さまざまな困難を乗り越え、雄大な景色の中、「忘羨」を奏でる魏無羨と藍忘機――。
琴と笛の音が響く大団円がそこにはあります。
羨ましいと思う気持ちすら忘れてしまう。そんな幸福の頂点にいる二人。
ただ、あえてそのあとを考えたことはありませんか?
あの二人はいつまで幸せでいられるのか?
「忘羨」合奏は幸福が終わる最後のひとときだったとしたら?
この先はネタバレを含んだ考察ですので、注意しながら読み進めてください。
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日本版『陳情令』エンディングは不穏?
『陳情令』は日本語版と中国語版では、エンディングが異なります。変えた理由は想像できなくもありません。
あっさりとしていて、二人の今後がわかりにくい中国版。それに対し、日本版ではこんな未来が示唆されています。
藍忘機が仙門百家を率いる「仙督」となり、魏無羨がその右腕となる――。
よい結末に思えます。金光善と金光瑤と引き継いできたものの、陰謀がつきまとっていた仙督の座。それを清廉潔白な藍忘機が継ぎ、その彼を魏無羨が支えるなんて、新しい時代が始まるハッピーエンドだ!
そう思うとすれば、それはあなたが日本や西洋的な価値観由来で生きているからかもしれません。
大団円のイメージを思い浮かべてください。
古典的なディズニー映画なら、王子様とお姫様の結婚式。『スターウォーズ』の旧三部作もそんな終わり方です。日本のフィクションでも王道の終わり方のように思えます。
近年のフィクションではこの法則があてはまらないものが増えているとはいえ、典型的なハッピーエンドですね。
しかし、中国ですと実はそれだけでもありません。
隠居エンド――敢えてこう呼ぶ終わり方もあります。
この世界観のモチーフである武侠ものの人気作品『笑傲江湖』が典型例です。
権力闘争で大荒れに荒れて、主人公が属する崋山派はじめ、名門がいくつも壊滅状態だ。主人公周辺は死屍累々。知っているあの人も、この人も、いなくなってしまった……。
それでも主人公・令狐冲(れいこちゅう)は、門派立て直しを放棄し、こう言います。
「まあ、色々あったけど、なんとか一応解決したし。俺は隠居する! 合奏しよう!」
そして気のあう任盈盈(じんえいえい)が合奏し、大団円を迎えるのです。
ちょっと待った!
まだ若い主人公、しかも無茶苦茶強いのに、門派再建を放棄して、隠居宣言。それで合奏するって……打ち切りみたい。せめて結婚するところまでいこうよ!
そんな困惑がありそうな終わり方なのに、中国語圏では納得さるのです。その理由を考えてゆきましょう。
権力を握るとろくなことがない……それも東洋の宿命
悪を倒した主人公が、これから新しい指導者とならず、隠居する。
そんな終わり方をどう思われますか?
賢いとは思えるのです。実際のところ、藍忘機が仙督に就任すると山のように問題があるので、私はなんとしても回避して欲しいと考えています。
【論功行賞と江澄の心情問題】
・江澄が黙っちゃいられない。彼もあの騒動で相当苦労しておりますので……
・江澄の心情がますます悪化する。「私でなく、仙督藍忘機を支える魏無羨め!」……そう納得できない江澄が紫電を振り回したら、また面倒なことになります
【儒教的な理由】
・藍忘機には兄の曦臣がいます。兄が死亡するなり引退するといった事情がないにも関わらず、弟が仙督になるのはいかがなものでしょうか?
・兄が引退するのだとすれば、彼は藍氏の世継ぎを作るために、結婚することは避けられません。正室を迎えながら魏無羨とも親しくしている……それでよいのでしょうか?
・兄の子である甥を守り、世継ぎとして立てることはできます。
しかし、往々にして叔父と甥の関係も危険なもの。中国史ならば「靖難の変」。李氏朝鮮ならば「癸酉靖難」という事件があります。叔父が甥を殺害し即位した血腥い事件であり、ドラマでも悲劇の定番、極悪叔父とされます。
甥を手にかける、そんな藍忘機の姿なんて私は御免被ります!
※どちらもフィクションでは悲劇として扱われます
いかがでしょうか?
権力とは危険です。王冠をかぶってハッピーエンドだと思うのだとすれば、それはきっとそうした価値観を知らず知らずのうちに身につけているからかもしれません。
この世界観は、中国史でも過酷な魏晋南北朝モチーフとされています。
長生きしたいなら、権力からは遠ざかった方がよいもの。
『三国志』でおなじみのあの曹操ですら、実は権力に慎重な姿勢を見せています。
曹操は献帝を擁し、丞相を経て魏王にまで上り詰めたものの、帝位にはついておりません。魏武帝は死後の諡となります。
そんな曹操に対し、孫権が皇帝即位を勧めたことがありました。曹操は孫権の提案にこう苦笑したのです。
「小童が、この私を火のついた炉に座らせようとしているぞ」
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そこに座って栄華はあるだろうけれども、またすぐ狙われる。そんなことになったら平和な暮らしは夢のまた夢。
ですから、私は藍忘機の仙督就任に反対です。
そもそもが、藍忘機は、権力掌握に適性がない性格といえます。実力があるし、聡明でもある。それでも性格的に向いていません。
藍忘機以上に権力から遠ざかった方が良い人物もおります。
それは魏無羨。名家の出でもない血統の問題もありますが、それ以上に性格的に向いていません。そのことを考えてみましょう。
“ねそべり族“こそ勝ち組! そんな価値観も中国の伝統だ
あのあと、二人の幸せは崩れるかもしれない。そう読み取れるエンディングがあります。原作ではなく、アレンジが加えられた『陳情令』最終回です。
回避するためのハッピーエンドを私なりに考えました。こうなります。
「なあ、藍忘機。仙督なんてやめちまえよ。こうやって俺と楽しくずっと合奏をし続けよう。そのほうが、絶対楽しいよ」
「それもそうだな、隠居するか……」
あの二人は竹林なり、山に籠り、ずっと合奏を続ける。酒を飲み、囲碁を楽しみ、書画を極める。
そのまま白髪頭のおじいちゃんになって、村の子どもたちから「なんだか変なおじいさんがいるね、でも楽しそう!」と噂される。
それが究極のハッピーエンドです。
このイメージはパッと思い浮かびませんか?
お寺や和室の屏風や襖絵に描かれていそうではありませんか?
要するにそれって仙人……その通りです。

ああした仙人こそ最高で、本物の勝ち組だったんだよ!
そんな考え方はずっと中国にあり、2020年代においても再燃している模様。今、中国では「寝そべり族」(躺平、タンピン)という言葉が流行しています。
競争はいいや。自由気ままに生きる、そんな生活でいい――ダメな若者がまるで突如出てきたかのようなニュースが多いものですが、私は違和感を覚えずにはいられません。
◆ 「2021年ネット用語トップ10」が発表 覚醒年代、ダブル負担軽減、メタバースなど(→link)
7、躺平(寝そべり現象)
この言葉は、人がストレスなどに直面した際も、心を乱すことなく、進んで放棄し、なんの抵抗も行わないという意味で使われている。「寝そべり主義」はまた、中国の若者にとっての一種のストレスを解消し、メンタルを調整するスタイルとなっており、環境を変えることはできないため、自分の気持ちを整理してストレスから抜け出そうとする姿となっている。一時的に「寝そべる」ことで、パワーを充電し、また元気に新しい一日を始めることができる。
◆ 中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義 | 急激な台頭に政府もピリピリ?(→link)
中国の若者の間に「ねそべり主義」が流行していると台湾紙「自由時報」は伝える。彼らは結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる。
むしろそれこそ中国思想の伝統では?
中国には老荘思想があり、象徴として、こんな話が伝えられています。
荘子が釣りをしていると、楚王の家臣二名が仕官を勧めに来ました。
「先生、どうか我が君に仕えませんか?」
荘子は釣りをしたまま振り向くこともなく言いました。
「噂じゃあ、楚では神聖なる亀の甲があるという。三千年経過しているこの甲羅を布で包んで箱に入れて保管しているっていうね。この亀みたいに、死んで甲羅をありがたがられるのと。生きたまま泥の中で尾をひきずっていると。どちらがいいと思う?」
そう問われ、相手は返します。
「生きて泥の中にいる方がいいです」
「だろ? 帰ってくれ。私は泥の中で尾を引きずっているから」
『荘子』
仕官して大事にされたって、自由を失うし、最悪、死ぬかもしれない。それよりも自由気ままに生きる方がいいに決まってるだろ。これぞ老荘思想です。
こんな考え方が国家運営に役立つかというと、そうではない。
ゆえにこうした人々は、往々にして迫害の憂き目にも遭ってきました。
思い出してください。それはあの彼もそう。
魏無羨はあんな風に討伐されるほど、悪いことをしたのかどうか。陰謀によって金子軒や江厭離の死に関与した疑惑をかけられたとはいえ、その前から危険視されていたことは確か。
その危険視の理由とは、もはや力を失い、生きていくだけで精一杯となった温氏残党とともに穏やかに生きていたこと。
いわばあの世界で寝そべって、酒でも飲んで皆で生きていこうとしていたことが危険視されたとも言えます。
自由きままに生き、世界に存在する暗黙の了解に従えない――そんな厳しい規律があるからこそ、魏無羨のような人物は悲劇に遭ったともいえます。
もしも彼が優等生でルールをきっちり守っていたら、付け入る隙はなかったことでしょう。
彼のような人物は、中国の歴史存在し続けてきました。
魏晋南北朝時代は、新しい生き方が生まれた
『陳情令』と『魔道祖師』は、魏晋南北朝をモチーフとしている要素が多数あります。思想もそう。
思想が花ひらいた古代国家において、西の代表がギリシャならば、東の代表は中国です。
春秋戦国時代の諸子百家から、さまざまな思想が生まれてきました。
そんな思想のうち、『キングダム』でもおなじみの秦が選んだのが【法家】です。
ただし、あまりに厳しいとされ、秦滅亡への遠因と見做されてしまいます。
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そのあと、漢に採用されたのが【儒教】です。
漢建国者である高祖劉邦ですら、あんな退屈な教えはどうでもいいと初めは思っていたものの、これが実に役に立ちます。
礼儀作法を教え、国家の礎を築くには適していたのです。
現代まで、漢こそが民族の名として残されています。その漢が採用し広めた儒教こそ、中国および東洋に根付く思想となりました。
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しかし『三国志』でおなじみの後漢末となると、人々は疑問を覚え始めます。
果たして、儒教だけが正しい思想なのだろうか?
後漢末を生きる英雄のうち、頭ひとつ抜け出しつあった曹操陣営は、思想面でも新潮流を求めました。
曹操と袁紹が対峙した【官渡の戦い】では、荀彧や郭嘉ら曹操の軍師がこう分析しました。
儒教だけではなく、法家思想も用いるからこそ、我らが主君・曹操は、敵対する袁紹に勝てるのだ――。
そして曹操は袁紹に勝利をおさめました。
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この時代は技術的な進歩もあります。
文書を記録する媒体として、竹簡や木簡にかわって紙が普及したのです。
曹一族は思想を進めてゆきます。曹操の子である曹丕は、別の価値観の確立を考えていることを示しました。
文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり。
『典論』
そう考えた曹操とその子である曹丕と曹植は、華麗な文を残してゆきます。
『三国志』の時代とは、文と思想の新時代でもあったのです。
曹一族の宮廷では、文才に長けた面々が発言権を持ちます。
そんな宮廷の中で目立つ人物がいました。何晏(かあん)です。
母は曹操の側室であり、何晏はその連れ子でした。賢く耽美な容貌を誇る何晏こそ、華麗なるオピニオンリーダーとなってゆくのです。
この何晏と王弼が、さらに新たな思想を見出してゆき、儒教のみならず、「三玄の書」とされる『易経』・『老子』・『荘子』を論じました。
さて、話が長くなりましたが。ここであの世界観までたどり着きました!
あの世界では「清談会」が盛んに開催されています。張り切って準備をする大掛かりな重要行事です。
実は「清談」とは、中国史において普遍的なものではなく、魏晋南北朝ならではの文化といえます。
「清談」とは、この時代の貴族や文人たちが、老荘思想と才知を駆使して行う哲学談義のこと。
時代の象徴ともいえる「清談」を敢えて使うということは、時代のモチーフと思想が重要な役割を果たしているとわかるのです。
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権力から身を遠ざけ、高潔さを求める
思えば岐山温氏が野心を抱かねば……そんな嘆きがあり、暗転する宿命。これも魏晋時代を彷彿とさせます。
あの時代は、哲学論議が盛んになる優美さと、残酷な権力闘争が隣り合っていました。
曹操の跡を継ぎ、皇帝となった子の曹丕と孫の曹叡。この二代は続けて若くして崩御し、政権は不安定な状態となります。
そんな魏において、権力を握ったのが曹爽でした。何晏はこの一派に属しています。
曹爽一派と敵対していたのが、諸葛亮のライバルとして名高い司馬懿です。
のちに晋建国に至る司馬一族が、魏王朝を侵食してゆきます。
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なんてドロドロした嫌な世界! それが『三国志』のあとに続く時代です。
そしてそんな時代がモチーフだからこそ、襲撃や一族壊滅、陰謀と権力争いが続くのだとご理解ください。なかなか大変な時代がモチーフなのです。
こうした時代だからこそ、権力から距離を置いて、敢えて自由に生きたい。魏無羨のような人物がおりました。
「政治に関わりたくない。人として、生きる道を求めたい……」
この政治的闘争を嫌う空気感とは、あの世界における「射日の征戦」のあとを思い出してください。
困難を乗り越え、平和になるかと思っていたら、次なる政治闘争の影が兆し始める。そんな世界に嫌気がさし、抜け出すこと。それが魏無羨の言動です。
仙門の証である剣を捨て、どこぞに隠遁してしまう。
魏無羨のような生き方を選んだ人物とは「竹林の七賢」です。
竹林に引きこもって酒を飲んで琴を弾いているおっさん……そんなイメージがあってもおかしくはありません。
絵画の題材としても人気で、日本でも彼らは屏風、襖絵、掛け軸題材の定番でした。山梨銘醸蔵元限定として、竹林の七賢各人の酒も販売されています。
彼らはただの怠け者であったとか、適当に生きていたわけでもない。
政治闘争からあえて身をひき、哲学論議をし、人とは一体何か求め続けました。
だからこそ、賢く素晴らしいと語り伝えられているのです。
ちなみに七人単位でユニット化にされたのは後世のイメージであり、実際に七人がああして竹林に入り浸っていたわけでもありません。
七賢も、全員が政治から身を退いた訳でもありません。
仕官した:山濤、王戎、向秀
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仕官せず、処刑:嵆康
これを仙門百家にあてはめると、こうなります。
家を守るべく真面目に活動しているようで、従順なだけでもない:藍忘機
やる気がなくヘラヘラしているようで策士:聶懐桑
覚悟の叛逆、そして討伐される:魏無羨
武侠もののような文学だけでなく、歴史上にも彼らのモチーフになる人物は見えてきます。
誰からも敬愛されて、そして妬まれて
悲運の破滅を迎えたけれど、誰からも敬愛されていた――。
魏晋南北朝には、魏無羨のような人物がいます。
それは嵆康です。大変魅力的な人物です。
魏無羨は「俺ってどう思われているのかな?」とワクワクしながら気にしています。人の噂や人物批評も大事な世界です。
魏晋南北朝時代も「あの人はすごい、尊い! 推せる!」と皆が噂をしあっていたことで知られています。
男性が最も己の容貌を気にかけ、それゆえ男性が最も美麗だった時代とされるのが、魏晋南北朝です。
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竹林の七賢というと老人のイメージが根付いていますが、嵆康の活動時期は青年期。しかも彼は美貌の持ち主として知られていました。当時最も尊い存在。そう噂されていたのです。
中性的でメンズメイクが欠かせなかった何晏とは異なり、背が高く堂々たる気風が溢れていました。
それでいて服装は極めてラフ。特技は琴。なんとも素敵な男性であったのです。かくして嵆康は、おつきあいしたい人ナンバーワンでした。
当時の貴族や文人たちは、こんなふうに話していたものです。
「嵆康さんって、本当にすごいらしいよね」
「そんな嵆康さんとお近づきになれた俺はラッキー!」
「ほんとに? で、どうだった?」
「噂以上だよ。尊い……」
「ほー……」
嵆康はともかく素晴らしかった。当時の文人たちが「嵆康の素晴らしさをどう形容するか?」というテーマで話し合っていたほど。
嵆康の子・嵆紹のことをある人が興奮気味にこう語ったと言います。
「嗚呼、彼は素晴らしい。まるで鶏の中に野生の鶴が舞い降りたように颯爽としている……」
すると即座に王戎はこうツッコミました。
「あの嵆康を見たことがないから、そんなことを言うんだよ」
息子もたいしたものだけれども、あの伝説となった父には及ばない。そう語られるほど、彼は素晴らしかったのです。
最近はそんな史実を反映したのか、イケメン嵆康ファンアートが増えており、絵の中で急激に若返っております。“嵇康”で画像検索してみましょう。
そんな嵆康は魏無羨と同じく、マイペースで口が悪い。周囲の目線を気にしないかのように生きていて、酒と音楽が大好き。
友人であり七賢の一人である山濤が仕官を勧めると、理由を列挙しながら断固断る「与山巨源絶交書」(山巨源に与え絶好する書)を叩きつけました。名文ゆえに今でも残され読むことができます。
この絶交書はプライベートの書というより、仕官の意志がないことや、政治と関わる山濤と自分の距離感を天下に示す役割もありました。
山濤と自分の仲を下手に勘繰られては、相手に迷惑もかかりかねません。
そうして友人関係にヒビを入れるリスクを背負ってまで生きていた嵆康。
しかし、温寧の苦境を見逃せなかった魏無羨のように、彼は友人を救うために奮闘し、窮地に陥るのです。嵆康と魏無羨は運命まで似ています。
嵆康の友・呂安は激怒していました。
なんと兄・呂巽が、妻を手篭めにしたというのです。怒り告発しようとする呂安と、交際のあった呂巽の間に入り、嵆康は仲裁しようとしました。
しかし、呂巽は狡猾でした。かえって弟こそ母を虐待していると誣告したのです。
友である呂安を庇うため、持ち前の文才で敢然と呂巽をかばう嵆康。ここで呂巽は自分の人脈から有力者を頼ることとします。それは司馬氏一族と親しい鐘会でした。
整理しましょう。
嵆康:当時一流の名士。政治から身を置こうとしていたが、友人・呂安のために立ち上がる
呂安:嵆康の友人。兄の暴虐を告発する
呂巽:呂安の兄。弟の告発を無効化すべく、でっちあげた母虐待の罪で弟を訴える
鐘会:呂巽の友人。嵆康に私怨がある。司馬昭の懐刀
司馬昭:当時の権力者であり、鐘会を重用する
鐘会は嵆康の言動を洗い出します。そして「与山巨源絶交書」が儒教に反し、司馬政権に楯突くつもりだとまくしたてました。
それを聞いた司馬昭は、呂安と嵆康の処刑を決めたのです。
なぜ、あの嵆康を死なせるのか! そう大勢が訴えるものの、彼は洛陽の市場で斬られてしまったのでした。
しかし、それでも、いやだからこそ、彼は伝説と化してゆきます。
自由気ままに生きることこそ、“江湖”の道だ!
魏晋南北朝のあと隋となり、唐となり……歴史は滔々と流れてゆきます。
老荘思想を元とした「道教」も、魏晋南北朝時代において体系化され、仏教ともども根付いてゆきます。
時の流れにおいて、それでも変わらないものはある。それはこんな対立構造です。
「政治に参加しなさい、実力があるなら国家のために尽くすのです!」
「嫌です。出世するより、俺は泥の中で尾をひきずる老荘思想でいきたいので」
「お前、ふざけるなよ、いいから政治参加だ、仕官しろ! 世の中舐めてんのか!」
「は? そっちこそ権力に尻尾振ってさ、自分の意志ってありますか? そんなことで生きる意味あるんすか?」
「ぐぬぬぬ……き、貴様!」
そうなったとき、気ままを求めるタイプがお手本とした伝説の人物が、嵆康たち竹林の七賢でした。
儒教のような、国家権力側の思想とすれば、そりゃ成功して立派になって欲しいだろうけど。
自由気ままに生きる! そういう人生もいいよな。
これぞ伝統的な思想の対立です。
官界、官場:朝廷を中心とした政治の世界。魏晋南北朝ならば貴族、科挙のあとは士大夫によって構成される
江湖:政界に入らない民衆の生きる世界
廟堂(びょうどう)の高きに居(お)りては、則ち其の民を憂い、江湖(こうこ)の遠きに処(お)りては、則ち其の君を憂う。
政治を行う場所では民衆のことを思う。民衆の中にいて政治が遠くにあっても、君のことを憂う。
范仲淹『岳陽楼記(がくようろうき)』
こんな二つの世界がある。
江湖とは、武侠もののイメージが強く、ドラマの解説では「剣が舞い、空を飛ぶ! これぞ華流ファンタジー!」といった説明をされます。
しかし本来は、政界に対する民衆の世界という意味です。
※典型的な「江湖」の説明
両方あってこそ、この世界は成立する。たとえ官僚になれなくとも、自分なりに世をよくするために努力する。それこそ“侠”ではないか。そんな問いかけこそ、華流時代劇の真髄です。
この二つの世界を行き来することにも、覚悟は必要です。
『三国志』の英雄たちは、政治の世界にいたからこそ歴史に名を残しているといえますが、彼らとて逡巡はありました。
曹操は若くして官僚になり、清廉潔白な政治を志しました。
しかし腐敗しきった朝廷に諦念を感じ、己の為すことのために一族にまで害が及びかねないと悟り、郷里に引きこもりました。
秋と夏は読書、冬と春は狩りをして、世に出るまで過ごしてもよいと諦念しておりました。
諸葛亮は乱世に疲れ、庵に引きこもりました。そんな彼に敬意を示した劉備に心打たれ、彼に仕えたのです。
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そうして官界に戻って、賞賛されるかというと、時代が下るにつれ、そうでもなくなってゆきます。
むしろ国家のために官界に入ることが「なんかガッカリだな」とすら評されることに。
北宋を舞台とした『水滸伝』は、まさしく江湖に生きる英雄好漢を描く作品でした。
しかし、あの英雄たちは官軍となり、多くが戦死してしまいます。この展開に、清代の文人・金聖嘆は失望しました。
「江湖で生きる英雄好漢百八星が集合するまではよしとしよう。しかしホイホイ政府について官軍になるとはどういうことだ? よし、いっそ前半までで終わりにしよう!」
そうして集合までで終わるバージョンを執筆出版しところ、これが大ウケ。こちらが中国では定番になりました。
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このように、官界と江湖、どちらも大切にする思想と伝統が中国にはあるのです。
古典文学ならば官界の代表が『三国志演義』、江湖の代表が『水滸伝』といえます。
『水滸伝』の流れを汲む武侠ものでは、「官軍=バカにされる雑魚」または「官軍=どうしようもない極悪集団」であることがお約束です。
彼らは公務員で、仕事をしているだけなのに……。
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※明末、地獄の公務員ライフ『修羅:黒衣の反逆』
これには理由があります。
官界をドロップアウトするなり、蹴り飛ばした文人たちがあまりに魅了的であったのです。
しかも彼らは才能とセンスがあることも多かった。その自由で気高い生き方に、人々は魅了されてしまいます。
代表例が北宋の蘇東坡。政治的闘争に敗れ流刑になった蘇軾(字・東坡)があの「東坡肉(トンポーロー)」のレシピを考案したとされています。
実際に蘇軾が一から作ったとは思えないそうですが、明清時代の人生エンジョイ勢は盛り上がり、定着しました。
「やっぱさ、政治闘争なんて無視してグルメに生きた蘇東坡さんみたいになりたいよな!」
「わかる、彼を偲んで東坡肉食べよう!」
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次に、明代・文徴明。彼は要領が悪く、科挙に落ち続け、官界から遠い世界に生きることとなりました。
文徴明の故郷である蘇州には、世界遺産となった中国四大庭園・拙政園(せっせいえん)があります。
官界から追放された政治家の王献臣は、蘇州にある寺を買い取り、文徴明に設計を依頼し庭園としたのです。
「政治が拙い今の世の中って嫌だよね……」
「むしろこの庭園こそ、理想の世界!」
かくして、当時の政治は拙いと庭園の名前としても残されたのでした。
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そして何といっても、国民的娯楽である武侠ものの舞台は“江湖“。政治闘争よりも自由に生きることが上位であると、ソフトパワーで示されてきたのです。
そんな武侠ものでも屈指の人気ヒーローが、隠居エンドを迎える令狐冲なのですから、中国には自由を求める文化がきっちりと根付いています。
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むしろ日本人こそピンとこないと指摘されるところでもあります。
かつて日本でも『三国志』と『水滸伝』は並列する人気コンテンツでしたが、いつの間にやら前者のみが定番とされ、後者は影が薄くなりました。武侠ものも日本ではウケないと散々言われてきたものです。
そんな価値観ゆえに『陳情令』日本版エンディングが変えられたのではないかと私はどうしても考えてしまいます。
中国共産党の意向を推察する前に、日本人の価値観を踏まえることも重要です。なにせ変えられているのは、日本版ですから。
2020年代は、自由を制限する中国と、それに対抗する国という政治情勢がみえてきます。
そんな時代に、西洋由来の価値観だけではかっていては見えてこないこともあると思えるのです。
中国文化を生きてきたひとびとが、自由も何もない、冷酷なだけの、感情を持たないロボットのはずがありません。
彼らはずっと長いこと、嵆康のような老荘思想を掲げる人々を賞賛し続けてきたのです。
そんな思想が小説、ドラマ、漫画、アニメにまで反映されています。こうした作品を鑑賞することで、彼らのことをもっと理解できるようになるはずではないでしょうか。
自由を求めて何が悪いのでしょう。
泥の中で尻尾を引きずる亀。竹林で酒を飲み、琴を弾く人々。そんな生き方を賞賛してこそ、中国という文化ではないでしょうか?
理解し、そう問いかけてこそ、見えてくるものもきっとあるはず。だからこそ敢えて、多くの人々や『陳情令』や『魔道祖師』はじめとする世界観にどっぷりとはまり、考えて欲しいと私は願うのです。
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会田大輔『南北朝時代―五胡十六国から隋の統一まで』(→amazon)
川本芳昭『中国の歴史5 中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』(→amazon)
岩間一弘『中国料理の世界史: 美食のナショナリズムをこえて』(→amazon)
渡邉義浩『三国志 運命の十二大決戦』(→amazon)
井波律子『中国文章家列伝』(→amazon)
井波律子『中国の隠者』(→amazon)
井波律子『奇人と異才の中国史』(→amazon)
佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち』(→amazon)
岡崎由美『漂泊のヒーロー: 中国武侠小説への道』(→amazon)
岡崎由美/浦川留『武侠映画の快楽』(→amazon)
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