ドラマ大奥レビュー

ドラマ『大奥』公式サイトより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥感想レビュー第6回 求められるのは子作りばかりという地獄

元禄文化の象徴であるかのように、まばゆく煌めく将軍・徳川綱吉

そんな綱吉は、易姓革命を肯定する孟子をぬけぬけと読み聞かせる右衛門佐に興味を持ちます。

側近・柳沢吉保は警戒感をあらわにしますが、綱吉本人は父・桂昌院の目がある中、右衛門佐を好きにはできないと返します。

右衛門佐付きの秋本は、右衛門佐には「側室にある野心があるのか?」と聞いています。右衛門佐からは独特の媚びが感じられないと言うのです。

軽く微笑み返す右衛門佐。

右衛門佐の策は?

そして綱吉の反応は?

 

右衛門佐は来年で「お褥すべり」だった

大奥には、将軍と御台所が食事を共にするしきたりがあります。

その席で綱吉は「右衛門佐が欲しい」とズバリ切り出します。

桂昌院から守るのであればよいと答える御台所。食事の席で赤裸々に、まるで人身売買のように話が進んでいく。

しかし、右衛門佐は来年で35になると告げます。

それはお褥すべりの定め、年齢制限による引退の歳です。実際の大奥でも30となる女性に適用されております。

男性は歳をとっても妊娠させられるから、加齢は魅力だと誤解される方もいますが、実際、高年齢の父親から生まれてくる子は健康面でのリスクがあるし、妊娠されられる確率も下がります。

女性ほどハッキリと区別がつかないだけの話です。

今年の大河ドラマ主役である徳川家康を引き合いにだし、歳をとってからの子作りについて何やら語る人やメディアもあるでしょう。残念ながら、人間の願望と現実の間には差があるものです。

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話を戻しましょう。

御台所も、右衛門佐の年齢に驚いています。

そして右衛門佐は「若い中臈に嫉妬するくらいなら、もっと別の役目を果たしたい」とキッパリ言い切る。

綱吉は思い浮かばぬと声をかけ、ここでも「忠義」と敢えて言いながら、右衛門佐に意見を求めます。

 

大奥でてっぺん取ったる!

大奥総取締――それが出された答えでした。

あのお万の方(万里小路有功)のあと、不在であった役目に右衛門佐が就くというのです。

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色黒のお伝の方は呆然とし、御台所はニンマリ、桂昌院は怒りを見せています。

聡明な秋本は、右衛門佐の深慮遠謀に感服するばかりでした。

これが真の男の頂だと、右衛門佐は言います。種付け馬ではなく、人として生まれたからには、人としての力を持ちたい。それが己にできるか試しに来たのだと。

実はこれも東洋らしい話です。史実においても、東洋には、こんな思想があります。

男と女は陰と陽。龍と鳳凰。中国の宮廷では皇帝が龍をモチーフとして使い、皇后は鳳凰です。

清の西太后。朝鮮の仁粋大妃。こうした女性政治家も出現できる土壌があり、双方の権力を握らねばなりませんでした。

日本もそうです。幕末には、篤姫が工作員として大奥に送り込まれました。

なぜか?

大奥を無視して政治を動かせなかったからです。

明治維新を成し遂げた政府は、それがよほど嫌だったらしく、大奥を解体し、朝廷からも女官を叩き出しました。そして女性も権力を握る清や朝鮮を徹底的に見下したのです。

そう考えると、大奥総取締がひとつの頂点だとみなす右衛門佐の見立てには納得できます。

 

東西の謀略合戦

桂昌院は、右衛門佐の大奥総取締就任が気に入りません。

崇敬する有功が務めた役目を他の者などに継がせたくないのでしょう。綱吉を叱り飛ばします。

柳沢吉保はその桂昌院を抑えるようで、そのくせ「やらせてみればいい」と煽るように言います。

このとき綱吉と吉保がいたずらっぽく目線を交わすのですが、あまりに濃い……吉保は本気で、心底、何か熱くなって恥じらっている一方で、綱吉はいつも通りだという感覚。

共に悪事を働くことで強くなる、同性同士の結びつき――そこに何かが漂っています。

右衛門佐は、綱吉を待ち伏せ、何か策を練っていました。

それは単純な黒鍬者出のお伝の方を味方につけること。彼にお屋敷を賜るよう、綱吉に進言したのです。

能天気なお伝の方は、松姫の父として遇されたらそれでころっと参ってしまう。あの桂昌院と同じだということが決め手となります。

満面の笑みで喜ぶお伝の方は、これぞ男女逆転版の極みに思えましたね。

なんとも単純で、そして愛くるしい。そうです、大奥もののお伝の方はこういう造型でした。

閨に侍って子を為して、それで天下を取った気分で浮かれていたっけ。男女入れ替えにより、人間の本質を見せてきます。

それにしても、右衛門佐の賢さよ。お伝の方など簡単に手玉に取ってしまいます。

しかし……柳沢吉保はそうはいかない。

彼女はニッコリと微笑みつつ、右衛門佐が京都で種付けをしていたころの女からの手紙を持ち出し、右衛門佐の野心など見抜いていると迫ってきました。

京都で、右衛門佐がもう35手前だと明かしてしまっていたやりとり。

人は閨でこそ、うっかり本音を漏らすとは指摘されるところであり、大奥もまた例外ではないことが、伏線として生きてきます。

こういう人物は「口蜜腹剣」(こうみつふくけん)と言います。

口の中から出てくる言葉は甘く蜜のよう。でも、腹の底には剣がある――こんなにも迫力ある人物を演じる倉科カナさんが凄まじい。

そしてここでも「忠」という言葉を会話で持ち出されてきます。

文治主義の徳川幕府は、諸大名から庶民に至るまで、忠を求めました。そんな価値観が染み渡る様を、これでもか、これでもかと描いてゆく。

右衛門佐を演じる山本耕史さんは、数世代にわたる歴史を描くことが本作の魅力だと語っておられました。

そうなのです。男女が逆転していても、このドラマには日本の歴史と価値観の変化が埋め込まれています。

吉保は桂昌院と繋がりがある。この二人は美男物量作戦を企みます。

 

異なる『韓非子』の写本、正しいのはどちらだ?

綱吉と右衛門佐の漢籍読解が進んでおります。

本日のテキストは『韓非子』。

マニアックな部類に入り、なかなか難易度が高いテキストです。それほどまでにこの二人は知識が豊富だということですね。

韓非子は、思想としては法家です。

『キングダム』でおなじみの始皇帝が絶賛したことでも知られ、中身はシニカル。現実的といえばそうだけれども、あまりに容赦がない。後世の儒家からはむしろ貶される。

儒教が大々的に、別格として中国で扱われるようになったのは、始皇帝が建国した秦を倒した漢代からのことです。

ゆえに始皇帝が好んだ韓非子なんて、むしろよろしくないと、批判されました。

こうした事情は、後世にも伝わっていますので、敢えてこれを読みあう二人は“曲者”だということも表現されています。

群臣曰く、「城濮(じょうぼく)の事は、舅犯の謀なり。夫れ其の言を用いて、而るに其の身を後にす、可ならんや。」

群臣が言うには、「城濮(城濮の戦い、BC7世紀)のことは、舅犯(人名)の謀略でございます。その言葉を採用し、その身のことを後回しにする。それでよいのでしょうか?」

二人でテキストを読み上げていると、綱吉が相違に気づきました。

綱吉のテキストでは「可ならんや」とあり、一方で右衛門佐は「可なり」となっている。

細かいようで、全く意味が異なります。

綱吉「それでよいのでしょうか?」

右衛門佐「それでよいのです」

前後のやりとりからすると、綱吉版が正しいのですが、実際こういうことはよくありました。

漢籍が伝わる過程は、印刷術などありませんので、手で書き写します。ゆえに写し間違いが起こり得る。

あるいは、テキストそのものが紛失してしまい、限られたものから復元することもよくあるため、そこでも間違いが起きてしまう。

現在、中国では考古学が進歩していまして、テキストの復元も凄まじい勢いでなされています。その過程で歴史認識が修正されることもある。

これまた『キングダム』でおなじみ、始皇帝の名前は嬴政(えいせい)とされ、作品でも採用されていますが、近年では「政」ではなく「正」であったのではないかと見直されています。

漢籍はバージョンによって細部が違うことはよくあり、何気ないシーンのようで、これが後に重要になってきます。

ともあれ、綱吉が間違っていると指摘し、議論は成立。

京都でトップクラスの知性を誇った右衛門佐と綱吉は互角に渡り合っています。

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知性に関して西高東低だった傾向は、日本では強く残っていました。

『鎌倉殿の13人』はまさにその様が描かれておりましたし、家光個人の諸事情があったとはいえ、このドラマの家光時代もそうでした。

それが綱吉の代には、追いついている。

このシーンは、書見台の葵紋と、右衛門佐の裃についた菊の紋が対照的に見えます。まさに東西の戦いが、書物の上で行われているのだな、と……。

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