寝そべり族

陳情令公式写真集Ⅰ/amazonより引用

陳情令・魔道祖師

寝そべり族こそ中国伝統では?魏無羨から徹底考察・陳情令&魔道祖師

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寝そべり族(陳情令・魔道祖師)
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誰からも敬愛されて、そして妬まれて

悲運の破滅を迎えたけれど、誰からも敬愛されていた――。

魏晋南北朝には、魏無羨のような人物がいます。

それは嵆康です。大変魅力的な人物です。

魏無羨は「俺ってどう思われているのかな?」とワクワクしながら気にしています。人の噂や人物批評も大事な世界です。

魏晋南北朝時代も「あの人はすごい、尊い! 推せる!」と皆が噂をしあっていたことで知られています。

男性が最も己の容貌を気にかけ、それゆえ男性が最も美麗だった時代とされるのが、魏晋南北朝です。

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竹林の七賢というと老人のイメージが根付いていますが、嵆康の活動時期は青年期。しかも彼は美貌の持ち主として知られていました。当時最も尊い存在。そう噂されていたのです。

中性的でメンズメイクが欠かせなかった何晏とは異なり、背が高く堂々たる気風が溢れていました。

それでいて服装は極めてラフ。特技は琴。なんとも素敵な男性であったのです。かくして嵆康は、おつきあいしたい人ナンバーワンでした。

当時の貴族や文人たちは、こんなふうに話していたものです。

「嵆康さんって、本当にすごいらしいよね」

「そんな嵆康さんとお近づきになれた俺はラッキー!」

「ほんとに? で、どうだった?」

「噂以上だよ。尊い……」

「ほー……」

嵆康はともかく素晴らしかった。当時の文人たちが「嵆康の素晴らしさをどう形容するか?」というテーマで話し合っていたほど。

嵆康の子・嵆紹のことをある人が興奮気味にこう語ったと言います。

「嗚呼、彼は素晴らしい。まるで鶏の中に野生の鶴が舞い降りたように颯爽としている……」

すると即座に王戎はこうツッコミました。

「あの嵆康を見たことがないから、そんなことを言うんだよ」

息子もたいしたものだけれども、あの伝説となった父には及ばない。そう語られるほど、彼は素晴らしかったのです。

最近はそんな史実を反映したのか、イケメン嵆康ファンアートが増えており、絵の中で急激に若返っております。“嵇康”で画像検索してみましょう。

そんな嵆康は魏無羨と同じく、マイペースで口が悪い。周囲の目線を気にしないかのように生きていて、酒と音楽が大好き。

友人であり七賢の一人である山濤が仕官を勧めると、理由を列挙しながら断固断る「与山巨源絶交書」(山巨源に与え絶好する書)を叩きつけました。名文ゆえに今でも残され読むことができます。

この絶交書はプライベートの書というより、仕官の意志がないことや、政治と関わる山濤と自分の距離感を天下に示す役割もありました。

山濤と自分の仲を下手に勘繰られては、相手に迷惑もかかりかねません。

そうして友人関係にヒビを入れるリスクを背負ってまで生きていた嵆康。

しかし、温寧の苦境を見逃せなかった魏無羨のように、彼は友人を救うために奮闘し、窮地に陥るのです。嵆康と魏無羨は運命まで似ています。

嵆康の友・呂安は激怒していました。

なんと兄・呂巽が、妻を手篭めにしたというのです。怒り告発しようとする呂安と、交際のあった呂巽の間に入り、嵆康は仲裁しようとしました。

しかし、呂巽は狡猾でした。かえって弟こそ母を虐待していると誣告したのです。

友である呂安を庇うため、持ち前の文才で敢然と呂巽をかばう嵆康。ここで呂巽は自分の人脈から有力者を頼ることとします。それは司馬氏一族と親しい鐘会でした。

整理しましょう。

嵆康:当時一流の名士。政治から身を置こうとしていたが、友人・呂安のために立ち上がる

呂安:嵆康の友人。兄の暴虐を告発する

呂巽:呂安の兄。弟の告発を無効化すべく、でっちあげた母虐待の罪で弟を訴える

鐘会:呂巽の友人。嵆康に私怨がある。司馬昭の懐刀

司馬昭:当時の権力者であり、鐘会を重用する

鐘会は嵆康の言動を洗い出します。そして「与山巨源絶交書」が儒教に反し、司馬政権に楯突くつもりだとまくしたてました。

それを聞いた司馬昭は、呂安と嵆康の処刑を決めたのです。

なぜ、あの嵆康を死なせるのか! そう大勢が訴えるものの、彼は洛陽の市場で斬られてしまったのでした。

しかし、それでも、いやだからこそ、彼は伝説と化してゆきます。

 

自由気ままに生きることこそ、“江湖”の道だ!

魏晋南北朝のあと隋となり、唐となり……歴史は滔々と流れてゆきます。

老荘思想を元とした「道教」も、魏晋南北朝時代において体系化され、仏教ともども根付いてゆきます。

時の流れにおいて、それでも変わらないものはある。それはこんな対立構造です。

「政治に参加しなさい、実力があるなら国家のために尽くすのです!」

「嫌です。出世するより、俺は泥の中で尾をひきずる老荘思想でいきたいので」

「お前、ふざけるなよ、いいから政治参加だ、仕官しろ! 世の中舐めてんのか!」

「は? そっちこそ権力に尻尾振ってさ、自分の意志ってありますか? そんなことで生きる意味あるんすか?」

「ぐぬぬぬ……き、貴様!」

そうなったとき、気ままを求めるタイプがお手本とした伝説の人物が、嵆康たち竹林の七賢でした。

儒教のような、国家権力側の思想とすれば、そりゃ成功して立派になって欲しいだろうけど。

自由気ままに生きる! そういう人生もいいよな。

これぞ伝統的な思想の対立です。

官界、官場:朝廷を中心とした政治の世界。魏晋南北朝ならば貴族、科挙のあとは士大夫によって構成される

江湖:政界に入らない民衆の生きる世界

廟堂(びょうどう)の高きに居(お)りては、則ち其の民を憂い、江湖(こうこ)の遠きに処(お)りては、則ち其の君を憂う。

政治を行う場所では民衆のことを思う。民衆の中にいて政治が遠くにあっても、君のことを憂う。
范仲淹『岳陽楼記(がくようろうき)』

こんな二つの世界がある。

江湖とは、武侠もののイメージが強く、ドラマの解説では「剣が舞い、空を飛ぶ! これぞ華流ファンタジー!」といった説明をされます。

しかし本来は、政界に対する民衆の世界という意味です。

※典型的な「江湖」の説明

両方あってこそ、この世界は成立する。たとえ官僚になれなくとも、自分なりに世をよくするために努力する。それこそ“侠”ではないか。そんな問いかけこそ、華流時代劇の真髄です。

この二つの世界を行き来することにも、覚悟は必要です。

三国志』の英雄たちは、政治の世界にいたからこそ歴史に名を残しているといえますが、彼らとて逡巡はありました。

曹操は若くして官僚になり、清廉潔白な政治を志しました。

しかし腐敗しきった朝廷に諦念を感じ、己の為すことのために一族にまで害が及びかねないと悟り、郷里に引きこもりました。

秋と夏は読書、冬と春は狩りをして、世に出るまで過ごしてもよいと諦念しておりました。

諸葛亮は乱世に疲れ、庵に引きこもりました。そんな彼に敬意を示した劉備に心打たれ、彼に仕えたのです。

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そうして官界に戻って、賞賛されるかというと、時代が下るにつれ、そうでもなくなってゆきます。

むしろ国家のために官界に入ることが「なんかガッカリだな」とすら評されることに。

北宋を舞台とした『水滸伝』は、まさしく江湖に生きる英雄好漢を描く作品でした。

しかし、あの英雄たちは官軍となり、多くが戦死してしまいます。この展開に、清代の文人・金聖嘆は失望しました。

「江湖で生きる英雄好漢百八星が集合するまではよしとしよう。しかしホイホイ政府について官軍になるとはどういうことだ? よし、いっそ前半までで終わりにしよう!」

そうして集合までで終わるバージョンを執筆出版しところ、これが大ウケ。こちらが中国では定番になりました。

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このように、官界と江湖、どちらも大切にする思想と伝統が中国にはあるのです。

古典文学ならば官界の代表が『三国志演義』、江湖の代表が『水滸伝』といえます。

『水滸伝』の流れを汲む武侠ものでは、「官軍=バカにされる雑魚」または「官軍=どうしようもない極悪集団」であることがお約束です。

彼らは公務員で、仕事をしているだけなのに……。

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これには理由があります。

官界をドロップアウトするなり、蹴り飛ばした文人たちがあまりに魅了的であったのです。

しかも彼らは才能とセンスがあることも多かった。その自由で気高い生き方に、人々は魅了されてしまいます。

代表例が北宋の蘇東坡。政治的闘争に敗れ流刑になった蘇軾(字・東坡)があの「東坡肉(トンポーロー)」のレシピを考案したとされています。

実際に蘇軾が一から作ったとは思えないそうですが、明清時代の人生エンジョイ勢は盛り上がり、定着しました。

「やっぱさ、政治闘争なんて無視してグルメに生きた蘇東坡さんみたいになりたいよな!」

「わかる、彼を偲んで東坡肉食べよう!」

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次に、明代・文徴明。彼は要領が悪く、科挙に落ち続け、官界から遠い世界に生きることとなりました。

文徴明の故郷である蘇州には、世界遺産となった中国四大庭園・拙政園(せっせいえん)があります。

官界から追放された政治家の王献臣は、蘇州にある寺を買い取り、文徴明に設計を依頼し庭園としたのです。

「政治が拙い今の世の中って嫌だよね……」

「むしろこの庭園こそ、理想の世界!」

かくして、当時の政治は拙いと庭園の名前としても残されたのでした。

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そして何といっても、国民的娯楽である武侠ものの舞台は“江湖“。政治闘争よりも自由に生きることが上位であると、ソフトパワーで示されてきたのです。

そんな武侠ものでも屈指の人気ヒーローが、隠居エンドを迎える令狐冲なのですから、中国には自由を求める文化がきっちりと根付いています。

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むしろ日本人こそピンとこないと指摘されるところでもあります。

かつて日本でも『三国志』と『水滸伝』は並列する人気コンテンツでしたが、いつの間にやら前者のみが定番とされ、後者は影が薄くなりました。武侠ものも日本ではウケないと散々言われてきたものです。

そんな価値観ゆえに『陳情令』日本版エンディングが変えられたのではないかと私はどうしても考えてしまいます。

中国共産党の意向を推察する前に、日本人の価値観を踏まえることも重要です。なにせ変えられているのは、日本版ですから。

2020年代は、自由を制限する中国と、それに対抗する国という政治情勢がみえてきます。

そんな時代に、西洋由来の価値観だけではかっていては見えてこないこともあると思えるのです。

中国文化を生きてきたひとびとが、自由も何もない、冷酷なだけの、感情を持たないロボットのはずがありません。

彼らはずっと長いこと、嵆康のような老荘思想を掲げる人々を賞賛し続けてきたのです。

そんな思想が小説、ドラマ、漫画、アニメにまで反映されています。こうした作品を鑑賞することで、彼らのことをもっと理解できるようになるはずではないでしょうか。

自由を求めて何が悪いのでしょう。

泥の中で尻尾を引きずる亀。竹林で酒を飲み、琴を弾く人々。そんな生き方を賞賛してこそ、中国という文化ではないでしょうか?

理解し、そう問いかけてこそ、見えてくるものもきっとあるはず。だからこそ敢えて、多くの人々や『陳情令』や『魔道祖師』はじめとする世界観にどっぷりとはまり、考えて欲しいと私は願うのです。

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文:小檜山青
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【参考文献】
会田大輔『南北朝時代―五胡十六国から隋の統一まで』(→amazon
川本芳昭『中国の歴史5 中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』(→amazon
岩間一弘『中国料理の世界史: 美食のナショナリズムをこえて』(→amazon
渡邉義浩『三国志 運命の十二大決戦』(→amazon
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