寝そべり族

陳情令公式写真集Ⅰ/amazonより引用

陳情令・魔道祖師

寝そべり族こそ中国伝統では?魏無羨から徹底考察・陳情令&魔道祖師

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魏晋南北朝時代は、新しい生き方が生まれた

陳情令』と『魔道祖師』は、魏晋南北朝をモチーフとしている要素が多数あります。思想もそう。

思想が花ひらいた古代国家において、西の代表がギリシャならば、東の代表は中国です。

春秋戦国時代の諸子百家から、さまざまな思想が生まれてきました。

そんな思想のうち、『キングダム』でもおなじみの秦が選んだのが【法家】です。

ただし、あまりに厳しいとされ、秦滅亡への遠因と見做されてしまいます。

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そのあと、漢に採用されたのが【儒教】です。

漢建国者である高祖劉邦ですら、あんな退屈な教えはどうでもいいと初めは思っていたものの、これが実に役に立ちます。

礼儀作法を教え、国家の礎を築くには適していたのです。

現代まで、漢こそが民族の名として残されています。その漢が採用し広めた儒教こそ、中国および東洋に根付く思想となりました。

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しかし『三国志』でおなじみの後漢末となると、人々は疑問を覚え始めます。

果たして、儒教だけが正しい思想なのだろうか?

後漢末を生きる英雄のうち、頭ひとつ抜け出しつあった曹操陣営は、思想面でも新潮流を求めました。

曹操と袁紹が対峙した【官渡の戦い】では、荀彧や郭嘉ら曹操の軍師がこう分析しました。

儒教だけではなく、法家思想も用いるからこそ、我らが主君・曹操は、敵対する袁紹に勝てるのだ――。

そして曹操は袁紹に勝利をおさめました。

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この時代は技術的な進歩もあります。

文書を記録する媒体として、竹簡や木簡にかわって紙が普及したのです。

曹一族は思想を進めてゆきます。曹操の子である曹丕は、別の価値観の確立を考えていることを示しました。

文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり。

『典論』

そう考えた曹操とその子である曹丕と曹植は、華麗な文を残してゆきます。

『三国志』の時代とは、文と思想の新時代でもあったのです。

曹一族の宮廷では、文才に長けた面々が発言権を持ちます。

そんな宮廷の中で目立つ人物がいました。何晏(かあん)です。

母は曹操の側室であり、何晏はその連れ子でした。賢く耽美な容貌を誇る何晏こそ、華麗なるオピニオンリーダーとなってゆくのです。

この何晏と王弼が、さらに新たな思想を見出してゆき、儒教のみならず、「三玄の書」とされる『易経』・『老子』・『荘子』を論じました。

さて、話が長くなりましたが。ここであの世界観までたどり着きました!

あの世界では「清談会」が盛んに開催されています。張り切って準備をする大掛かりな重要行事です。

実は「清談」とは、中国史において普遍的なものではなく、魏晋南北朝ならではの文化といえます。

「清談」とは、この時代の貴族や文人たちが、老荘思想と才知を駆使して行う哲学談義のこと。

時代の象徴ともいえる「清談」を敢えて使うということは、時代のモチーフと思想が重要な役割を果たしているとわかるのです。

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権力から身を遠ざけ、高潔さを求める

思えば岐山温氏が野心を抱かねば……そんな嘆きがあり、暗転する宿命。これも魏晋時代を彷彿とさせます。

あの時代は、哲学論議が盛んになる優美さと、残酷な権力闘争が隣り合っていました。

曹操の跡を継ぎ、皇帝となった子の曹丕と孫の曹叡。この二代は続けて若くして崩御し、政権は不安定な状態となります。

そんな魏において、権力を握ったのが曹爽でした。何晏はこの一派に属しています。

曹爽一派と敵対していたのが、諸葛亮のライバルとして名高い司馬懿です。

のちに晋建国に至る司馬一族が、魏王朝を侵食してゆきます。

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なんてドロドロした嫌な世界! それが『三国志』のあとに続く時代です。

そしてそんな時代がモチーフだからこそ、襲撃や一族壊滅、陰謀と権力争いが続くのだとご理解ください。なかなか大変な時代がモチーフなのです。

こうした時代だからこそ、権力から距離を置いて、敢えて自由に生きたい。魏無羨のような人物がおりました。

「政治に関わりたくない。人として、生きる道を求めたい……」

この政治的闘争を嫌う空気感とは、あの世界における「射日の征戦」のあとを思い出してください。

困難を乗り越え、平和になるかと思っていたら、次なる政治闘争の影が兆し始める。そんな世界に嫌気がさし、抜け出すこと。それが魏無羨の言動です。

仙門の証である剣を捨て、どこぞに隠遁してしまう。

魏無羨のような生き方を選んだ人物とは「竹林の七賢」です。

竹林に引きこもって酒を飲んで琴を弾いているおっさん……そんなイメージがあってもおかしくはありません。

絵画の題材としても人気で、日本でも彼らは屏風、襖絵、掛け軸題材の定番でした。山梨銘醸蔵元限定として、竹林の七賢各人の酒も販売されています。

彼らはただの怠け者であったとか、適当に生きていたわけでもない。

政治闘争からあえて身をひき、哲学論議をし、人とは一体何か求め続けました。

だからこそ、賢く素晴らしいと語り伝えられているのです。

ちなみに七人単位でユニット化にされたのは後世のイメージであり、実際に七人がああして竹林に入り浸っていたわけでもありません。

七賢も、全員が政治から身を退いた訳でもありません。

仕官した:山濤、王戎、向秀

仕官したが奇行を繰り返し職務拒否、やる気がない!:阮籍、阮咸、劉伶

仕官せず、処刑:嵆康

これを仙門百家にあてはめると、こうなります。

家を守るべく真面目に活動しているようで、従順なだけでもない:藍忘機

やる気がなくヘラヘラしているようで策士:聶懐桑

覚悟の叛逆、そして討伐される:魏無羨

武侠もののような文学だけでなく、歴史上にも彼らのモチーフになる人物は見えてきます。

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