操ですら、実は権力に慎重な姿勢を見せています。

曹操は献帝を擁し、丞相を経て魏王にまで上り詰めたものの、帝位にはついておりません。魏武帝は死後の諡となります。

そんな曹操に対し、孫権が皇帝即位を勧めたことがありました。曹操は孫権の提案にこう苦笑したのです。

「小童が、この私を火のついた炉に座らせようとしているぞ」

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そこに座って栄華はあるだろうけれども、またすぐ狙われる。そんなことになったら平和な暮らしは夢のまた夢。

ですから、私は藍忘機の仙督就任に反対です。

そもそもが、藍忘機は、権力掌握に適性がない性格といえます。実力があるし、聡明でもある。それでも性格的に向いていません。

藍忘機以上に権力から遠ざかった方が良い人物もおります。

それは魏無羨。名家の出でもない血統の問題もありますが、それ以上に性格的に向いていません。そのことを考えてみましょう。

 


“ねそべり族“こそ勝ち組! そんな価値観も中国の伝統だ

あのあと、二人の幸せは崩れるかもしれない。そう読み取れるエンディングがあります。原作ではなく、アレンジが加えられた『陳情令』最終回です。

回避するためのハッピーエンドを私なりに考えました。こうなります。

「なあ、藍忘機。仙督なんてやめちまえよ。こうやって俺と楽しくずっと合奏をし続けよう。そのほうが、絶対楽しいよ」

「それもそうだな、隠居するか……」

あの二人は竹林なり、山に籠り、ずっと合奏を続ける。酒を飲み、囲碁を楽しみ、書画を極める。

そのまま白髪頭のおじいちゃんになって、村の子どもたちから「なんだか変なおじいさんがいるね、でも楽しそう!」と噂される。

それが究極のハッピーエンドです。

このイメージはパッと思い浮かびませんか?

お寺や和室の屏風や襖絵に描かれていそうではありませんか?

要するにそれって仙人……その通りです。

ああした仙人こそ最高で、本物の勝ち組だったんだよ!

そんな考え方はずっと中国にあり、2020年代においても再燃している模様。今、中国では「寝そべり族」(躺平、タンピン)という言葉が流行しています。

競争はいいや。自由気ままに生きる、そんな生活でいい――ダメな若者がまるで突如出てきたかのようなニュースが多いものですが、私は違和感を覚えずにはいられません。

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7躺平(寝そべり現象)

この言葉は、人がストレスなどに直面した際も、心を乱すことなく、進んで放棄し、なんの抵抗も行わないという意味で使われている。「寝そべり主義」はまた、中国の若者にとっての一種のストレスを解消し、メンタルを調整するスタイルとなっており、環境を変えることはできないため、自分の気持ちを整理してストレスから抜け出そうとする姿となっている。一時的に「寝そべる」ことで、パワーを充電し、また元気に新しい一日を始めることができる。

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中国の若者の間に「ねそべり主義」が流行していると台湾紙「自由時報」は伝える。彼らは結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる。

むしろそれこそ中国思想の伝統では?

中国には老荘思想があり、象徴として、こんな話が伝えられています。

荘子が釣りをしていると、楚王の家臣二名が仕官を勧めに来ました。

「先生、どうか我が君に仕えませんか?」

荘子は釣りをしたまま振り向くこともなく言いました。

「噂じゃあ、楚では神聖なる亀の甲があるという。三千年経過しているこの甲羅を布で包んで箱に入れて保管しているっていうね。この亀みたいに、死んで甲羅をありがたがられるのと。生きたまま泥の中で尾をひきずっていると。どちらがいいと思う?」

そう問われ、相手は返します。

「生きて泥の中にいる方がいいです」

「だろ? 帰ってくれ。私は泥の中で尾を引きずっているから」

『荘子』

仕官して大事にされたって、自由を失うし、最悪、死ぬかもしれない。それよりも自由気ままに生きる方がいいに決まってるだろ。これぞ老荘思想です。

こんな考え方が国家運営に役立つかというと、そうではない。

ゆえにこうした人々は、往々にして迫害の憂き目にも遭ってきました。

思い出してください。それはあの彼もそう。

魏無羨はあんな風に討伐されるほど、悪いことをしたのかどうか。陰謀によって金子軒や江厭離の死に関与した疑惑をかけられたとはいえ、その前から危険視されていたことは確か。

その危険視の理由とは、もはや力を失い、生きていくだけで精一杯となった温氏残党とともに穏やかに生きていたこと。

いわばあの世界で寝そべって、酒でも飲んで皆で生きていこうとしていたことが危険視されたとも言えます。

自由きままに生き、世界に存在する暗黙の了解に従えない――そんな厳しい規律があるからこそ、魏無羨のような人物は悲劇に遭ったともいえます。

もしも彼が優等生でルールをきっちり守っていたら、付け入る隙はなかったことでしょう。

彼のような人物は、中国の歴史存在し続けてきました。

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