琴と笛の音が響く大団円がそこにはあります。
羨ましいと思う気持ちすら忘れてしまう。
そんな幸福の頂点にいる二人。
“忘羨”こそ最上の幸福! 陳情令と魔道祖師は“知音”の世界だった
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ただ、この二人以外はどうなのでしょうか?
果たして幸せになれたのでしょうか?
藍曦臣も心配になってきますが、まだ気になる人物はおりませんか?
「魏無羨! 私のことは支えられなかったのに、藍忘機はそうできるというのか!」
最終回のあと、そう歯ぎしりしながら紫電をぶん回していそう。
それが江澄です。
作中随一のこじらせ男子ともされる、そんな江澄の悲哀とは何か。
【儒教】思想から考えてみたいと思います。
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叶わぬ願いに手を伸ばし続ける運命
江澄はあの世界の仙門百家でも、頂点に属しています。
五大世家の御曹司。母方の眉山虞氏名門の出身。術に秀で、聡明で、勇敢で、将来右腕となる魏無羨までいたのです。
ただし、それ故の宿命もあります。
江氏の家訓は「明知不可而為之」、成せぬことを成す――『論語』「憲問」が由来です。
子路、石門に宿る。晨門(しんもん)曰く、奚(いず)れよりぞ。子路曰く、孔氏より。曰く、「是れ其の不可なることを知りて而(しか)もこれを為す者か」。
子路(しろ、孔子の弟子)が石門で一晩を過ごした。門番は子路に問いかけてきた。
「あなた、どこからいらしたんで?」
子路は答えた。
「孔先生のところからだ」
すると門番はこう言いました。
「ああ、あの無理だとわかっているのに、そんな理想を追っている(是知其不可而爲之)人のお弟子さんですか!」
無理だとわかっている理想を追うこと。そして、それが『論語』にあること。
この時点で、江澄が理想と現実に引き裂かれていると示されています。
江澄は『論語』――儒教倫理に縛られながら、彼なりの理想に手を伸ばし、それが届かない、そんな運命を背負った人物です。
原作にはなかったにも関わらず、ドラマ版『陳情令』では江澄に追加された悲恋があります。
温氏の女医である温情に淡い恋心を抱き、求愛贈り物の定番である櫛をそっと渡すのです。
あなたが温氏から離れてくれたら私は……そう精一杯の思いを告げるも、温情はその条件を拒みます。
愛する弟の温寧はじめ、一族を捨てるなんてありえない。温氏ごと守る覚悟はあるの? あなたには、ないでしょう? そうきっぱりと断られてしまいます。
このあと、魏無羨が温氏ごと保護するため、江澄はなんとも無様に思えます。
こじらせてる。追加恋愛エピソードであっさり撃沈。あのエピソードいるの? 意味がわかんない……そんなツッコミもされますが。
もう一度、思い出してください。
江澄は、できないことに対して手を伸ばす宿命があります。そんな彼の悲哀が増す場面です。
温情は断る時、江澄が嫌いであるとか、自分にはもっと好きな相手がいるとか。そうは言っておりません。
重い家を背負うがゆえに、この恋は成立しないのです。
彼の恋愛が成就できる相手とは、両親同士のような名家の相手。ましてや対立しかねない温氏とは無理。
もしも江澄が不誠実であれば、温氏から引き離した温情を、こっそりと妾としてどこかに囲うことはできたかもしれません。しかし彼はそんなことができるほど、下劣な性格ではありません。
魏晋南北朝にもいた こじらせエリート男子
江澄がどうしようもなくこじらせていると思えるところ――それは魏無羨の言い分も聞かず、いきなり倒そうとするところではないでしょうか。
これは武侠もののお約束のようで、それだけではない要素もあります。
江澄は前述の通り【儒教】に縛られているといえます。魏無羨は、そんな束縛から軽やかに逃れる【老荘思想】が反映されています。
この世界観のモチーフとなる魏晋南北朝は、文人たちが哲学論議をし、新たな生き方を模索する時代でした。
政治の世界である官界の人物は、漢代に確立した儒教を論じ、高めてゆく。
一方、そんな官界から逸脱し、老荘思想を重んじる文人も出てくる。
その老荘思想を掲げる文人の代表が、竹林の七賢です。
その筆頭である阮籍は、母の喪に服す間に酒を飲み、太った豚肉を食べました。
親の喪に服すべきときに敢えて太った豚肉を、涙ながらに食べる。
贅沢している親不孝もののようで、アンチ【儒教】であると示すための行為でした。幼稚な反逆として片付けられるものでもない言動です。
そんな阮籍の大親友に、竹林の七賢の一人である嵆康がいました。
この嵆康は背が高く、堂々たる風格があり、浮世離れしていて、聡明で、色白で、気品があって……ともかく誰もが近づきたい。そんな噂の人です。
そんな嵆康と同世代の中、才知に長けた公子がいました。
“公子”という呼び方はあの世界観でもよく出てきます。「若様」等と翻訳されています。
父は魏のエリート・鍾繇、母は教育熱心で才女として知られる張昌蒲。鐘会の母・張昌蒲は教育熱心で、それはそれは厳しく、我が子を鍛えていたのです。江澄と虞夫人のような母子関係ですね。
そんな鐘会はこう考えたのでしょう。
あの嵆康とお近づきになれたら、ますます私も名声が高まるな……そして実行に移しました。
鐘会は阮籍に会いに行ったのです。すると嵆康はなんと、鍛冶作業をしていました。
「こんにちは、鐘会です」
「……………………」
嵆康は挨拶を無視して、ひたすら鉄を打ち続けます。
貴公子である鐘会が会いに来ているのに、嵆康は無視!
鐘会はプライドを傷つけられ、帰ろうとします。
するとここで嵆康がやっと声をかけました。
「何を聞きに来て、何を見て帰るんだい?」
「聞きたいことを聞きに来たし、見たかったものを見るだけだ!」
鐘会はそう返します。
やけっぱちになって、傷つけられた気持ちが伝わってきます。これがこのことだけで済んだら、それで終わりますが、こじらせ男子はそうでもない。
『無双』シリーズ、ドラマ『軍師連盟』でもイケメンとして登場している鐘会ですが、実は彼ってなかなかのこじらせ男子です。
傷つけられたプライドが惨劇を生む!
しょうもない出来事のようで、傷つけられた男のプライドは、のちのちおそろしいことへ繋がってゆきます。
時の権力者である司馬昭の懐刀として、重用される鐘会。そんな彼が嵆康に復讐する機会が訪れたのです。
嵆康は政治から身を遠ざけ、付け入る隙がないように生きていました。
しかし、温寧の苦境を見逃せなかった魏無羨のように、彼は友人・呂安を救うために奮闘します。
嵆康の友・呂安は激怒していました。なんと兄・呂巽が、妻を手篭めにしたというのです。
怒り告発しようとする呂安と、交際のあった呂巽の間に入り、嵆康は仲裁します。
「家のことは家の中でおさめたほうがよいと思う。ここは俺が仲裁するから。兄上だってそこまで悪い奴じゃないだろう」
「それもそうか」
かくしておさまりかけたようで、そうはならないのです。
呂巽は狡猾でした。かえって弟こそ母を虐待していると誣告したのです。
たかが親の虐待とはならないのが【儒教】の邦。同時代には陳寿が親の服喪期間に薬を調合させただけで、厳しく批判されています。
もしも友の母虐待が事実とされたら、それこそ命を落としかけねない。窮地に陥った呂安を庇うため、嵆康は持ち前の文才で、敢然と呂巽を告発します。
兄・呂巽は自分の知人であるとある有力者を頼ります。それは鐘会でした。
整理しましょう。
嵆康:当時一流の名士。政治から身を置こうとしていたが、友人・呂安のために立ち上がる
呂安:嵆康の友人。兄の暴虐を告発する
呂巽:呂安の兄。弟の告発を無効化すべく、でっちあげた母虐待の罪で弟を訴える
鐘会:呂巽の友人。嵆康に私怨がある。司馬昭の懐刀
司馬昭:当時の権力者であり、鐘会を重用する
鐘会にとって、これは復習の好機到来です。ここぞばかりに嵆康の言動を洗い出し、ついに決定打をみつけだします。
その罪とは、嵆康書いた「与山巨源絶交書」(「山巨源に与え絶好する書」)が【儒教】に反してるというものでした。
この書はそこまで過激とも思えません。
寝坊しちゃうし、自由気ままに行きたいし、お役所勤めなんてめんどくさいから仕官したくない。そう他愛のないことが並べられているだけに思えます。
しかし、鐘会は決定打を見出します。
「こんなものを堂々と書く嵆康は、儒教を軽んじている、司馬氏を批判しているのです!」
司馬氏は、魏を支配する曹一族とは異なり、思想は穏健で保守的でした。
漢と同じ【儒教】を第一に掲げているのです。
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老荘思想を活発に論じ【儒教】なんて無視してしまう。これは司馬氏には刃向かうものではないか? 第二第三の嵆康が出てきては困る。
そう判断したのでしょう、司馬昭は、呂安と嵆康の処刑を決めました。
もしも、弁が立つ才子である鐘会が、嵆康に私怨を抱いていなかったら。穏やかに交際できていたら、運命は違っていたのかもしれません。
そして【儒教】――。
このことをもって、【儒教】が悪だとは思わないでください。
思想そのものではなく、思想を刃にして相手を追い落とそうとする誰かが悪いのです。あくまで運用の問題ではあります。
そしてこの【儒教】を刃として誰かを傷つけ、拗らせることこそ、江澄も背負った宿命です。
鐘会にせよ、江澄にせよ、嫉妬心をこじらせ、社会規範である【儒教】思想を振り回しているように思えます。
正史『三国志』を記した陳寿も、些細な【儒教】ルール違反で痛い目にあっています。
思想や道徳は、ときに人を中傷する武器にもなり得ます。
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『陳情令』のオープニングでは、魏無羨と江澄が空中交差しながら互いに斬り合う場面が入ります。
本編を見ると、命の奪い合いであったとわかります。
話し合おうよ! なんでこじらせていきなり殺し合いになるの? それは華流時代劇あるある、武侠ものの定番です。
のみならず、歴史上においてもこじらせ男子同士は時に命を奪い合ってきました。
この鐘会は、蜀討伐で功績をあげたものの謀反を起こし、部下に殺されるという悲惨な末路を迎えます。
それでもこう思われることが定番となりました。
「嵆康をあんな殺し方をしたし、策士策に溺れた自業自得だな」
こちらのこじらせ男子は、評価においても悲惨なことになりました。
現在、この鐘会と嵆康の関係性は、史実にあったこじらせ男子同士のいざこざとして、本場でもさまざまな考察がなされているようです。
『無双』シリーズにも、琴で音波を飛ばして戦う嵆康が実装されたら盛り上がると、個人的には思います。
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